(439)国家と個人の『食』の決定権【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2025年6月13日
「ソブリンとエージェンシー」と聞いて、違いがわかる方はこの分野にかなり詳しい方ですね。今回は両者の違い、それが食料や農業にどう関わるかを見ていきましょう。
「ソブリン」とは英語の「sovereign」だ。一般的には「主権(者)」や「君主」などという意味で用いられる。金融分野では「ソブリン債」などという形で各国の政府・政府機関などが発行する債券を指す。
「食料主権」という言葉は、文字通り訳せばfood sovereigntyとなる。ソブリンの本来の意味に即して言えば、国民国家が他国や国際機関などに干渉されずに自国の食料に関する政策を決定する権利を示す。国家レベルで言えば、関税や輸出入規制、さらには農業規制なども広い意味での「食料主権」の問題になる。
ここで注意すべきは、「ソブリン」という言葉を用いると、どうしても国家が中心となることだ。それは間違いではない。ただし、「食料主権」をfood sovereigntyと訳した段階で重要な内容が失われる。
それは、国民国家を形成する個々の農民や人々、地域社会などからの視点である。小中学校で習った日本国憲法の前文・第1条・第12条・第15条には「主権在民」の思想が反映されている。それは国家の最終的な意思決定権、つまり主権は国民という大原則である。その意味では「主権在民」は、sovereignty lies with the peopleとなる。
ただし、英語のsovereigntyは個人の政治的主体性や能動性というところまでは含んでいないようだ。人々が自分の意志で能動的に政治などに関与する場合にはエージェンシー(agency)という単語が、例えば、political agencyなどという形で用いられる。
したがって、国民が政治的な主体として国家の権力を担うという意味の場合には、agency of the peopleの方が意味は近い。
微妙なニュアンスの違いは以下のようになる。
・sovereignty of the people : 法的な「主権在民」
・agency of the people : 国民の主体的・能動的な関与
これを「食」に当てはめると、
・food sovereignty : 誰が食料や食料システムを支配・決定するかに関わる概念
・food agency あるいはagency of food:人々が自分自身や家族のために何を食べるかを主体的に決める力
となる。
* *
多くの日本人にとって、英語のagencyという単語は「代理店」のイメージが強い。これは間違いではないが、先に述べたように、agencyは「個人や集団が自らの意志で物事を選択・行動し、その結果に影響を与える能力」、より簡単に言えば「行動する力(the ability to act)という別の意味で用いられることを理解しておく必要がある。
経済学と倫理学の立場からこの言葉をより深く、正確に「自分にとって価値ある目標を、自ら追求できる自由と能力(Agency is what a person is free to do and achieve in pursuit of whatever goals or values he or she regards as important)」と述べた先人は、アジア初のノーベル経済学賞受賞者であるインド人のアマルティア・センだ。
最後に、なぜ、これが重要かというと、社会科学において、この概念は社会の構造(structure)に対比されるからである。つまり、グローバル化の進展に伴い、いつの間にか、選択肢があるようでいて少なくなっていく現代では、何を食べるか、いつ食べるか、誰と食べるか、どのようにして食べるか、という人間として極めて当たり前の「自己決定権」あるいは「行為決定権」(これこそがagency)について述べているからだ。
タンパク質がなくなるから代替肉や昆虫食が重要というのは確かにひとつの「善意の提案」であろう。ただし、それは一歩間違うと「押しつけ」になる。自らの主体的な選択に基づいて食を選び、生産し、共有すること、この感覚は、常に意識していないと表面上の利便性や圧倒的な経済合理性の波に流されて見失われやすい。しかし、それこそが、私たちが食の将来のために見失ってはいけない「鍵」ではないだろうか。
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