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【書評】評伝:山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い 先崎千尋2021年3月12日

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先崎千尋著:評伝 山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い
日本経済評論社:発行
本体価格:3200円(税別)

「貧しさからの解放」の軌跡

評伝:山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い 書影評伝:山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い 書影

熱血漢が二人の「山口」に挑む!

知る人ぞ知る山口武秀と山口一門。この二人の先達に、先﨑千尋(まっさき・ちひろ)さんが襷(たすき)掛けで挑んでいる。さて、どうさばくか。三者の胸躍る組み合わせは、一つの「事件」と言っても良いくらいだ。そこに、本書の注目度と価値がある。

農業・農村・農協は変貌した。担い手も代替わりしている。変遷の軌跡は本書に委ねるとして、三者の名を知らない人がいても不思議ではない。「知る人ぞ知る」と記したゆえんである。舞台は茨城県だが、この国の農業・農村・農協の戦前・戦後史を巧みに織り込んでいるところに、先﨑さんの蘊蓄(うんちく)がある。

1942年那珂郡静村(那珂市)生まれの先﨑さんが、仮に幕末の人であったら、9代藩主斉昭の旗下にあって水戸天狗党の激派に与し、若くして落命していただろうと言い、一笑に付されたことがある。その無垢(むく)な魂と「水戸っぽ」の反骨精神と行動力を鑑みれば、諸生党(守旧派)と激突した藩政改革派の「過激分子」のひとりであったに間違いない。いまもそうだが、逢いたい人がいると、韋駄天(いだてん)の如くどこへでもすっ飛んでいく。一本気で超人的な行動力は、天性のものだ。

慶応の経済を卒業した先﨑さんは、学び舎で得た知見を農業・農村のために生かそうと農協界に飛び込んだ。全販連(全農)から群馬・永明(前橋市農協)、水戸市(水戸農協)と転籍して帰郷し、瓜連町(常陸農協)へ。ひたちなか(常陸農協)では専務理事を務めた。瓜連町議や瓜連町長なども歴任。現在は累代の農業に専念している。

この間には『農協のあり方を考える』『農協に明日はあるか』『よみがえれ農協』『邑から日本を見る』などのほか郷土史の著作も数多く、圧倒的な博覧強記は、書評子などの及ぶところではない。

「農業の大義」に懸けた生涯に学ぶ

そんな先﨑さんが、「戦後茨城農業の〈後進性〉との闘い」に挑んだ二人の「山口」の半生を、郷土史に精通した卓見と詳細な統計データを動員し、科学的に解き明かしている。

茨城県は現在、北海道を除けば全国で常に三指に入る農業産出額を誇り、鹿児島県や千葉県と競い合っている。しかし中小地主を中心に、地主・小作制度が堅固で封建遺制が牢固だった戦前や、農業生産性が低く商品経済の対応に出遅れた戦後の「茨城農業」は、著しい〈後れ〉を取っていた。そうした「後進性」の打破に、武秀と一門はそれぞれの流儀で挑んだ。

生涯を「茨城農業」に尽くした二人の「山口」とは、どんな人物だったのか。掲載写真は、いずれもいぶし銀の輝きを放ち、実に凛々(りり)しい眼差しと面立ちをしている。男の中の男だ。

山口武秀(1915~1992)は、鹿島郡新宮村(鉾田市)の地主兼廻船問屋の家に生まれた。一門もそうだが、武秀も正義感が強かった。中学を中退した武秀は、やがて「地主の土地取り上げ」反対闘争に加わり、農民解放の志を抱く。33年には日本共産党に入り、小作料減免闘争を指導。37年には20代前半で全農茨城県連書記長に就任するが、翌年秋に治安維持法違反で検挙され、懲役3年の実刑に服している。

敗戦後は直ちに村政民主化運動を立ち上げた。46年には常東農民組合を結成し、日農茨城県連書記長に。農地改革が進む中で土地取り上げ反対・未墾地解放闘争などに連戦連勝する。農民運動の勢いに乗り、武秀は47、49年の衆議院議員選挙に当選。農地改革が終結すると、「土地を農民へ」の闘いを「反独占」闘争に切り替えた。

53年からは甘藷(かんしょ)価格闘争や営農資金獲得闘争などで勇名を馳せる。その後も続く武秀の闘いは、農民の要求を実力で獲得する野武士のような戦闘能力に長けていた。天性の戦略・戦術家だったが、身辺は決して穏やかではなかった。武秀は、そうした自己をも洞察する冷めた目を持っていた。

山口一門(1918~2011)は、江戸期に村役を務めた新治郡玉川村(小美玉市)の農家の出である父親が職業軍人であったために、台北市(台湾)で生まれた。35年に石岡農学校を卒業すると、玉川村農業会の常務理事を布石に戦後農協の設立を主導した。50年には32歳で玉川村農協組合長に就任。その後70年まで在任した一門は、現場主義に誠実に徹した協同活動の試行錯誤を重ね、57年から5カ年計画でスタートさせた営農形態確立運動の「水田プラスアルファ経営」方式を成功させ、全国に知られた。

この運動で伸長著しい養豚経営に「長期平均払精算制度」を導入して農家経営の安定を図ったり、基本法農政を活用した共同豚舎の建設にあたり「生産と生活の場を分離する」「豚のアパート」を完成させたりして注目される。農協間協同による独自の「営農団地づくり」も、先駆的な挑戦だった。かくて一門が描いた「田園都市づくり」は、その後どうなったか。

武秀の農民運動や一門の農協運動の顛末は、二人が依って立つ「茨城農業」や地域の歴史・風土を分析しながら追跡した先﨑さんの畳み掛けるような達意のレポートによって辿(たど)ってもらいたい。

実は、先﨑さん自身も、二人の「山口」に比肩する大義やロマンを抱き、農業・農村・農協に一身を捧げる「先﨑流」の道を激走してきた。その三者が時代を越えてクロスオーバーする本書から、何を学ぶか。先﨑さんの愛郷心から生まれた本書は、この国の戦前・戦後農業史を繙(ひもと)く上で欠かせない文献の一冊になった。

それにしても先﨑さん! ますます忙しくなるばかりですね。幾重にもご自愛ください。 

(文芸アナリスト・大金義昭)

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