「桑の木は残った」(?)【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第246回2023年7月6日

私事で申し訳ないのだが、私ども夫婦はかなりの高齢、4年前から家内が要介護1の宣告を受け、リハビリ施設に週2回(午前中だけだが)通うことになった。施設は自宅からゆっくり歩いて10分弱のすぐ近くなので私が家内を送迎することにした。車で送迎してもらう距離でもないと思ったからである。といっても家内一人では歩行が危険なので、私が家内と腕を組んで支えながら送迎するのだが(腕組みなど若い頃したことがないのに、この年になってと笑うしかない)。
それはそれとして、昼は12時半終わりなので、その5分前には到着し、入り口の前の駐車場のところでリハビリが終わって出てくる家内を待つ(施設の職員の方は中に入って待つようにと言ってくれるのだが)。
この施設の北脇に細い歩行者専用道路が走っている。それもくねくねと曲がりくねっている。
実はこの道路、私がこの辺に引っ越してきたころ(1965年)は山の方から下流部の田んぼに水を運ぶための用水堀だった、そして水が流れていた。やがて下流部の都市化が進んで田んぼの水は不要になり、さらに都市化の進展に伴う新規住民が用水堀に下水を流し込んだり、ゴミを捨てたりするので汚くなってきた。そこで仙台市はその用水堀に蓋をし、その蓋の上を歩行者が歩けるようにした。そしてその歩行者専用道路の脇にモミジ並木をつくった。今はモミジも大きくなり、いい散歩道となっている。
さて、家内の行くリハビリ施設のすぐ前にも、今言った並木のモミジの木が一本植えてある。私はいつもその木のところでリハビリの終わった家内が施設から出てくるのを待つことにしているのだが、あるときふと気がついた。
モミジの葉のなかに違った木の葉が入り交じっている。よくよく見てみたら、モミジの幹と接してまったく違った種類の木の幹が立っている。何の木だろう、この葉っぱは。かつて何度も見たことのある葉だ。何ともなつかしい、そうだ、これは桑の葉ではないか。
そういえばこの施設の周辺はその昔は田畑であり、この用水堀の近くにはなだらかな丘があり、そこに桑畑があった。宅地化が進んではいたが、私たちがこの近くに引っ越してきた1960年前後にはこの上流に田んぼもあり、さらに桑畑もあった、この桑の木はその畑の生き残りかその子孫なのではないだろうか。
もしかするとそのうちこの桑が実をつけるかもしれない、雌の木(もしくは雌雄同株)ならばだが。もし実がなったら食べてみよう、小学校時代に食べたっきり、もう何十年も食べていない。
そう思って毎回見ていたら、何と小さな緑色の実をつけた。そのうち大きくなって赤く色づきはじめ、やがて紫色になる、そうなったら食べよう、期待して待った。
しかし実はあまり大きくならない、子どもの頃見たこともないような何とも貧弱な実、それはそうだろう、根っこのほとんどがアスファルト舗装道路の下、まともに水分、栄養分をとることができないのだから。それでも生きているこの生命力、たいしたものである。だけどまともな実をつけられない、桑の木がかわいそうである。
それから注意してみるようになったら、あちこちに桑の木かあった。近所の八幡神社の杉林の藪の中などにはたくさん生えているし、空き家の敷地内をはじめ隙間を見つけては芽を出し、幹を伸ばしている。先日などはわが家の隣の家の塀とアスファルト道路の隙間の土のなかから芽を出し、大きく伸びてきた。さすがにお隣さん、塀が根っこで壊されたら大変なので切り取ったが。
ともかく大変な生命力だ。実は私、今から20年前、網走の地で桑の木が野生化して自生しているのを見ている。とすると、関東はもちろん、九州でも、全国各地で野生化した桑の木が自生しているのではなかろうか。人間が何千年もかけて改良してきた品種だから弱いのかと思ったらそうでもなかった、野性の血(いや樹液と言うべきなのかな)は残っていたのだ。
普通畑は二年も過ぎればここが畑だったなどとはわからなくなる。背の高い雑草、灌木で覆われた荒れ野原としか見えない。
桑畑は放棄されても数年はわかる。しかし後何十年かすれば桑の木は枯死し、ブナやナラを中心とする雑木林に変わるのだろうか。
そもそも桑は中国北部から朝鮮半島にかけての原産といわれ、日本へは古代に渡来したと考えられているよう、そして二千年も日本人とつきあってきた。「その私を見捨て、忘れていくのは許せない、野生化してでもこの日本の地に残り、その怨みを伝えていこう」、桑の木はそんなことを考えているのかもしれない。
年をとるとひがみっぽくなるという。今話したこともひがみの目で見ているからこそのことかもしれないが。
栄枯盛衰は世の定め、あきらめも年寄りの得意芸、これからはそう思って生きていこう。と思いながらなかなかできない。これも凡人の浅はかさなのだろう。
もう一つ、付け加えさせていただきたい。
昨年の秋に私が倒れ、もろもろの病が発見されたのを契機に、リハビリ施設への家内の送り迎えは施設の送迎自動車にお願いすることにした。
それで今年から施設前の桑の木を、桑の実を見ることはできなくなった。また、施設の隣の空き地に生えるツクシ採りもできず、ツクシを食べられなかった。楽にはなったのだが、ちょっと淋しかった。これも年のせい、これまたあきらめることにするしかない。
でも、野生化した桑の木はこれからもずっと生き延びるだろう、子孫を残し続けるだろう。昭和中期に発刊され、NHKテレビの大河ドラマ(1975年)にもなった山本周五郎の小説『樅の木は残った』(注)をもじっていえば「桑の木は残った」ということになるのだろうか。
日本の農業も農家もそれと同じくしつこく生き残ってもらえればいいのだが(もちろん発展してもらえばこれに勝る喜びはない)。
(注)講談社刊(全2巻)1958年、新潮文庫版(全3巻)。
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