(386)パンドラの箱と甕(かめ)【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2024年5月31日
パンドラと言えば「箱」という使い方が一般的もしれません。空けた「箱」から様々な災いが飛び出したが、唯一残ったのが「希望」という話がよく伝えられています。
いくつかの事情が重なり、ヘーシオドスの『仕事と日』に目を通した。彼は古代ギリシャの叙事詩人として歴史に名前を残し、紀元前8~7世紀頃の人と伝えられている。
父親は小アジアのキュメ(Cyme)の商人らしい。ちなみに大学のゼミでは「アジア」という言葉の意味を伝える時に必ずこの「小アジア」から始めている。高校の世界史で言えば、紀元前17世紀頃、ヒッタイトが小アジア(アナトリア高原)に国家を建設し...というような記述で用いられる地名である。
何故ここに「小」とはいえ「アジア」が登場するのかを見逃しがちだ。そのあたりの説明をしながらアジアの概念が現在までにどう拡張したか、そして現代の日本人が持つ「アジア」意識と、いわば本家から見た「アジア」との視点の違いなどを議論すると想像力がかなり刺激される。
さて、キュメはアナトリア半島の西端、現在で言えばイズミル(Izmir)の北あたりであろうか。そこでビジネスをしていた父親が破産し、エーゲ海の対岸、現在のギリシャのボイオーティア県に移り、家族で開拓農家のような生活を送っていたようだ。商売で破産した一家が他所に移住して農業を行う、現代に置き換えてもなかなかタフな人生である。
ヘーシオドスの著作として有名なのは『仕事と日』と『神統記』だが、今回目を通したのは『仕事と日』の文庫版である。90頁ほどの叙事詩でスペースが多いため、簡単に読むことができる。ギリシャ文学を読むのは久しぶりだ。
開拓農家として、農耕に勤しんでいたヘーシオドスは、どうも弟との遺産相続で揉めたようだ。裁判の結果、土地を弟に取られたことに切れて吟遊詩人となったと伝えられている。吟遊詩人はともかく、現代でも十分ありそうな話である。
詩才ある彼が残した『仕事と日』は農事暦でもある。いつ、どのような作業を行い、どうすればよいかなどがリアルに記されている。さらに、労働の尊さについては現代でも通用するような記述がある。
悪しきことはいくらでも、しかもたやすく手にはいる、
それに通ずる道は平らかであり、しかもすぐ身近に住む。
だが、不死の神々は、優れて善きことの前に汗をお据えなされた、
それに達する道は遠くかつ急な坂で、始めはことに凹凸がはなはだしいが、
頂上に至れば、後は歩きやすくなる ― 始めこそ歩きがたい道ではあるが。*1
この『仕事と日』の中に有名なパンドラ(パンドーラ―)が登場する。パンドラは古代ギリシャ語でΠανδώραと記す。最初の「パン」(Παν)は「全ての」という意味だ。Pan-pacificなどの使い方で今も残る。次の「δώρα」を無料翻訳ソフトに入力したところ「ギフト」と出た。つまり「パンドラ」とは「全てのギフト」という意味である。便利な時代であり、モノは使いようだ。
ギリシャ神話の中では有名な場面のため顛末は割愛するが、神々はパンドラに対し全てのギフト(仕事の能力、魅力、狡猾さなど)を与え、「ピトス」と呼ばれる容器(恐らくは甕(かめ)、後に箱になる)を決して開けてはならぬと言い含めて持たせた。だが、好奇心に負けて彼女は甕を開けてしまった。浦島太郎の玉手箱のような話である。
甕の底に唯一残ったのが「希望(エルピス:ἐλπίς)」とした上で、先人たちが実施した議論は面白い。例えば、そもそもホメロスの『イリアス』にはゼウスの家の床には人間が神から賜ることのできるものを入れた甕が2つあり、1つは善、他は悪と記されている。
そうであれば、パンドラが開けた甕は災いが飛び出した以上、悪が封じ込められていた甕であり、残ったものも悪と考えることも可能であろう。あるいは、何故、善の甕の中に悪が入れられていたのか...、世の中には善も悪もあるからなどである。
* *
「甕」「箱」「長持」...、いろいろなものが詰まっているのが人生なのでしょうね。
*1 ヘーシオドス『仕事と日』、松平千秋訳、1987年、45-46頁。
重要な記事
最新の記事
-
シンとんぼ(173)食料・農業・農村基本計画(15)目標等の設定の考え方2025年12月20日 -
みどり戦略対策に向けたIPM防除の実践(90)クロロニトリル【防除学習帖】第329回2025年12月20日 -
農薬の正しい使い方(63)除草剤の生理的選択性【今さら聞けない営農情報】第329回2025年12月20日 -
スーパーの米価 前週から10円上がり5kg4331円に 2週ぶりに価格上昇2025年12月19日 -
ナガエツルノゲイトウ防除、ドローンで鳥獣害対策 2025年農業技術10大ニュース(トピック1~5) 農水省2025年12月19日 -
ぶどう新品種「サニーハート」、海水から肥料原料を確保 2025年農業技術10大ニュース(トピック6~10) 農水省2025年12月19日 -
埼玉県幸手市とJA埼玉みずほ、JA全農が地域農業振興で協定締結2025年12月19日 -
国内最大級の園芸施設を設置 埼玉・幸手市で新規就農研修 全農2025年12月19日 -
【浜矩子が斬る! 日本経済】「経済関係に戦略性を持ち込むことなかれ」2025年12月19日 -
【農協時論】感性豊かに―知識プラス知恵 農的生活復権を 大日本報徳社社長 鷲山恭彦氏2025年12月19日 -
(466)なぜ多くのローカル・フードはローカリティ止まりなのか?【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2025年12月19日 -
福岡県産ブランドキウイフルーツ「博多甘熟娘」フェア 19日から開催 JA全農2025年12月19日 -
α世代の半数以上が農業を体験 農業は「社会の役に立つ」 JA共済連が調査結果公表2025年12月19日 -
「農・食の魅力を伝える」JAインスタコンテスト グランプリは、JAなごやとJA帯広大正2025年12月19日 -
農薬出荷数量は0.6%増、農薬出荷金額は5.5%増 2025年農薬年度出荷実績 クロップライフジャパン2025年12月19日 -
国内最多収品種「北陸193号」の収量性をさらに高めた次世代イネ系統を開発 国際農研2025年12月19日 -
酪農副産物の新たな可能性を探る「蒜山地域酪農拠点再構築コンソーシアム」設立2025年12月19日 -
有機農業セミナー第3弾「いま注目の菌根菌とその仲間たち」開催 農文協2025年12月19日 -
東京の多彩な食の魅力発信 東京都公式サイト「GO TOKYO Gourmet」公開2025年12月19日 -
岩手県滝沢市に「マルチハイブリッドシステム」世界で初めて導入 やまびこ2025年12月19日


































