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樹液と戦前昭和の子ども【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第378回2026年2月26日

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今から90年前、戦前・戦中昭和の話と、70年前全国的に行われた戦後昭和の市町村の大合併(1954年)以前の話である、旧山形市の市街地の外れにある私の生家から南に500メートルくらい国道(旧国道13号線)を歩いて行くと、奥羽山脈から田んぼの中を流れ下ってくる一貫清水(いつかんしみず)(私たちは「えっかんすず」と言っていた)という名の川があった(今はもう町の中、どこにそんな川があるのかわからないような状況になっているが)。川幅は数メートル、深さもたいしたことはないが、きれいな冷たい水であり、灌漑用水として大きな役割を果していた。
 川の両岸にはさまざまな木が生えていて藪になっているが、たまにイチジクとかクルミとかの木があった。そうした木の実を採りに藪の中に入ろうとすると、年上の子からきつく注意された。まず蛇や毒虫に気をつけろである。次に漆の木に絶対触るなだった。とくにその枝を折ったり葉っぱを採ったりするな、そのときに出てくる液(つゆ)が皮膚に触るとかぶれ(接触皮膚炎を起こし)て真っ赤に腫れ上がる、下手をすると死んでしまう、こう言っておどかされる。そう言われてもどれが漆の木かわからない。するとこう教えられる、秋になると葉っぱが真っ赤になる、だけどモミジではない、それが漆だから覚えておいて気をつけろと。
小さいころから皮膚が弱くていろいろな皮膚病にかかった私、できるだけ藪に近付かないようにしたし、漆の木のある山が近くになかったこともあって、漆にかぶれることはなかった。

でも、低い丘陵地のある宮城県南の小さな町に育った家内はかぶれたことがあると言う。山の畑の近くの藪の中に誰にも見付からないような平らな場所を友だちと見つけ、秘密の隠れ家と称してそこに何回か遊びに行っているうちに漆に触ったらしく、腕に赤くぽつぽつがたくさんでき、かなり腫れあがって痛痒かったそうだが、当時は薬もなし、腫れがひくまで我慢するより他なかったとのことである。
このように漆の樹液には悪い印象があるのだが、わが家にある木製のお椀やお膳は、客用のものも家族用のものも、すべて漆塗りであり、漆というものはきわめて大事なものと徐々にわかってきた。しかし、そのお椀などに触ってもかぶれない。漆の木の幹に傷をつけて樹液の漆をとる人たちや漆器職人の方がかぶれないこともそのうちわかってくる。それがなぜなのか、不思議に思ったものだった。

小学校(当時は国民学校と称した)に入ってからは戦争一色、太平洋での日本大勝利のニュースが新聞、ラジオで連日報じられ、学校でも教え込まれた。それでアジア諸国の地理が叩き込まれたが、そのなかで覚えた一つにマレー半島があり、そこにはゴムの木を植えてあるゴム園があり、そのゴムの木の幹に傷をつけて樹液を採り、その樹液からゴムをつくるのだということを知った。
私たちが遊びの対象とした桜や松のヤニ、これは樹液の固まったものだということを自然のうちに知っていたが、そのヤニのネバネバから考えて樹液がゴムになるのは何となくわかるような気がした。
 消しゴムをはじめとしてゴム製品が生活に不可欠のものとなりつつあった時代、それを白人から取り戻して日本のものにする、軍国少年としてはうれしく思ったものだった。

敗戦の色が濃くなったころ、「松根油(しようこんゆ)」掘りで上級生が勤労動員に駆り出されるようになった。松の根を掘り、それを絞ってつくった樹液=松根油を飛行機のエンジンの油にするというのである。樹液の固まった松脂が薬のようなかなりきつい臭いがするのでさもありなんと思ったものだったが、私たちは低学年だったため松の根掘りには動員されなかった。先輩たちに聞くと深くしっかり張った根を掘り起こすのはかなり大変だったとのことである。旧制中学時代に動員された中学のときの担任の先生がこんな話をしてくれたことがある。苦労して掘った根っこなのに、機械にかけて出てくる薄黒い液がぽたりぽたりとしか落ちてこないのを見て、何ともみじめな思いがしたものだったと。
正確に言うとこの松根油は樹液ではなく、私たちが絞ると思っていたのは乾溜するということなのだそうだが、樹液という言葉でどうしても松根油を思い起こしてしまうのである。

私たちがいつもモミジと呼んでいる木はカエデと言うのが正しいのだそうだ、こんな話を聞いたのはいつごろだったろうか。
そのカエデのなかにサトウカエデという木があり、その樹液から砂糖をとる国があるというのを何かの本でみて信じられない思いをしたものだった、これもいつだったろうか。戦前、私の小学校低学年のころではなかったろうか。
 このサトウカエデの葉がカナダの国旗になっていると知ったのは戦後だったと思う。
そういえば、戦中戦後の砂糖不足の時、日本にも甘い樹液を出すカエデがあるそうだなどという話を聞き、どのモミジがそうなのか探して砂糖をつくる発明をしようなどと夢想したこともあった。

戦後も高度経済成長期に入ったころから、サトウカエデなどの樹液を濃縮した甘味料のメープルシロップ、それを濃縮したメープルシュガーが輸入されるようになり、簡単に手に入るようになった。サラサラして甘みもきつくなく何となく上品な感じがしたものだったが、サトウカエデのことなどいつの間にか忘れてしまっていた。
漆についてもあまり考えなくなっていた。漆器が陶磁器やプラスチック製品に置き換えられるようになったこともあるが、漆のほとんどが中国からの輸入となり、漆の木も減っていたからだろう。「漆器」は、英語でjapanと表記されていることからもわかるように、日本を代表する産物だったのだが、何か寂しい気がする。漆かぶれが騒がれなくなっているのはいいことだが。
 もちろん松根油などは忘れ去られ、天然ゴムは合成ゴムに代わり、ヤニで遊ぶような子どももいなくなった。
そんなことから、私も樹液のことなど完全に忘れていた。その樹液を改めて認識したのは今から二十数年前、北海道の網走に住んでいた時のことだった(この話の続きは次回にさせていただく)。

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