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二宮金次郎・尊徳と今の若者たち【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第113回2020年8月27日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

昔の農村今の世の中サムネイル・本文

たまたま私の後輩研究者の角田(すみた)毅君(東北大学)、中村勝則君(秋田県立大学)と会ったとき、前回述べた二宮金次郎の話をした。そして聞いてみた、二宮金次郎のことをどこで知ったか、銅像を見たことがあるかと。二人とも高度経済成長真っ只中の1970年前後、昭和後期の生まれだが、何と彼らは小学校の「道徳教育」の授業で習ったという。そして金次郎の銅像は見ているという。

「道徳教育」は戦前の「修身」の再開だとかつて反対したことがあるが、その通りだったのだろうか。と言って二宮金次郎を教えるのが悪いというわけではない、彼の何を教えるかが問題なのだが、いずれにせよそれで戦前生まれの私たちを含む昭和の子どもはみんな金次郎を知っていると考えていいのだろう。

今もそうなのだろうか、平成生まれの子どもたちも「道徳」の授業て二宮金次郎を習っているのだろうか。

新自由主義の時代、金次郎の像や尊徳の思想など古い、時代遅れだと抹殺され、今時の学生は金次郎の名前を知らないのではなかろうか。だとすると何かさびしい。ましてや二宮尊徳は農業と深い関わりがあり、せめて名前だけでも知っておいてもらいたいのだが、学生に聞いて見たいものだ。

こんな話をしたら角田、中村両君興味を抱いたらしく、後で研究室の学生計16名(東北・三年生11名、秋田・四年生5名)に聞いてくれた。

驚くなかれ、何と16名全員が二宮金次郎・尊徳のいずれかを知っていたと言う(二宮尊徳は知らない、逆に金次郎は知らないというのがそれぞれ1名いたが)。私の予想は大外れだった。

それでは、二宮金次郎・尊徳とはどういう人だったか、どんなことをした人か知っているかと聞いたら、「わからない」、つまり名前は知っているがどういう人か知らないと答えたものが4名、約四分の一あった。思ったよりも少ないと私は思うのだが、どうだろうか。

もっとも多かったのは「働きながらも勉強に励んだ人」という答えをしたもので7名(注「薪を背負って歩きながら本を読んでいる銅像の人」1名を含む)で半数近くを占めた。

「農業振興に貢献した人」、「天保の大飢饉の際に農民を救った人」、「農業、農学を勉強していた人」というような回答をしたものも4名いた(重複回答もある)。

驚いた、私の予想とはまるっきり違った。戦前ほどではないがともかく二宮金次郎・尊徳を若者は知っているのである。

どこで覚えたのだろうか。やはり「道徳」の授業で習ったのだろうか。そこで、学校で金次郎・尊徳を習ったことがあるかと聞いたら、3人しかいなかった。それぞれ道徳の授業、日本史の授業、科目はわからないという答えだった。

他に、「お母さん」から教えてもらつた、漫画で読んだ、何かの本で読んだという3人がいた。

それではこの6人以外は何で金次郎・尊徳を知ったのだろうか。もしかして銅像をみて知ったという人もいるのではなかろうか。

そこで角田・中村両君は次の質問をした、「二宮金次郎の銅像を見たことがあるか」と。

そしたらこれまた驚いた、1名を除いて全員見たことがあるという回答だった。

小学校に銅像があったというものが2名、昔と比べたらもちろん少ないが、回答者21人のうち2人の学校にあったということはまだ1割近い小学校に金次郎の像があると推測することもできる。また銅像の現物をみたことがあるというのが2名いだが、これは自分の小学校でなのか他のところでなのかわからない。それでもこれもけっこうな割合である。

それ以外はみんなテレビか写真でみたというものだった、ということは、金次郎の像が平成生まれの子どもたちにも大きな影響を及ぼしていることを示していることになる。しかも「働きながらも勉強に励んだ人」だということは、教わらなくとも、その銅像から推測できる。ということは、今から90年前の昭和恐慌期に広められた思想がいまだに国民の心に息づいていることを示している、そう考えていいのだろうか。世界に誇る「日本人の勤勉さ」はこうして引き継がれていくのだろうか。

しかし、平成の「道徳」の授業では金次郎は無視されているようだ。学校で習ったという学生が2割しかいないということはそういうことを示しているのではなかろうか。わずかな事例でそんなことを推測するわけにはいかないのだが。

新自由主義という名のむきだしの自由主義・投機資本主義が世界経済を支配するようになるなかで、勤勉刻苦とか倹約とか貯蓄とかは時代遅れ、ましてや二宮金次郎などというような勤勉はもはや不用、ということで道徳教育の授業から外されることになったのだろうか。

このままいったら二宮金次郎・尊徳の名前は日本人の頭から消えてしまうのではなかろうか。

角田君は学部4年の講義で協同組合を論じるときに二宮尊徳の「報徳思想」を協同組合の原点の一つとして教えているとのことだが、とするといずれは農学部の学生の一部くらいしか名前を知らなくなってくるのだろうか、それとも銅像やテレビ、親の話等を通じて引き継がれ、日本人のほとんどが知っているという時代がこれからも続くのか、どっちなのだろうか。

それで思い出した。たしか最近「道徳」の授業が変わったはずだ、それでどうなるのか、もう少し考えてみる必要がありそうだ。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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