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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第31回 言葉の地域差別2018年12月6日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 前回述べた角田君(山形大学教授)の疑問、これはもっともである。いわゆる方言は汚いもの、間違っているものとして作文などではもちろん普通の会話のさいも学校内で使うことを厳しく禁止されていたからである。そういうことからすると、前回述べた二葉君の詩などは訂正を迫られただろう。それどころか却下されただろう、作文や詩は教科書に書いてある模範例のようなきれいなものであるべきで、生活の不満やいやなこと汚いことなど書くものではないとされていたからである。

 ところが前回紹介した二葉君の詩は高く評価され、本にまで掲載された。それは戦前から戦後にかけて展開された生活綴り方運動、北方教育運動(注1)の影響がこの学校の先生方にあったからではなかろうか。

 生活綴り方とは「自分自身の生活や、そのなかで見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを、事実に即して具体的に自分自身のことばで文章に表現する」(注2)綴り方を言うのだが、この『自分自身のことば』のなかには当然地域の言葉いわゆる方言も入っている。しかし、他の地域の人に伝えるためにはいわゆる『標準語』でなければ伝えられないことがある、したがって綴り方は標準語で書くのが普通となる。しかし、地方にいる子どもたちは通常いわゆる『方言』で考えており、自分の気持ちや情景を方言でしか表現できないこと、地域独特のいい言葉もある。そのときには自分自身のことば=方言を使うことはこの運動では認められあるいは推奨されていた。ただしそうすると他地域の人がどうしてもわからない言葉もある、そのときには( )もしくは注釈でわかるようにした。ただ、この子どもの詩を掲載した『開拓の子ら』の冊子は県内向けを主にする出版物だったので読者はみんなわかるものとしてとくに注釈などつけなかった、翻訳しなかったのではなかろうか。


 ところで今「標準語」・「方言」という言葉を使ったが、私はそれを『共通語』・『地域語』といつも書かせてもらっている。また各地の言葉は秋田弁とか薩摩弁とか「弁」という言葉をつけているが、これは秋田語とか薩摩語(あるいは鹿児島語)というように地域名の後に『語』をつけさせてもらっている。
 その理由は次のとおりである。
 いうまでもなくわが国には各地に長い歴史を通じて培われてきた多種多様の独特の言葉がある。そのなかには他地域の人々に理解してもらえない独自の言葉もあり、逆に自分にはわからない他地域の言葉がある。そのそれぞれの言葉で話しても相互に理解しあえない場合があるので、全国に共通する言葉、共通語が必要となる。それで形成されたのが今私たちが共通の言葉として使っている日本語なのだが、それは一般に「標準語」と称され、正しい言葉、きれいな言葉とされてきた。そして各地で伝統的に使われている独自の言葉は「方言」と呼ばれ、それは標準語がなまった「標準以下の言葉」、間違った言葉、汚い言葉とされてきた。ここには地域格差どころか差別があった。地方(そのほとんどは農山漁村だが)の言葉は汚いものとして東京=大都市地域の人々は嗤い、学校では子どもが「方言」を使うと先生に怒られたのである。

 戦後10年くらい過ぎたころである、私の生家のある山形の小学生だった末弟が突然自分のことを「ボク」と言うようになった。どうしたのかと思って聞くと、学校で「オレ」と言うとそれは山形弁だと怒られ、「ボク」を使えと言い直させられるというのである。私は頭にきた、何で「オレ」が悪くて「ボク」がきれいなのか、山形では昔からみんなが日常的に使ってきた言葉なのだ、なぜそれを禁止するのかと。日本の共通語は「ボク」なので、山形以外の人にはボクを使った方がいいというだけならまだわかるが、地域の日常語をなぜ禁止するのかと。ついでにいえばなぜ「ボク=僕=しもべ」で男女共通の「ワタクシ=私」ではないのか、それをだれがいつ決めたのか、法的強制力はあるのか。

 こうした標準語の「強制」=方言の「矯正」は明治の初めからあったようで、たまたま私が体験しなかったというだけらしい。その矯正のために使われた一つの道具が「方言札(ふだ)」だったと言う。学校でいわゆる方言=地域の言葉を使うと罰として首から方言札と書かれた木の看板をかけさせられ、次に方言を使う子どもが現れるまで見せしめのためにこれを首にかけていなければならなかったというのである。この話を聞いたのはかなり後のことだったが、山形県南の農村生まれの井上ひさしの著作(この書名が思い出せない)にもたしかその方言札の話が出ており、山形にもあったのかと驚いたものだった。とくに沖縄と東北で方言札が使われたとのことであるが、「矯正」という言葉は非行少年に対してよく使われていることからすると沖縄や東北の子どもたちは非行少年扱いだったようである(注3)。


 いうまでもなく各地の独特の言葉も日本人のつくりだしたものである。とすれば地域の言葉も日本語である。一方、言葉は文化の基礎である。とすれば地域の言葉は地域の文化であると同時に日本の文化でもある。
 その地域の言葉を卑下し、禁止することは、地域のそして日本の文化、伝統の否定であり、その豊かな発展を阻害するものである。そして地域語を抹殺してしまい、「標準」なる一つの型にはめることは豊かな日本語を貧しいものにする。
 そして地方を差別をすることにもなる。実際にそうしてきた。
 こうした問題を引き起こす一因が「標準語」、「方言」、「弁」と言う言葉にあるのではなかろうか。だから私はその言葉を使いたくない。それで「共通語」、「地域語」、「(地域名)語」という言葉を勝手に使わせてもらっているのだが、そのことをいちいち説明しなくとも言葉の意味は通用するし、わかってもらえるので、安心して使っている。

 もう一つ、この岩手の子どもの詩と夜の灯りに関わって角田君から質問があったのだが、それはまた次回述べさせていただく。
(注)
1.この運動は戦前、戦中、厳しく弾圧された。
2.「生活綴り方運動(せいかつつづりかたうんどう)とは-コトバンク、生活綴方運動
  「日本大百科全書(ニッボニカ)の解説」より引用
3.アイヌ民族の子どもたちはアイヌ語を奪われてさえきたのだが。

 

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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