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コラム:グローバルとローカル:世界は今

【三石誠司 宮城大学教授】

2020.02.14 
【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】(168)「異文化」と「多文化」一覧へ

 日本語にも英語にも、ややこしい表現はある。それが本来の英語表現を日本語に訳し、いつの間にか当たり前になった時、実は本当はこう言うのが正しいと言われて戸惑う経験は多い。日本語の漢字に同音異義語があり、それを使い分ける時は今でも苦労するのと全く同じである。

 農業関係で1つ例をあげると10年程前に導入された戸別所得補償制度がある。とりあえず、これ以降はこの制度の是非とは全く関係無い内容であることを断っておく。単なる言葉としての話である。嘘みたいな話だが初めてこの制度、つまり「こべつしょとくほしょう」と聞いた時、「戸別」なのか「個別」なのかがわからなかった。

 内容を聞いて初めて理解したが、いきなり用語だけを音で聞いても殆どの人は悩むと思う。実際、学生のレポートなどでは今でもこの制度の正式名称について、単なる変換ミスなのか実は勘違いなのかわからないものが多い。この言葉は、「補償」というさらにややこしい単語を伴っている。「補償」と「保証」と「保障」である。「戸別」と「個別」で悩み、さらに「補償」と「保証」と「保障」で悩む。組み合わせは6通り存在するため、この制度をきっかけに各々の言葉の意味を再確認した人も多かったのではないだろうか。

 実際、内容ではなく、音だけで聞いて直ぐに全ての言葉の正確な表記を思い浮かべられる人は意外に少ないし、そんな事で優越感を持っても意味がない。我々は表意文字を使用している以上、多くの人は見れば正解がわかるが、それでも「戸別所得補償制度」の漢字は紛らわしい要素を上手く組み合わせている点で、学生の選択試験用としては面白い。一度、6通りを並べて試験に出してみたい誘惑に駆られる。ちなみにこの制度、現在では経営所得安定制度という名称になっている。

 さて、今週のタイトルに話を戻すと、「異文化」と「多文化」という言葉がある。先日、ふとしたことから学内である文書に関わり、その中で「異文化間交流」という表現を目にした。英語で言えばcross-cultural の交流である。

 この表現は、現在でも英語圏の大学や公式文書などで良く使われている。だが、最近ではこの言葉とは別にmulti-cultural という表現が使われる事が多い。日本語に当てはめれば、前者のcross-cultural が「異文化間」になり、後者のmulti-cultural が「多文化間」ということになる。

 考えてみればよくわかるが、「異」という語を使用すると、「異」に対する「正」のようなものを無意識に想定することになる。言い方を変えれば、何か「正」に相当するものが先に存在し、それに対して「異」が存在することを前提とした表現ではないかという疑問が生じる訳だ。これは比較という視点からは単純で分かりやすいが、やはりおかしい。

 我々は少なからず自分自身が育ってきた言語・文化・歴史・環境などに価値判断の基準としての影響を受けているが、それでもお互い異なる背景を持つ相手をそれなりに尊敬することができるはずだ。これはレヴィ・ストロースの例などを持ち出さなくても多くの人は、相手を同じ人間として見ればわかる話である。

 恥ずかしながら、筆者も「異文化」という用語を何度も無意識に使用したことがある。立場を逆にし、自分たちが属している文化を「異文化」と評価された時の気持ちを思うと非常にやりきれなくなる。海外生活にようやく慣れたと思った時に限って自分はこの国ではやはり「異人」なのだと感じたことは何度もある。それと同じかもしれない。行き過ぎた「言葉狩り」には思うところがあるが、重要な概念の違いにはしっかりとした意識を持ちたいものだ。

 ちなみに、cross-culturalとmulti-culturalの他に、英語ではinter-cultural という表現もある。かつて宗教の世界で「正」を規範とし、それと異なるものを「異端」あるいは「邪」とした歴史がある。あくまでも感覚的な話だが、cross-cultural の場合にはどうしても何らかの基準から相手を判断しがちになる。それに対し、お互い異なる文化であることを理解した上で共存しているような状態がmulti-culturalであろう。そして、共存する多くの文化の違いを相互によく理解し、尊敬しあっている状況がinter-culturalのレベルと考えると比較的近いようだ。

 もっともこうした用語の微妙な意味の違いは、必要以上に違いを強調することを訓練されてきた研究者には当たり前でも、一般的には紛らわしいだけかもしれない。。重要なことは、どのような文化も、それだけが絶対的に正しいものではなく、様々な経過と理由の上に構築されたものであると理解し、相互に尊敬する気持ちを持つことであろう。


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