(226)食而不知其味:食べても味がわからない【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2021年4月9日
新型コロナウイルス感染症の症状の1つとして、発熱やせきなどの他に、嗅覚(におい)・味覚(あじ)異常が伝えられています。この話を聞いたときに思い浮かんだ表現が、中学か高校の漢文で学んだ「食らえどもその味を知らず」でした。
一般に「四書五経」と言われるが、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』のことである。現代の日常生活にこれらの中の教えがどの程度、浸透しているかは不明だが、卒業式や入学式、あるいは入社式などで、時折「祝辞」の中で引用されることなどがあるため、有名なフレーズは何となく身についている人も多いであろう。
五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』である。その『礼記』の中の一篇を独立させたものが『大学』および『中庸』である。さて、その『大学』の中に有名な言葉がある。
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味、此謂修身在正其心」
書き下し文にすれば、「心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、これを『身を修むるはその心を正すに在り』という」となる。
読んで字の如し、と言えばそのとおりだが、要は、いい加減な気持ち、つまり心が入っていない状態のままでは、例えば、注意して視て(見てではない)いるようでも何も見えていないし、聴いて(聞いてではない)いるようでも聞こえていない。そして、食べていても味などわからない。よって...、ということだ。最後は教訓のため、コラムでは割愛するが、興味深い点は2点ある。
第1は、「視る」と「見る」、「聴く」と「聞く」などを昔の中国人、そしてつい数十年前までの日本人はしっかり使い分けていたという点だ。「みる」には、この他にも「観る」「診る」「看る」など、いくつもの漢字があり、一目で違いがわかる。「わらう」も同じだ。楽しく普通に「笑う」、人を見下して「嗤う」、少し含みを持つ「哂う」、呵々という言葉のように大声で「呵う」など、これもすべてが異なる。日常生活の中のこうした微妙な違いが全て「笑う」に収束されていくのは心情的にはややさびしい(「寂しい」「淋しい」「寞しい」「寥しい」...)気がする。
世の中には、簡潔明解な言葉だけではどうしても表せないものがあるということだ。
第2は、「食べても味がわからない」、つまり「食らえどもその味を知らず」である。「食」に関わる研究と教育をしている身にこの表現は重い。新型コロナウイルス感染症の症状として出ただけ、と見ることもできるが、実は、前提から考えると現代の食、そして生活のかなりの部分に同じような傾向が生じているのかもしれないからだ。
例えば、栄養的に十分であれば、人はどのような食でも満足するか。生存が限界的な状況に陥ればそれで良いのかもしれないが、恐らくそれは余りにも極端な例であろう。筆者も含め、大多数にとって、「食べること」は「味わい」「楽しみ」そして「栄養をつけ」「健康を維持する」ことであり、これ以外にも「食」の機能は多々あるはずだ。つまり、「食」には十分な栄養プラスアルファの部分が含まれる。
引用した『大学』の文章には前提として、「心ここにあらざれば(心不在焉)」と記されている。「うわのそら」では...ということだ。筆者自身、日々の仕事において目の前を通過する膨大な文書やメールを全て丁寧に確認することなど不可能だが、実は非常に重要な内容がスーっと通り過ぎて行き、あわてて引き戻すことがある。これが「視れども見えず」の状況であり、「慣れ」というのは本当に恐ろしい。
* *
昔、偉い人に同行し高いレストランで緊張して食べた料理の味は申し訳ありませんが、ほとんど覚えていません。そこに行き食べたということだけです。逆に、あの時の「塩むすび」は美味しかった! というような経験、どなたにもあるのではないでしょうか。「味がわかる」ということは「質」や「気持ち」にも関係しているのかもしれませんね。
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三石誠司・宮城大学教授のコラム【グローバルとローカル:世界は今】
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