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桑のある風景は今いずこ【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第245回2023年6月29日

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20世紀末頃でなかったろうか、岩手県北上山地の北部に行ったときのことである。集落から畑そして林野へと通じる幅2~3mの道路(もちろん未舗装、かつてはどこもそうだったのだが)を歩いていたときのことである。その道路の両脇つまり道路と畑との境に、2~3mおきに背丈の低い桑の木が並木のように植えてある。その桑の木の間に細長い横木を2~3本渡して柵をつくっている。何でこうしているのかと農家の方に聞くと、採草放牧地に連れて行く牛馬が畑の中に入らないようにするためだという。トラックなどない時代、牛馬は歩いて連れて行くより他なかったから、これはなるほどと思う。同時に桑の葉は蚕の餌とする、そしてまさに寸土も利用する、一挙両得だ。

このような桑の垣根(生け垣と言うべきなのだろうか、並木と言った方がいいのか)が囲い巡らされている道、垣根の間からのぞく畑、ちょっと遠くには緑の山々、そしてさわやかな青い空、何とも牧歌的な風景(ありふれた言葉でしか表現できないのが口惜しいが)、胸が締めつけられるほどなつかしい。私の子どもの頃、見たことがあったのではなかったろうか、そんな思いを抱かせる風景だった。

仙台に帰ってからふと思い出した、そうだ、私の生まれた旧山形市の西側に連なる白鷹丘陵の麓(傾斜地)に位置する多くの集落を橫につなぐ道路、そこも両側が桑の垣根で道路と畑が区切られていた。そしてその桑の垣根のある道路が延々と伸びていた。

そしてそれは、牛馬が畑に入らないようにするためというより、寸土も惜しんで農用地として利用したい、養蚕農家からすれば蚕を一匹でも二匹でも多く飼育したい、繭を1個でも2個でも多くとりたいということからなのではなかったろうか。

なぜか知らないが、私はこの「桑垣道路」(と呼ぶのか、どう呼んでいるのかわからないが)の光景が好きだった。日本農業の、日本の道路の原風景の一つのような気もしたものだった。

今はどうなっているだろうか、車社会、繭絶滅社会には適合しないし、道路の拡張も必要、農業機械の使用には邪魔等々で桑の木は切られ、もうあの景観はなくなっているのではなかろうか。

なつかしいあの風景、もう一度見てみたいものだ。もしも残っていたとしたら、日本道路百選の見直しのときにでも農村の一つの原風景をなす道路としてその中に入れてもらいたいのだが。

もちろん、「昔はよかった」などと言うつもりはない。「昔に帰れ」などと言うつもりもさらさらない。しかし、農民の知恵、そのなかの一つである狭い土地からいかに多くの生産をあげていくか、人間と農作物・自然との調和をいかに図っていくかと模索するなかで生まれた知恵、これを後世に伝えてもいいのではなかろうか。

もう一つ、付け加えておきたい、日本の養蚕は世界で冠たるものだったと言ったが、蚕糸にかかわる研究教育もそうだった。試験研究機関でいえばかつては蚕糸試験場があって大きな力を発揮したものだつた。

しかし、それはもうなくなってしまった。もったいないことをするものだ。

養蚕はなくなる、養蚕農家はいなくなる、そうなれば当然桑の木もなくなる、はずである。品種改良等人間も関与して作りだした半ば人工物だからましてやだ。草本科ではなくて木本科植物だから若干長生きはするだろうが。

と思ったのだが、そうでもなさそうだ。帰化植物として完全に日本に根付いたよう、これからも桑の木のある風景は残って行きそうだ。

からっ風が吹きすさぶ中、三船敏郎扮する風来坊の浪人が一人桑畑の中を歩いて来る、そうである、この印象的な風景から始まる映画『用心棒』(注)、これを見てすぐに北関東をイメージしたものだが、やがてはあの畑が桑畑だ、北関東だなどということが誰にもわからなくなることだろう。

「かかあ天下とからっ風」、これは群馬の県民性を示すものとして全国的に知られているが、明治時代に栄えた絹産業を群馬の女性が支えたことに由来すると言われている。

桑畑、絹産業がなくなり、男女共同参画が進んだ現在、上州ではこの言葉はどうなったのだろうか。今も通用しているのだろうか。

群馬では。野生化した桑の木が見られるのだろうか。

群馬生まれの友人もすでに亡くなり、聞くに聞けなくなってしまった、さみしくなった。年は取りたくないものだ。

(注)監督:黒澤明、脚本:黒澤明・菊島隆三、主演:三船敏郎・仲代達矢、 配給:東宝、1961(昭36)年。

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