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JAの活動:農協時論

【農協時論】先人の努力が礎 相互扶助の威厳 JA山形市 佐藤安裕専務2023年9月6日

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「農協時論」は新たな社会と日本農業を切り拓いていくため「いま何を考えなければならないのか」を、生産現場で働く方々や農協のトップなどに、胸の内に滾る熱い想いを書いてもらっている。今回は、JA山形市の佐藤安裕専務に寄稿してもらった。

JA山形市 佐藤安裕専務JA山形市 佐藤安裕専務

山形市農協の組合長室に、賀川豊彦の「日本の再建は生命共済から...」で始まる額があります。賀川は協同組合による共済事業を実現した「農協共済の父」と言われています。

農協が総合事業の一角として共済事業を行うことが出来るのは、賀川を始め幾多の先人、先覚者、協同組合人が保険事業を宿願し、数々の困難を乗り越えて今日の共済事業があることを深く認識されたい。

なぜかと申しますと、近年、農協の共済推進について、雑誌やテレビで、推進目標の達成を動機とする横領等の不祥事件や不適切な営業推進が行われている実態を何度となく取り上げられているからであります。

そこで、今日の共済事業発展の原点を振り返り、歴史に学び、改めて共済事業の使命を再認識する事が必要と思い、書いた次第であり、その一助となればと願うものであります。

全共連三十五年史、山形県共済連史、共栄火災海上五十年史から振り返ってみたい。

農業協同組合の前身の一つである、戦前の産業組合において、保険事業の経営思想は、大正時代に入ってからである。

大正13年の第20回全国産組大会で公式に要望として「生命保険事業開始の件」が決議された。

その後の大会でも、昭和10年頃まで、毎年のように同様の決議がなされた。しかし、その実現は極めて困難な情勢であった。

そして、昭和14年9月、売り物に出されている保険会社の情報が組合保険の熱心な提唱者である賀川豊彦にもたらされ、同氏は早速これを産組中央会首脳部に知らせた。

これが発端となって産組による保険3社(大正生命、日本教育生命、新日本海上火災)の買収計画に進展したが、保険業界の反対などが起きて、やがて一種の政治問題と化して、農林省から中止命令が出され買収計画は頓挫した。

その後、東京海上の協力で系列の大東海上火災と大福海上火災の合併買収が昭和17年7月1日に行われ、同日に産業組合の理念である「共存同栄」から共栄火災海上保険株式会社に社名変更によって誕生した。その後、昭和21年4月1日をもって損害保険会社としては我が国で初の相互会社への転換であった。

農協の共済誕生には、北海道共済連の設立なくして、農協の共済は語れない。

昭和22年11月19日公布された農協法の「共済」の規定を根拠に北海道の農協は、いち早く共済事業を開始した。規定を待ちかねたように、新しい農協発足当初から共済事業を予定されていた。そして、昭和23年7月18日には北海道共済連の設立総会が行われた。この日が「農協共済の誕生日」であると言わなければならない。

極秘中の極秘のうちに死亡統計、保険数理、契約条項など東京神田の古本屋で手に入れ、保険業法違反として検挙覚悟で作り上げたと言われ、側面から強力に支援したのが初代全共連会長となった岡村文四郎であったという。

北海道共済連設立後、農林省農協課、農業保険課から異常な圧迫があった。大蔵省銀行局からは保険類似の疑いがあるとの認識から調査があった。しかしながら、結果は「保険業法違反とは言えない」とするものであったが、北海道共済連の理論構成がそうさせたと言っても過言ではなかろう。

昭和25年6月、北海道共済連第二回通常総会において、北海道共済連の会員は会員の総意として、全共連の結成に努力されるようにとの理事者鞭励の決議をなされるなど、いよいよ北海道共済連に加速度を付けることとなった。

このような経緯の中で、北海道共済連他8府県代表の参集で「農協共済事業推進協議会」がもたれ「全共連」設立促進について意見の一致を見るに至り、いよいよ、11月27日には全国共済農業協同組合連合会が生まれた。会長岡村文四郎始め、専務理事、参事、総務部長らの人的骨格は、すべて北海道全共連の人材で構成することとなったのであるが、共済事業を担当できるのは北海道にしかいなかったと言う事実と全共連創設の責任を果たすためであったのである。

改めて北海道の偉業に思う。もし、農協法施行の時点から昭和26年頃に限って考えて「もしも、北海道共済連が23年に共済事業を開始していなかったら。...もしも北海道共済連が外圧を跳ね返していなかったなら、今日の農協共済はありえたのであろうか」と自問自答をしてみると、今日の農協共済はなかったと答えざるを得ない。

外圧を撥ねつけ、なかんづく学理的に困難な共済掛金率の算定など北海道共済連が「なぜ独力先行をなしえたのか」改めて考えなければならないことである。

特筆すべきは、北海道共済連の存在である。産組創設の中から、新たな「共済を目的とした共済組織」が必要と考えられ、幾度か挑戦し、挑戦する度に破れてきた。武士団が野にかえって農民となった北海道農民集団は逆境に屈することのない高貴な精神の威厳ある権化であったと評価されなければならない。

以上は山形県共済連史他から抜粋した農協共済誕生までの共済前史である。

農協の共済事業を行う時、北海道共済連の先人の覚悟・使命を肝に銘じる必要がある。特に組合長を始めとした農協の幹部は、〝農協の共済事業とは〟を理解する必要がある。

現在は系統二段階制となり、さらに、共同元受方式となった今、組合員・利用者の意向が反映するような仕組みを作る必要がある。

共済が相互扶助ならば、推進においても職員同志相互扶助の精神をもちたいものである。

先人は組合員が主役で農協が本店、県連が支店で全国連は出張所であると言った。組合長を始め幹部は真剣に共済事業と向き合い、事業を行わないと共済事業の未来はないと断ずる。

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