常時必要な『空気』読み【童門冬二・小説決断の時―歴史に学ぶ―】2022年2月5日
戦国末期から江戸時代初期にかけては、日本も国際貿易が盛んだった。特に関ケ原合戦後の徳川家康が天下人(征夷大将軍)になると、自身の蓄財欲も含めて貿易を奨励したので、意欲ある商人は、先を争って船を仕立て東南アジアの諸港めざして出船して行った。
大賀宗九(おおが・そうく)も代表的なその一人だ。博多に拠点を設け、主として明(みん・中国)やマカオ等の商人と取引きをしていた。マカオの店は宗伯の設けた支店だった。
「この風潮はまだまだ続く。息子も早くから海外貿易の実務を身につけさせよう」
そう考えて(空気をそう読んで)息子の宗伯(そうはく)を、十二歳の時に思い切ってマカオ支店に修業に出した。時代の空気は当分変わらないと踏んだのだ。そしてそう信じたまま寛永七(一六三〇)年に死んだ。宗伯はあとを継ぐために帰国した。二十歳になっていた。しかし宗伯は父とは違った。マカオにいても日本国内の〝変化する空気〟は、的確につかんでいた。
政権は家康の孫家光に移り、家光は三代目の将軍になっていた。
国際関係についていえば、貿易にキリスト教の一部組織の関与が強く、長崎では領主大名が所有地を教会設立のために寄付して所有権を放棄したりしていた。この組織はいよいよ勢いを強めた。
博多港も長崎港も、幕府が直接貿易を行なう意欲を露骨にし、その任には長崎奉行が当るだろうという噂がしきりだった。
博多の商人たちも、この噂を本気で信じ始め経営の再編成を考えているということだった。つまり父親が信じてやまない〝不変の空気〟が大きく変わりはじめているのだ。
博多港を管理する領主は、黒田長政という大名で父親は〝日本一頭の鋭い男〟といわれた黒田如水(孝高)だ。
こういう情報を精査した宗伯は、すでに日本上陸後の経営方針を練り固めていた。その根幹は、一言でいえば、
「国際貿易から撤退する」というもので、その代り、
「地域での商売に専念する」ということだった。もちろんこの方針転換は、上陸と同時に行えるものではない。近頃の貿易は父親が単独で行なっているのではなく、何人かの同業者とグループをつくっていた。そこから抜け出るわけだから、時間がかかる。またグループを納得させる理由がいる。その理由はすでに考えていた。
「領主黒田家のニーズ(需要)が大量なので」というものだ。はっきりいえば宗伯の方針は、
・黒田家の御用商人になる
・博多港の性格を国際港から地方港に転換する
・地域住民のニーズに応えることを優先する
というものだ。
だから今宗伯が焦点を絞っているのが、
「領主の黒田家をそういう気にさせる」
ということであり、そのための工作だった。
格好の事件が起った。それも二つ。
世界を忘れまず地元奉仕を
一つは「島原・天草の乱」だ。宗伯はすぐ大砲(木製)や空俵(使途不明)を大量に船に積んで、海を渡り黒田家の陣に届けた。これが寛永十四年。黒田家は目を見張った。「おおが」という商人の名は強く藩の財政担当役人の胸に刻まれた。
二つ目は、貿易再開を求めて長崎港にやってきたポルトガル船の打ち払い。島原・天草の乱によって幕府は鎖国した。キリスト教も禁じた。特に布教師を多く派遣していたポルトガル国とは断交。これらはすべて宗伯の先読みが当っていた。
ポルトガル船打払いは、長崎港警備担当の黒田家と佐賀の鍋島家が命ぜられた。両家共船を焼く″焼き草"の調達に頭を悩ました。特に黒田家は地理的に長崎港は鍋島家より遠い。
「黒田家がポルトガル船を焼くための、焼き草調達に苦労している」と聞いた宗伯はニコリと笑った。店の者に、
「オレに従いて来い」と告げ、番頭には、
「店にある現金を全部持って来い」と命じた。長崎港に近い村々に乗りこむと、村役人に交渉を始め、家々が葺(ふ)いている屋根の藁(わら)を全部買取った。値は惜しまなかった。云いなりに支払った。
「そろそろ葺き替えの時期だな」
村の各戸の屋根を見ながらそう思っていた。村役人には、降って湧いた幸運だった。屋根の職人の手で剥(は)がされた藁は、大八車に乗せられ、ポルトガル船と睨み合っている黒田家の陣に届けられた。
焼き払いの指揮を執(と)っていたのは三代目の光之(みつゆき)だ。大量の焼き草が大賀という出入り商人の手で届けられた、と聞くと大喜びした。
「その商人をここへ呼べ」。宗伯がくると、大げさな礼を云って着ていた陣羽織を脱いで与え、
「城へ出入りせよ。五十人扶持を与える」と宣言した。宗伯の誠心と気迫が通じたのだ。
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