「暫定」のまま1年で幕 農産物輸出「スガ案件」突出 農政ジャーナリスト 伊本克宜【検証:菅政権25】2021年9月15日
菅政権は16日、発足から1年を迎えるが、結局は衆院選の洗礼を受けない「暫定政権」のまま月末には終幕となる。首相指示の重要事項「スガ案件」。農政では農産物輸出5兆円が「吐出」した。自給率低下など農政の「負の遺産」はそのまま、次期政権が背負う。
菅首相の地元・秋田の大潟村でも輸出への試みが続く(千葉・幕張メッセのフーデックスで)
■最後まで説明不足
それにしても説明を尽くさない方である。
突然の自民党総裁選不出馬、つまりは首相辞任の意向時、官邸でのぶらさがり会見はわずか2分。「来週にでも別途、説明する機会を設ける」としたが結局、単独の会見は見送り9日のコロナ緊急事態宣言延長の説明の中で、総裁選不出馬の理由にも触れたに過ぎない。これでは1年前の首相就任以来、たびたび指摘されてきた「説明不足」は一向に解消されない。
「残された時間をコロナ対策に専念したい」と言いながらも、野党の臨時国会開催による論戦にも応じようとしない。逆に言えば、トップとして説明を尽くさない政権として終始一貫していたのかもしれない。
■総裁候補に期待と警戒
17日の総裁選告示日が迫る。
候補者を見ながら、わずかの期待と一抹の不安を覚えた。総裁選は2人を軸に進む。最有力は党の要職を務めてきた岸田文雄と若手・中堅から待望論がある河野太郎だ。
首相が岸田なら自民党幹事長はTPPをまとめた経済通の甘利明、河野なら官房長官には発信力のある小泉進次郎など、早くも政権や党中枢候補の名が挙がる。岸田派内には自民農林インナーメンバー3人もいる農業重視の側面もあるが、キングメーカー成らんともくろむ安倍晋三の影がつきまとう。河野・小泉コンビは実態軽視の農協改革、全農改革、生乳改革で辣腕を振るったご両人である。もし権力を握れば、行き過ぎた規制改革の懸念がつきまとう。
■農相「みどり戦略に手応え」
菅農政の1年を振り返ろう。野上浩太郎農相は先週7日、閣議後会見で猛威を振るった豚熱発生3年とともに、首相退陣表面を受け菅農政の対応を振り返った。
人口減少による国内市場の縮小や気候変動に「精力的に取り組んできた」と強調。そして具体的には「スガ案件」柱の一つ、農林水産物・食品の輸出5兆円目標達成に向けた実行戦略策定や、環境負荷低減に向けた政策方針「みどりの食料システム戦略」の取りまとめに言及した。だが、「みどり戦略」は技術偏重で、今後の展開には課題も多い。
■止まらぬ農業沈下
菅農政は安倍前政権から農業の成長産業化を引き継いだが、農業体質強化の「1丁目1番地」の生産基盤弱体化に歯止めはかからなかった。
農業弱体化は数字が物語る。具体的には、主な仕事が農業という「基幹的農業従事者」は直近5年間で2割も減った。安倍、菅両首相が2014年以降4年連続で2万人を上回った誇った49歳以下の新規就農者も直近の20年は1万8000人台にとどまった。農業総産出額の伸びを農政改革の成果に上げたが、それも直近2年間は減少に転じている。
度重なる気象災害。一方で天候に左右される野菜など園芸品目の小売価格高騰なども目立つ。JA全中の中家徹会長は「生産基盤が傷んでいる。災害からの回復も担い手不足で遅れる。やはり農政の1丁目1番地は生産基盤の維持・強化だ」と農業の現状に危機感を持つ。的を射た指摘だ。「スガ案件」の輸出ばかりが前面に出るが、地域活性化で菅農政の効果はなかなか出ていないのが現状だ。
■大局観欠き基本計画触れず
農業に関する菅の問題意識は前任・安倍と同様に成長産業化にある。と言うより、官房長官時代に改革派官僚とされた奥原正明らを農水事務次官に自ら任命し農政改革、農協改革を強引に押し切った張本人こそが菅だ。
菅は農政をどうとらえ、日本農業の針路をどう進めようとしたのか。そもそも菅農政と呼べるものがあったのか。全体の国家像がはっきりせず、いくつかの重要事項を「スガ案件」として狙いを定め規制の壁を打ち破る〈個別撃破〉型を得意とする政治家だけに、実像ははっきりせず曖昧なままだ。
