敗戦直後の「里の秋」【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第262回2023年10月26日
戦争が終わった年の冬のこと、東北の農村部のある小さな町の小学校でこんなことがあった。音楽の時間、当時はまだ教科書がないので、NHKのラジオで歌われていた「里の秋」(注)をみんなで歌うことになった。
その前に、先生は歌の上手な一人の女の子にその歌を独唱させた。みんなの模範とするためだったのだろう。
「静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた」
その子のきれいな声にみんな静かに聞き入っていた。歌は進み、二番となった。
「あかるいあかるい 星の夜
なきなき夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す」
ここで突然、その子は声を詰まらせた。みんなどうしたのかとその子の顔を見た。
涙がその子の頬を伝っていた。
はっとみんな気が付いた。
その子はお母さんと二人で疎開してきていたのだが、お父さんは戦争に行って生死不明のまま南方からまだ帰ってきていなかったのである。
この歌はまさに彼女そのものだったのだ。
三番の歌詞の最後はこうだった、しかし彼女の歌はそこまで進めなかった。
「‐‐‐‐‐‐(略)‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ああ 父さんよ ご無事でと
栗の実食べては 祈ります」
その子といっしょに、同級生は、そして先生も、みんなみんないっしょに泣いた。
そのときのその子の歌声が、顔が、教室の情景が、いまだに忘れられない。
その場にいた同級生のうちの一人だった私の家内は、この歌を聞くたびに、そう言って涙を浮かべる。
「里の秋」、好きな歌である。でもその話を聞いてから私は歌えなくなった。私も涙が流れてくるようになったからである。これからも、一生、歌うことはできないだろう。
こうした祈りも空しく家に帰って来なかった人もたくさんいた。
戦後40年も過ぎた頃だが、近所の奥さんが家内にこんなことを話したと言う。
母親の違う兄がいた。小さい頃の自分はまったく同じ兄妹だと思って育った。自分は小さかったし、また兄はとっても自分をかわいがってくれたので、母が違うなどと考えもしなかった。違うらしいと気づき始めたころ、兄に召集令状がきて仙台の連隊に入営した。
少し経ってから葉書がきた。○月○日に戦地に行くために出発する、故郷の町の近くの線路を○時ころの列車で通る、という知らせだった。
最後に家族みんなの顔を見て戦地に行きたかったのだろう。しかし行く先はもちろん出発日時も秘密事項、外部に知らせるのは禁じられており、それを書いた葉書などは検閲で止められる。だから外出のときにでもこっそり投函したのだろう。
しかし、昔のとくに戦時中の郵便は届くまでに何日も何日もかかった。その葉書が届いたときはもう遅かった。届いたのはその列車の通った次の日だった。当然のことながら線路のそばで見送りすることはできなかった。
葉書が届いたとばかり思っている兄は、きっと汽車の窓から身を乗り出して義理の母と妹がどこにいるかを必死になって探しただろう。
しかしどこにもいなかった。どんなにがっかりしたことだろう。どんなに悲しく、淋しかったろう。
なぜ見送りできなかったかを手紙で知らせようと思っても、どこ宛てに出せばいいのかわからない。マル秘事項だからだ。どこかの戦地に着いたという手紙がきたらすぐにそこに出そうと思って待っていたが、手紙はまったく来なかった。
そのうち戦争が終わった。復員してきたらそのときの事情を話そう。そう思って待ちに待った。しかし兄は結局帰って来なかった。
来たのは戦死の公報だけだった。
あのとき会いに行けなかった事情、そのときの申し訳なさ、口惜しさ、悔しさ、悲しさを兄にもう伝えようがない。それが今でも胸の傷となって深く深く残っている。
この話を聞いた後、返す言葉がすぐに出なかった、こう家内は言う。
私の生家でも、幼い私を本当に可愛がってくれた叔父三人を戦地に送り出した。そのうちの上二人は帰ってこなかった。帰って来たのは白木の箱だけだった。中には遺骨のひとかけらも入っていなかった。
戦争、悲しいこと、辛いこと、苦しいこと、あまりにも多すぎた。平時でも農家の暮らしはそうだったのだが。
(注)歌:川田正子、作詞:斎藤信夫、作曲:海沼實、1945(昭20)年。
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