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【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】(179)中国の人口減少と疫病2020年5月8日

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【三石誠司 宮城大学教授】

「我慢ウイーク」の間に少し調べものをした。世の中は便利な時代になり、筆者のように曖昧な漢字の知識しか無い者でも中国語文献と無料翻訳ソフトを駆使すると、微妙なニュアンスはわからなくても数字を中心とした資料であれば読むことができる時代になった。今回のきっかけは、中国哲学が専門の東洋大学の山田利明教授による「中国史に見る人口激減現象について」(2018)という興味深い文献を目にしたことによる。

山田教授の文献は、過去から現在に至る中国の人口史の中で、目立つ形での人口増減を記している。その中で筆者が興味ある記述に出会ったので簡単に紹介したい。

「1億人を越えるのは光宗の紹熙4年(1193)、1億0135万9000人である。970年のほぼ 3000万人が 220年で1億人を超えたわけである。ただしこのあたりがピークであり、10年後からは滅少期に入り、恭宗の徳祐元年(1275)には 5474万8000人に半減している。僅か80年で半減である。人口が増えた原因にはいくつかの要因が考えられる。1つは物流の盛行である。宋王朝は、それまで日没から日出まで閉門されていた城市の門を、24時間開門した。これによって、物流は夜間も滞ることなく、物資は城内の市に運ばれた。さらに紙幣の流通である。これは交鈔あるいは交子などと称さる1種の手形であったが、後に兌換性をもった紙幣として流通した。これにより遠方との取り引が可能となり、物資が豊富に出回るようになった。そうなると、商工業が発達し人口も増えることになる。」

まず、人口が増えた原因を、「物流の盛行」「24時間開門」「紙幣の流通」としている。最近の言葉で言えば、物流のグローバル化が進み、24時間営業と代金決済の円滑化が進展したということである。これはなるほど、今も昔も変わらないと納得である。その後、人口は8~9000万人程度で推移するようだが、実は次が注目すべき点である。

「1億人台に増えた光宗の時代以後、人口は下降期に入り、端宗の景炎元年(1276)には半減して 5492万3000人である。光宗の紹熙4年からわずか 83年しか経ていない。考えられるのは、モンゴル王朝である元の世祖による統一がその3年後であるから、王朝末期の混乱によるか、あるいはモンゴル軍の侵地を除いた人口数であるのか、あるいは流民の発生か。ただし、当時の農業事情からいえば、1億人というのはすでに食糧供給の限界を越えていたのかも知れない。そうであれば、旱害・水害あるいは蝗害による不作があれば、必ず饑饉が引き起されることになろう。」

文中にあるように1193年の1億0135万9000から1276年には5492万3000人とほぼ半減している。これは何故か。山田教授は「王朝末期の混乱」「モンゴル軍の侵地を除いた人口」、あるいは「旱害・水害・蝗害による飢饉」の可能性を指摘している。

そこで、『中国人口史』そのものを見てみたいと思ったところ、何とネットで公開されていることが判明した。その中で12世紀初頭の項目、つまり「宗金」を見つけ出し、少しずつ翻訳してみたところ興味深い数字に出会った。

(原文はネット上で表記するのは難しいので)これを翻訳ソフトで現代語に訳すと、

「宋寧宗嘉定11年(1218年)の実人口は1360万世帯、8060万人と推定されている。実際の人口は約7680万人と推定されている。宋5年(1264年)の世帯数は569万6989世帯、男性人口は1302万6532人であった。実際の人口は約3500万人と推定されている。」

もしかしたら先に山田教授が示した射程をわずかであるが狭めることができたのかもしれないし、全くの見当違いかもしれない。だが、上の数字で見れば人口半減のピークの期間は半世紀程度と見ることもできる。いずれにせよ13世紀の初めに当時の中国の人口を大きく減少させる「何か」があったことは間違いないようだ。

先に示されたいくつかの要因の他、中国史の中では飢饉と一緒によく表れる「疫病」、この時代であれば恐らく感染症、そしてこれだけの人口減少をもたらすものとして具体的には「ペスト」、この可能性についてもう少し考えてみたいと思った次第である。中世ヨーロッパにペストが持ち込まれるのは、このさらに後になる。

  
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三石誠司・宮城大学教授のコラム【グローバルとローカル:世界は今】

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