【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】おまえの敵はおまえだ 柳生宗矩と沢庵2019年11月23日

◆平和時代の剣法
慶長二十(一六一五)年五月に、大坂城で豊臣氏を滅ぼした徳川家康は、直後の七月十三日に改元した。新しい元号は、
「元和(げんな)」である。もちろん朝廷の許可を得た。元和というのは「平和の初め」という意味で、家康がずっと持ち続けて来た政治信条を表している。社会全体にも大きな影響を与えた。今までのように、いろいろ問題が起きるとすぐ合戦や私闘で片を付けた処理方法が役に立たなくなった。これからは、
「剣術などの武術も、平和社会に生きられるように工夫をしなければならない」という風潮が生まれた。大和国(奈良県)柳生の里で、一貫して剣の道を歩いて来た柳生石舟斉は、以前からこのことを考えていた。彼は今"無刀取り"の研究に熱心だ。無刀取りというのは、こちらは武器を何も持たずに、相手の刀を奪い取る刀法だ。しかし、石舟斉のこういう深い考えを理解せずに、
「どんな平和になろうと、争いは絶えない。議論で片が付かなければ結局は刀にモノを言わせるほかはない」と、依然として古い考え方にしがみついていたのが息子の宗矩だ。当時の宗矩は近所でも有名な乱暴者で、地域では非常に迷惑をしていた。父である石舟斉は責任を感じ、
「剣の道は、剣の技術だけではない。心の修養が大事だ」といって、知り合いの出石(いずし)の宗鏡寺(すきょうじ)の住職希先の下に宗矩を精神修行に出した。宗矩は父の計らいをバカにしながらも、しかし石舟斉のいうことなので従った。出石は、但馬(兵庫県)にあり、大きな川(円山川)のほとりにあった。ここへ行くには、旅人は陸路よりも船を選んで円山川を辿った。宗矩もそうした。船が川の中央に出ると、船中に乱暴者な浪人者がいて、しきりに周りの客に難癖をつけた。応じないでいるとなおカサにかかって、金品を強要する。はじめは我慢していたが、やがて宗矩はキレた。乱暴者に、
「やめろ」と言った。乱暴者はニヤリと笑い、
「分別のない奴だな。船が岸辺に着いたら、相手をしてやる。逃げるなよ」と言った。船が出石の岸に着いた。浪人はヒラリと宙を飛んで、岸辺に立った。「来い」と宗矩を誘った。宗矩は落ち着いて歩き川岸に上った。そして、いきなりモノも言わずに刀の鞘で乱暴者を叩きのめした。船に乗っていた旅人はみんな喝采した。宗矩は得意だった。
「宗鏡寺という寺はどこにある?」と訊いた。船頭が教えてくれた。
◆剣と禅
まだ、春浅い頃で、辺り一面は雪に覆われている。その雪原の中に、人がいた。寺の小坊主だ。一所懸命に雪を掻いては、中に生えているフキノトウを採集している。ところが、その小坊主の脇を通る時に、宗矩はいきなり一種の殺気を感じた。そこで、ヒラリと宙を飛んでかなり前に着地した。小坊主は知らん顔をして相変わらずフキノトウを探していた。宗鏡寺に着いて、宗矩は希先という住職に温かく迎えられた。茶を御馳走になっていると、庭先に、「只今戻りました」と澄んだ声がした。宗矩はその小坊主を見て、思わず、お、と思った。それはさっき殺気を感じて宗矩に宙を飛ばせた小坊主だった。小坊主も驚いた。宗矩は、
「先ほどはご無礼をした」「とんでもございません。わたくしの方こそ」と話しはじめた。住職の希先は、
「おや、もう知り合いになられたか」と微笑んだ。小坊主は秀喜と言った。秀喜が訊いた。
「なぜ、先程あなた様は宙をお飛びになったのですか?」宗矩は答えた。「おぬしに殺気を感じたからだ」秀喜は笑い出した。
「あなた様は強すぎるのです。ですから、浪人を叩きのめしたことはよろしいけれど、私は仏に仕える身で殺気など露ほども持っておりません。殺気はあなた自身の体内から湧いたものでございます。あなたは、ご自身の殺気におびえて宙をお飛びになったのです」「...」宗矩は言葉を失った。言い返そうとしたが、宗矩は秀喜の言うことをじっと考えた。いわれてみれば当たっていない訳でもない。身に覚えがあった。宗矩は悟った。
(おれの敵はおれの中にいたのか)。この小坊主はそのことを教えてくれた。つまり、
「おまえの敵はおまえ自身だ」ということだ。住職が笑い出した。
「柳生様、小坊主のさかしらな言葉はお許しください。秀喜、食事の支度をしなさい」「かしこまりました」台所へ向かう秀喜に、住職の希先がいきなり声を飛ばした。
「秀喜、仏とは?」秀喜はザルを置いて、いきなり自分の両手を打ち合わせた。希先はさらに問い掛けた。
「禅の心とは?」秀喜は一方の手で拳を握りそれを天に突き上げた。希先の問いはさらに続く。
「仏教の極意とは?」秀喜は雪の中から頭を擡(もた)げ、実をつけている南天の木を示した。
「すなわち庭前のこの一木」
希先は満足そうに頷き笑った。そして、
「歳若ではございますが、秀喜は修行に精進しここまで熟達致しました。柳生様、今後何かとお役に立ちましょう」
「先ほどからの秀喜殿のお振舞い、感じ入りました。私も、改めて禅の修行をさせていただきます。秀喜殿を師と仰ぎます」
これが動機になって、柳生宗矩は"剣禅一致"の刀法を編み出す。平和な時代に人を殺す剣(殺人剣)はいらない、人を活かす剣(活人剣)が必要なのだ、と宗矩はつくづくと学んだのであった。
秀喜は名僧沢庵に成長する。
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