島の宝で自治を獲得 奥山交竹院【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年1月7日

江島・生島の密会に協力
江戸中期の正徳四(一七一四)年に、「江島・生島」事件が起こった。江島は大奥の局(幹部)であり、三十代の女性だ。生島は、新五郎という名の歌舞伎役者で、四十歳を過ぎていたが、その美貌で江戸市中の人気を集めていた。将軍の妻の代参で、江戸城内の神社にお参りをした江島は、この生島新五郎を見染めた。その慕情はどうにもならなくなった。やがて仲介者がいて、二人は完全な恋仲になった。
この時、二人の密会の場を提供したのが奥山交竹院である。将軍の医師だった。やがてこの密会がばれて、江島は信州(長野県)高遠へ、役者の生島は三宅島へ、場所の提供者奥山交竹院は御蔵島に流された。
交竹院が島に流された御蔵島は、三宅島の支配下にあった。島の仕事に必要な公文書に押すハンコ(印判)は、島の神主の所有物だったが、ある時三宅島の島役人の要望によって、神主がハンコを渡してしまった。事務は簡略化されたが逆に三宅島の支配力が御蔵島に及んだ。一つの例で、食料の問題がある。三宅島の島役人は、御蔵島の人口増を好まなかった。いつの頃からか、住民定数を百人に決めていた。百人以上の人口が増えても、食料の供給はしない。逆に、百人を保つために新しく生まれた生命は必ず処理させた(間引き)。そういうつまり、今でいえば「島としての自治力」を失っていたのである。島民は、三宅島の支配に常に苦しんだ。流された奥山交竹院は、すぐこの事実を知った。かれは、最早江戸には帰れまいと思っていた。だから、「どうせ、この島で死ぬのなら、島の人々の役に立つことを何か一つでもしたい」と思っていた。もちろん生業であった医師の能力を発揮して、島に沢山ある薬草などを患者に供することを仕事としたが、それだけでは物足りない。
ツゲの大活用
島の社の主である加藤蔵人という人物が訪ねて来た。そして、三宅島に支配される御蔵島の窮境を語り、
「何とかして、かつて渡した島のハンコを取戻し、御蔵島としての自治力を取戻したい」
と告げた。交竹院はこれに乗った。
「島の名産品には何がありますか」と訊いた。加藤は、
「ツゲとマキ(槇)が名産品です。伊豆の島々の中でも、最も質のいいツゲとマキが採れます」
「それを使いましょう」
交竹院はそう告げて、加藤にツゲとマキの用意をさせた。そして伝手を頼ってこれをかつての同僚である大奥の侍医桂川甫筑に届け、
「実は、これこれの目的に使いたいのだ」と頼んだ。二人は仲が良かったので桂川は了解し、そのことを島を統括している代官の斎藤喜六郎に話した。この頃の代官は、全部島役人に仕事を任せ、自分では島に渡って仕事をしたことがなかったので、斎藤も驚いた。
「そんな酷い現実があったのか」と、自分の職務を見直した。やがて将軍の代が変り、八代将軍徳川吉宗になり、庶民業務については江戸町奉行が扱うことになった。江戸町奉行は大岡越前守である。かれは地方代官の腐敗に怒りを覚えていたので、御蔵島から要請の来た奥山交竹院の願いにたちまち乗った。そして、担当代官の斎藤喜六郎に、
「善処せよ」と命じた。交竹院が島で伐採させ、江戸に届けるツゲは江戸の女性たちの大人気を博し、飛ぶように売れた。交竹院は、村人たちを指揮し、つぎつぎとその需要を満たした。しかし、この活動を知った三宅島の島役人が、島民を使って妨害をした。が、おそらく大岡の裁きだろうと思うが、斎藤喜六郎代官の決断によって、三宅島が所有していた御蔵島のハンコは返納された。これが享保十四(一七二九)年七月の事であった。交竹院が島に流されてから、もう十数年経っていた。この頃は、交竹院も体の不調を覚え、病気がちであったのでハラハラしていた。
しかし、「御蔵島のハンコが戻って来た」という報告を聞くと、安心したのだろうその年の八月二十四日にニッコリ笑って死んだ。島の人々は交竹院・中継ぎの桂川甫筑そして、最初にそのことを交竹院に頼んだ島の神主加藤蔵人に感謝し、三人を神に祀った。社の名を"三宝神社"という。ハンコが戻ってきた年は巳の歳だったので、神社には村人の作った歌が刻まれた。
巳の歳に 巳倉の願ひ巳な叶ひ 巳よや
巳船を 巳なも悦ぶ
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