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トロロイモ、ヤマノイモ・ナガイモ【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第347回2025年7月3日

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トロロイモをすりおろし、醤油を入れてかき混ぜ、それをご飯の上にかけて食べる。スルスルッとおなかに入る。何杯もおかわりしたくなる。おいしかった。大好きだった。

山形の私の生家ではこのトロロイモを栽培していたが、ときどきもらい物をすりおろしたというトロロが食卓に出る。ものすごく粘っこくて、すりおろしたものが途中で切れず、幼い頃の私には食べにくくてしかたがなかった。しかもまずいし、口のまわりがかゆくもなる。味噌汁にそれを入れて粘りを少なくし、それをご飯にかけて食べさせられた記憶もあるが、これもうまいとは思わなかった。このイモがヤマイモあるいはジネンジョ(自然薯)というもので、山に自生しているものだということはかなり後になって私は知った。

 宮城県生まれの家内は、このジネンジョをすり鉢ですりおろし、だし汁と味噌を入れて粘りを少なくし、ご飯にかけて食べた、それをトロロと言ったという。私が食べていたようなトロロイモは子どものころ食べたことがなかったとのことである。
 これは、家内の家の近くには雑木林の低い山が広がっており、ここに自生しているジネンジョがあるのでそれを食べて育ったということなのだろう。

もう一つ後になって知ったのは、トロロイモというのはとろろにして食べるイモ全体の総称だったことである。
 そしてそれには生物学的にその性格をかなり異にするヤマノイモとナガイモとの二種あり、前者は自生しており、後者は栽培しかできないこと、ヤマノイモはいま述べたジネンジョもしくはヤマイモと呼ばれるものであり、ナガイモにはナガイモ、ツクネイモ、イチョウイモの三群あり、そのなかにまた多様な品種がある、ということを知った。
 私がトロロイモと言っていたのは、円柱状をしていて粘りの少ない、一般に言われるナガイモのことだったのである。

このナガイモを育てるのは大変だった。まず畑をかなり深く耕さなければならない。そうしないとイモが地下に伸びていかないからだ。さらに収穫が大変だ。イモが折れたりしないように注意しながら、イモのすぐわきを一メートルくらい深く掘り、そくっと土から外れるようにする。重労働だった。だから、そんなに面積はつくれなかった。一戸平均1アールとか2アールがせいぜいだった。
ご存じのように、ナガイモは蔓性植物なのでその蔓をはわせる高い支柱を立てる。この支柱は、細い木もしくは竹で、それを植えたイモのわきに刺し、それにイモの蔓を這わせるのである。
 このナガイモの蔓がかなり伸びたころ、それに直径1センチくらいの丸いこげ茶色の実がなる。「むかご」と私たちはそれを呼んだが、生家の周辺では食べなかった。でもおいしそうに見える。これをトマトかトウモロコシくらいに大きくして食べられるようにできないだろうか、そうすれば一石二鳥だなどと夢想したものだった。実際にむかごが食べられるとわかったのは青森県南部の三戸町に行ったときだった。朝市(夕方も開いているようだったが、平日でもかなり賑やかだった)の野菜などを売る露店でそれを売っていた。そのまま塩で炒ったり、ご飯に炊きこんだりして食べるのだそうである。味はイモとほぼ同じだというが、まだ食べたことはない。なお、このむかごは種としても使える。しかし、成長に時間がかかるので、イモを切って植えて芽を出させるのが普通だった。

1980年ころのことである。青森県十和田市に行ったら一戸で20~30アールも栽培していた。驚いた。そんな大面積は労力的にできるわけはないと思っていたからだ。
 それを可能にしたのはトレンチャーという機械だった。この機械で、幅15センチ、深さ1メートルくらい耕してそこに種イモを植え、収穫時には地中深く伸びたナガイモの脇を同じく深さ1メートルくらい掘って収穫するのである。こうするとナガイモはやわらかい土の中をのびのびと成長し、さらにそれを折ったり傷つけたりすることなく収穫することができる。まさに画期的な技術だった。このようにもっとも大変な収穫労働が省力化された。さらにトラクターによる植え付け、支柱のネットへの切り替え等も進んだ。それで栽培面積を拡大することができるようにしたのである。

また、晩秋から初冬にかけて行う収穫の一部を3~4月の早春に行うようにした。冬期間畑の土の中で天然貯蔵しておくことで、収穫労働が一時期に集中しないようにしたのである。このように収穫を秋掘りと春掘りの2回に分けたこと、さらに高速洗浄、低温貯蔵施設の整備を進めたことも規模拡大を可能にし、同時に有利な販売を可能にした。その後も専用収穫機の開発で一層の省力化を進め、品質を向上させている。
なお、十和田市農協が独自に試験圃場を持ち、さまざまな栽培技術の開発、普及を進めてきたことも特筆する必要があろう。
こうした努力のなかで、作付面積が急速に拡大し、十和田市を中心とする青森県の南部畑作地帯は全国トップの大産地となり、国内流通量の約4割を占めるにいたった。さらにニンニク、ニンジン、ダイコン等々の畑作物の産地としても成長した。
同時に、ここの長いもの栽培技術が他地域にも普及していった。そして消費者はナガイモの食を今まで以上に豊かに享受できるようになった。

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