【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第15回 増収と「ダラ汲み百姓」2018年8月9日
話はちょっとだけ戦後に飛ぶが、農業基本法制定にもとずき農業構造改善事業が開始されて2年目(1964年)の冬のことである、福島県会津に調査に行ったときの帰りの列車のなかで、同行してくれた福島県の職員の方が次のような話をしてくれた。
構造改善事業で導入されたアメリカ製の大型コンバインによる稲の刈り取りの実験のために県がある農家の田んぼを借りた。いよいよ刈り取りが始った。そしたらコンバインの後ろに籾がぼろぼろこぼれる。それを見ていたそこの田んぼの持ち主のおばあちゃんが「やめてくれ、やめてくれ」と泣きながらコンバインの後を追っかけて走った。収量が落ちる分は県がきちんとお金で補償することにしているのだから、そんなことをする必要はないのに。
こう言って職員の方は笑った。しかし私は笑えなかった。そのおばあちゃんの気持ちが痛いほどよくわかったからである。
カネの問題ではないのだ。家族みんなで精魂こめて作った一粒一粒の米がもったいないのだ。この農民の意識、もったいないと思う気持ち、米を大事にする意識、一粒でも多くの米を少しでも多くの農産物を収穫しようとする農家の意欲がこれまでの日本の農業と食を支えてきたのである。
その頃まであったこうした増収意欲、日本人のもったいない意識は後に大きく変えられるのだが、それはとりあえずおこう。
話をまた私の子どもの頃(1930年代半ば)に戻す、かつての農家は増収のためにわら等の副産物、林野の落ち葉・草葉、家畜の糞尿、生ゴミを始めあらゆるものを肥料にして土地に帰した。
人糞尿などは最高の即効性肥料だった。自分の家のものだけでは少ないので都市の人糞尿も求めた。ただし、求めたからといってすべての農家が得られるわけではない。私の生家のある旧山形市の場合で言えば、牛車で早朝2時間以内で往復できる範囲内の農家しか利用できなかった。ダラ汲み(山形では人糞尿の汲み取りをこう呼んだ)で本来の農作業に差し支えるようでは何にもならないし、臭いなどで汲み取り先の迷惑にもなるので朝飯前に汲み取りを終えなければならなかったからである。したがって肥え汲みは都市近郊農家の特権といってもよかった。肥桶に汲んできた人糞尿はダラ桶(肥だめ)に容れ、そこで腐熟させ、田畑に直接もしくは堆肥に混ぜて散布する。それが都市近郊の米の単収の高さと野菜生産を支えた。
かって名著といわれた鎌形勲『山形県稲作史』では戦前の山形市の単収の高さを人糞尿とのかかわりで述べている。また市内はもちろん東京や仙台にも出荷される野菜にとってもダラ(下肥)は不可欠であった。だから農家は争って手に入れようとした。そして汲み取り先の確保のために、米を何升か対価として払うことを汲み取り先と契約した。人糞尿は労働の成果物でもないのに価格をもったのである。つまり農家は他人の尻の始末をしてやって、汚い仕事をしてやって、カネを受け取るどころか払うのだ。こんな矛盾した話はない。しかも臭い、汚いと軽蔑され、「ダラ汲み百姓」と街の人間に貶められてだ。そもそもその汚いダラ、自分たちの垂れ流した便をかけてつくった米や野菜を食べていながらよく言えるもんだと思ったりしたものだったが。
こうして土壌を豊かにすると、雑草が生えやすくなる。そもそも日本農業は草との闘いだった。ちょっとでも放置しておくと作物よりも草丈の方が高くなる。西欧などとは違ってわが国はモンスーン地帯にあり、褥耕(中耕)的風土であるということを大学院時代に教わったが、まったくその通りだった。水田の3回にわたる除草、何回かのヒエ抜き、畦畔の草刈り、そして畑の草取りと春から秋まで絶え間がなかった。明治中期から水田用の手押しの人力除草機が普及し、かなり省力化されたとはいえ、ぬかるんだ田んぼを何百回となく往復する労働はきつかった。しかも人力除草機を使用するのは一度だけであり、後の2回はやはり腰を曲げて除草しなければならなかった。なかでも三番草は辛いものだった。田んぼを這いずりまわりながら両手で泥をかき回して草を取り、土の中に押し込むのだが、夏の暑い日差しは容赦なく背中に照りつけ、目の中に汗が流れ込み、伸びた稲の葉先が目をつつき、目はウサギのように赤くなった。
除草ばかりではない。田植え、稲刈りなど一日中腰を曲げていなければならなかった。畜力や人力作業機が農業に導入されつつあったとしても、基本的には手労働であり、農業労働は苦役的ともいえるものだったのである。
本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。
重要な記事
最新の記事
-
【注意報】てんさいの褐斑病が早発 早めの防除開始を 北海道2025年7月2日
-
日本の農業、食料、いのちを守る 「辛抱強い津軽農民」立つ 青森県弘前市2025年7月2日
-
「食と農をつなぐアワード」募集開始 優良な取組を表彰 農水省2025年7月2日
-
秋元真夏の「ゆるふわたいむ」JAおきなわ食菜館「とよさき菜々色畑」へおつかい JAタウン2025年7月2日
-
三菱マヒンドラ農機 ペースト施肥、紙マルチ田植機、耕うん作業機の販売強化2025年7月2日
-
外来DNAをもたないゲノム編集植物 作出を大幅に効率化 農研機構2025年7月2日
-
「2025年度農業生物資源ジーンバンク事業シンポジウム」開催 農研機構2025年7月2日
-
創立100周年記念プレゼントキャンペーン第3弾を実施 井関農機2025年7月2日
-
住友化学園芸が「KINCHO園芸」に社名変更 大日本除虫菊グループへ親会社変更2025年7月2日
-
フランス産牛由来製品等 輸入を一時停止 農水省2025年7月2日
-
【人事異動】ヤンマーホールディングス(7月1日付)2025年7月2日
-
長野県、JA全農長野と連携 信州産食材使用の6商品発売 ファミリーマート2025年7月2日
-
地域共創型取り組み「協生農法プロジェクト」始動 岡山大学2025年7月2日
-
埼玉県産農産物を活用「Made in SAITAMA 優良加工食品大賞2026」募集2025年7月2日
-
黒胡椒×ごま油でおつまみにぴったり「堅ぶつ 黒胡椒」新発売 亀田製菓2025年7月2日
-
近江米新品種オーガニック米「きらみずき」パレスホテル東京で提供 滋賀県2025年7月2日
-
外食市場調査5月度 2019年比96.9% コロナ禍以降で最も回復2025年7月2日
-
王林がナビゲート 新CM「青森りんご植栽150周年」篇を公開 青森県りんご対策協議会2025年7月2日
-
飲むトマトサラダ 素材を活かした「カゴメ野菜ジュース トマトサラダ」新発売2025年7月2日
-
愛知県豊田市と「市内産業における柔軟な雇用環境の実現にむけた協定」締結 タイミー2025年7月2日