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悪党 新政実現への決断 楠木正成2016年8月15日

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【童門 冬二(歴史作家)】

◆水と道を支配する正成

 日本の歴史で大規模な政治変革が三回あった。大化の改新・建武の新政・明治維新だ。2回目3回目の変革目標は1回目の大化の改新である。
 大化の改新の改革で一番大きなものは、日本の農地と農民に対するものだ。改革の推進である中大兄皇子(天智天皇)や大海人皇子(天武天皇)たちは、
「王土王民」の説を唱えた。
・日本の国土はその所有者を天皇(王)とする
・しかしその土地は民の家族数に応じて配分する。この絆によって民は天皇に直結する。即ち王民となる
・王民となった民は、与えられた土地の面積と生産力によって税を負担する
 乱暴ないい方をすれば、日本の国土と国民は天皇に直属する。それまで中間支配層(というより搾取層)だった公家とか、地方豪族らを一切排除し、"二点間の最短距離は直線である"という簡単明瞭でわかりやすい政治形態を実現しよう、とした。が、これはそれほど簡単におこなえる改革ではない。政治の実権は下降して、公家に代り武士が実権をにぎって、北条執権政府が国政を牛耳ってしまった。ここで王権復活の企てが起り、共鳴者が出て「建武の新政」が実現する。
 河内(大阪府)の豪族楠木正成は、この政治変革の共鳴者だ。かれはこの地域の水利権の執行者であり、物流の支配者でもあった。農民にとって灌漑などの水利は欠くことができない。大袈裟にいえば水の獲得は"生命のやりとり"にさえなる。始終トラブルが起る。そこで一段高い所からこれを調整してくれる存在が必要になる。
 その存在は人間よりも神のほうがいい。そこで水分(すくまり)神社が設けられる。水分は水配りのことだろう。正成はこの地方の水分神社の管理者でもあった。隣接する大和(奈良県)地方には海がない。南下する川はすべて河内や難波(いずれも大阪府)で海に注ぐ。逆にいえば大和で必要とする物資は、その多くが河内を通ってはこびこまれる。その道路を管理(支配)しているのも、楠木正成だった。
 いってみれば正成は"生活に密着し、これを支配する豪族"だった。国土と国民と直接結びつきたい後醍醐天皇にすれば、正成のような存在こそ、自分と国民とをつなぐ頼もしい架け橋だった。そこで腹心の吉田定房という公家に、
「楠木正成を味方にせよ」と命じた。当時の身分制はまだ正成を直臣にはできなかったからだ。そこで伝説がつくられる。即ち、
「大きな樹の南面に天皇の御座所が設けられ、ひとりの武士が平伏してお迎えしている」
 という天皇がみたという夢の話だ。"木の南"ということで「楠木」になり、「楠木という武士を探せ」ということになった。
 おそらく「河内に生活者を保護する豪族に楠木正成という人物がいる」という情報をききこんでいた。天皇側近たちの書いた台本だろう。やらせだ。(挿絵)大和坂 和可


◆正成の悪は善だという後醍醐帝

 一方の正成はかねてからこのころの状況に大不満を持っていた。正成は地域と地域住民(とくに農民)のために、"中間搾取者"である公家や政府官人の存在をうとましく思っていた。正成は決して"反税主義者"ではない。「この国土に生きる以上、公正正当な年貢は負担すべきだ」と考え、地域でもそういう指導をしている。
 しかし政府官人の中には徴収した年貢を国庫に納めずに、自分の倉に納めてしまう者もいた。横領だ。これを知ると正成は部下を率いてその屋敷へ押しかけ、横領された米などを奪い返し主人をぶちのめす。これが評判になって正成は"悪党"とよばれた。が、正成は平気だった。
「正しいことをして悪党とよばれるのなら、甘んじてその名を受ける」と笑った。民衆にとって、何ともうれしい存在だったからだ。民衆にとっては、
「官(役)人のほうこそ悪党だ。楠木様はわれわれの味方だ」
 と、倒錯したいまの世の在り方に怒りをおぼえていた。正成は"義賊"だった。
 訪ねてきた吉田定房は丁重だった。たとえ地方では大きな実力者であっても、当時はやかましい身分社会だ。官位をもつ朝廷の高級官僚と、何の資格もない地方の豪族とでは立場が月とスッポンだ。まして正成は悪党とまでよばれている。丁重に客間に通して正成は入口近くにかしこまった。しかし吉田はさばけた公家だった。貧乏公家なのでくらしも苦しい。いきおい生きる上で数々の人間術をまなんだ。ひとめみれば、相手がどういう人物かおおよその見当はつく。
 正成と会って吉田の第一印象は、
(表面はしたたかだが、奥底に純粋なものをもっている)と感じた。そこで吉田は、
(うまいことをいわずに、率直に帝・後醍醐天皇の御志を話そう)と心をきめた。つまり正成の魂に天皇の魂を伝えよう、と考えたのだ。吉田は語った。
「帝は王土王民をめざしておいでだ。が、いまのこの国は北条政権のなすがままで、地方武士も豪族もほとんどこの風の中にいる。帝が御志をとげようにも味方は少ない。いまことを起せば国中を敵にすることになる。それを承知でおぬしに味方してほしい、というお話なのだ」
「光栄でございます。草深い河内の一隅に住むこの正成に過分なお使者、身がふるえます」
「ご承知下さるか」
「お受けいたします。ただひとつだけたしかめさせていただきたいことがございます」
「褒賞のことか。それなら新政実現の折に特段の思し召しがご沙汰あると思うが」
「そうではございません。土地や財産はもはや十分すぎるほど持っております。褒賞は全く必要ございません。おききしたいのは先ほどの王土王民のことでございます」
「どのような?」
「この河内に住む者は、すべて帝の土地に住む民であり、帝の民ということになりましょうか?」
「なる。なるとも。それが帝の御志だ」
「この正成も」
「当然だ。誰よりも先に」
 答えて吉田は笑った。手ごたえを感じた。率直に話してよかったと思った。正成の魂が誠実に応じてくれたのだ。正成の魂というのは「郷土愛と人間愛」だ。河内の土と水と緑と空気の、平和な保全とそこに住む人びとの安全と安心を希う心だ。正成は自分のことより、何よりもそれを求めてきた。
 だからこそ、それを侵す不当な権力とは武闘も恐れずに、これを叩きのめしたのだ。
「帝は私が悪党とよばれているのをご承知でおいでですか」
「よくご承知だ。正成の悪は善であるとの仰せだ」
「ありがたきしあわせ」
 正成は決断した。この態度表明でたちまち数十万の幕府軍にかこまれる。この中には足利高(のちに尊)氏もいた。しかし正成は善戦する。帝と直結した郷土愛と住民愛が、かれの戦意を少しも弱めなかったからである。
(挿絵)大和坂 和可

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