ただ、今から8カ月前、1月18日の通常国会冒頭の施政方針演説の中でわずかな痕跡は見える。このころはいつ解散・総選挙を行うのか探っていた時期だ。4月末には「政治とカネ」にまつわり自民劣勢が伝えられる衆参補選などある。この時期に衆院選を構えれば、反転攻勢もあり得る。そんな考えもよぎっていたいに違いない。だが、全てはコロナ禍でシナリオが狂う。
施政方針冒頭、菅は政権を担って4カ月、一貫して追い求めてきたものは「国民の『安心』と『希望』である」と語りかけた。今振り返れば、この追い求めてきた2つこそが、最後まで実現できなかった。それでは国民の厳しい評価が出るのもやむを得まい。施政方針の演題は7項目。農業は4番目の地方活性化で触れる。時間にしてたった10秒あまり。
まずは農産物輸出への強い期待。輸出額5兆円に向け重点品目と国別目標金額も具体的に述べた。さらに、主食用米から高収益作物への転換という形でコメ過剰問題にも言及し、「農林水産業が地域をリードする成長産業とすべく改革を進める。美しくて豊かな農山漁村を守る」と締めくくる。
■自給率37%に危機感希薄
美しく豊かな地方を守るなら、生産基盤支援と自給率向上が必要だが、20年春に決めた食料・農業・農村基本計画も含め、それらへの言及もない。
8月末、農水省は20年度の食料自給率がカロリーベースで37%と過去最低水準になったと発表した。だが菅首相の危機意識は感じられない。自給率低下は生産基盤弱体化と裏表の関係にある。産地が弱れば結局、輸出も難しくなる。しかも自給率は最低水準だ。菅農政の1年を示す到達点とも言える。
■五輪とWの悲劇
薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」などで知られる映画監督・沢井信一郎が逝く。薬師丸は映画主題歌でも大ヒットを飛ばす。菅政権の行く末と重なる歌詞だ。〈ああ時の河を渡る船に オールはない 流されてく〉。それを〈政治の河を渡る船に オールはない 流されていく〉と読み替えればいい。政権の終焉とはこういうものだ。
そして揺れ動く政局を見ながら、改めて政治と五輪ジンクスと、映画の題名にちなむ「Wの悲劇」を思う。
前述のジンクスとは「五輪の年に退陣」ということだ。57年前、1964年の前回の東京五輪で池田勇人、72年の札幌五輪の佐藤栄作、98年長野五輪の橋本龍太郎と夏季、冬季に限らず五輪国内開催時に時の政権は終わってきた。
しかし、今回の「東京五輪2020」は特別だ。安倍は本来の開催予定だった1年前の秋に辞任、さらに実際の五輪開催の今月末に菅退任とダブルで退陣が重なった。コロナ禍での五輪開催にこだわった安倍、菅二人の権力者の〈Wの悲劇〉は、今後の政治にどんな影響を及ぼすのか。
■「したたか」自民
菅は結局、伝家の宝刀、解散権まで奪われ辞めることになった。タイトルを「コロナ政局急転」とした前回の9月2日付「検証・菅政権」では「菅の本領したたか」とも書いた。「したたか」は幾多の修羅場をくぐり抜けた菅の政治姿勢でもある。だが、「菅政権に菅官房長官なし」と軍師不在の中で、最後まで追及した解散権行使もかなわず刀折れ矢尽きた落城となった。
見通しが甘かったのか。しかし「したたか」の4文字は菅もそうだが、自民党そのものにやはりふさわしい4字でもある。29日開票の総裁選は、それなりに盛り上がり、連日マスコミを賑わし電波ジャックとも称される。それに伴い自民党の支持率も上がる半面で、野党第一党の立憲民主でさえ支持は一ケタ台が続くなど野党は埋没しつつある。総選挙は、10月の臨時国会での首班指名を経た11月中下旬になる見通しだ。自民の「したたか」さは、菅内閣瓦解という緊急事態をも利用しながら劣勢、逆風の選挙を反転攻勢の糧にしてしまう。長年権力を掌握してきたノウハウは生かされる。
(次回は菅首相退陣の9月30日付で「検証・菅政権」最終回)
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