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JAの活動:第44回農協人文化賞

【第44回農協人文化賞】理事30年、新たな舞台へ 一般文化部門 鹿児島県・下小野田寛JA鹿児島きもつき組合長2023年12月15日

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多年にわたり献身的に農協運動の発展などに寄与した功績者を表彰する第44回農協人文化賞の表彰式が11月30日に開かれました。
JAcomでは、各受賞者の体験やこれまでの活動への思い、そして今後の抱負について、推薦者の言葉とともに順次、掲載します。

一般文化部門 下小野田寛 JA鹿児島きもつき組合長一般文化部門
下小野田寛
JA鹿児島きもつき組合長

私どものJAが合併30周年を迎えた記念すべき令和5(2023)年度に農協人文化賞を受賞できましたことは、私にとりましてたいへん光栄で身に余ることであり、あらためてこの30年を振り返る貴重な機会となりました。誠にありがとうございます。

今年度は私にとりまして理事10期目、就任30年という節目の年です。30年という年月はとても長く私の人生の半分を占めようというものです。東京から鹿児島に帰り、まさにそのタイミングで平成の大合併で地元の串良町農協をはじめ、近隣の六つの農協が合併して現在のJA鹿児島きもつきが誕生しました。合併の翌年、平成6(1994)年に行われた理事改選に35歳で立候補しました。当然私が最年少で、立候補された他の皆さんは私よりずっと大先輩の方々でした。そういう大先輩方が多い中で私がなぜ立候補したのか?!

私は大学卒業後、全国共済農協連に入会しました。都合8年間東京にいて鹿児島に帰りました。その経験もあり、地元では農業が大事だという思いで祖母の正組合員資格を受け継ぎ、立候補しました。いま考えても若いというか、よく立候補したなとつくづく思います。いろいろな方々のお世話になり、運よく理事に就任することができました。それから30年、自分ながらよく続いたと感慨深いものがあります。あらためまして大先輩の方々をはじめ、周りの皆さんに感謝です。

この30年はひと言で言ってたいへんな30年でした。発足後のJA鹿児島きもつきの歩みを間近で見ながら悪戦苦闘する毎日でした。就任後はずっと非常勤理事としての活動でしたが、理事3期目に先輩の薦めもあり、経済担当常務に就任しました。41歳でした。若いです。がむしゃらに前に進みました。当時の組合長を支えるために奮闘しました。残念ながら3年の任期を全うすることなく、組合長・常務がそろって退任することとなりました。合併以来旧農協間の勢力争いもあり、私どものJAでは毎期のように組合長が交代することが続いていました。このようなことが続いていれば中長期的な視点にたった事業展開がなかなかできるはずもありません。

東串良町園芸振興会 生産者大会にて講演東串良町園芸振興会 生産者大会にて講演

忸怩(じくじ)たる思いで次の役員改選期を迎えました。周りからの応援もあり、組合長に就任しました。44歳の若さでした。最高責任者として常務時代以上に邁進しました。組合長就任後、お隣の破綻したJAの事業譲渡を受けなければならない大変難しい状況でした。必死でした。がむしゃらに経営改革を進めました。強引すぎるくらい強引に進めた結果、当然いろいろ反発もあり、1期で組合長を退くことになりました。

しかし、8年前、組合員・他の理事からの薦めもあり、3期9年間の非常勤理事を経て再び組合長に就任しました。今回は最初の組合長時代の経験を十分かみしめて新たに挑戦することを心に誓いました。最初の時はがむしゃらに経営改革を進める中で、組織とか制度とか、仕組みあるいはハードばかりに目が行っていて経営改革を支える肝心の『ヒト』に目が向かっていなかったことに気づきました。

8年前、就任した12月の冬期賞与の時に職員全員に手書きのメッセージカードを配りました。メッセージカードに『チームきもつきをみんなで創り、そしてみんなで幸せに』を描きました。これからの仕事をみんなで取り組んでいきたい! チームで取り組んでいきたい! 誰一人として取りこぼさない、そのチームは、『チームきもつき』だ! そして『チームきもつき』で取り組むことでみんなが幸せになる! という思いを込めたメッセージカードでした。今もその思いは変わりません。

『チームきもつき』で目指すものは何か? 私が掲げたのは『№1きもつき、起こそうイノベーション!!』でした。みんなが幸せを感じるためには私たちの事業活動を縮小均衡という発想ではなく、成長拡大を目指す発想に変える必要があります。成長拡大を実現するためには、やはり№1を目指そう! №1を目指すにはイノベーションが必要だ、だからみんなでイノベーションを起こそう!と言い続けてきました。イノベーションを起こすにはそれぞれの現場に任せることが大事です。一気に8人の本部長(職員最高位)をつくり、とにかくどんどんやれ! 失敗を恐れるな!やらないことが一番いけない、だから、どんどんやれ!ということで事業を進めてきています。その中で次を担う経営幹部を育てていく、そのことが私の現在の使命です。その使命に向かって全力投球します。

振り返ってみれば、私の理事30年はつながりとイノベーションの連続だったと思います。私が東京から帰ったタイミングでのJA合併、先輩に恵まれての常勤役員就任、組合長への再復帰、30年も長きにわたり私を後押しいただいた串良地区の組合員の思いなど私はたいへん恵まれて、いまここに立っています。あらためてこれまでの私を支えてくださった皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。この30年を一つの区切りとして私は次のつながりとイノベーションを求めて次の舞台に進んでいきます。今後ともよろしくお願いいたします

一般文化部門 鹿児島県・下小野田寛JA鹿児島きもつき組合長【略歴】
しもおのだ・ひろし 1959年1月生まれ。83年3月鹿児島大学農学部卒業。同年4月全国共済農業協同組合連合会入会。88年5月ソニー・プルコ生命保険会社入社。94年5月鹿児島きもつき農業協同組合理事就任。2000年5月常務理事就任。03年5月組合長就任(1期で退任)。15年5月組合長就任、現在に至る。

【推薦の言葉】
10年構想「ネクスト10」
下小野田氏が組合長に就任した2015年に、経済担当常務時代から取り組んでいた全国和牛能力共進会宮城大会が開催され、県代表29頭のうち「きもつき牛」が13頭選出され、鹿児島県の総合優勝に貢献した。組合員・役職員が「万鶴プロジェクト」と題し、1万7300羽の万鶴を折り、宮城会場に掲げ、日本一への思いを全国に示し、日本一の成果へとつなげた。
2018年度の総代会において、10年後のJAの姿とその実現を目指した「ネクスト10(10年構想)」を決定し、それ以降、10億円規模の思い切った投資に取り組み、成果をあげ、現在に至っている。
また、職員を組合員のパートナーと位置付け、組合員・職員皆が協力し、地域農業振興、地域活性化をはかる「チームきもつき」づくりにむけて、部署横断型の様々なプロジェクトをつくり、職員にどんどん新しいことにチヤレンジさせている。その結果、合併JAであるJA鹿児島きもつきとしての組合員・役職員の一体感、挑戦する職場風土が醸成され、若手職員の離職も大きく減少した。

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