ベーシックインカムと農業政策【小松泰信・地方の眼力】2020年10月7日
「新型コロナ禍を受け、かつてなく多くの人々がベーシックインカム――普遍的な社会保障として最低限の所得保障の導入を求めています。具体的には、政府が国民に対して生活に必要な最低限の現金を支給する政策です。……
コロナ禍のベーシックインカムを求める世論の高まりを受け、所得補償・価格保障を速やかに確立することが求められます。そのためにはまず、戸別所得補償を復活させると同時に、日本型直接支払を大幅に引き上げることです」(岡崎衆史「家族農業は持続可能な新しい食料制度の柱」『国連家族農業10年』農民連編著)
ベーシックインカムの導入で生活保護制度は不要!?
コロナ禍を契機に世界で導入の議論が進んでいるベーシックインカム(basic income;以下、BIと略)とは、最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給する、現金給付政策。単純化して言えば、今年4月、全国民に一律10万円を一度だけ給付した「特別定額給付金」を、毎月給付にしたものである。
「エコノミスト」(7月21日号)で、竹中平蔵氏(たけなか・へいぞう、パソナグループ取締役会長)は、「BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源にすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。(中略)BIは事前に全員が最低限の生活ができるよう保証するので、現在のような生活保護制度はいらなくなる」とし、「社会主義国が資本主義にショック療法で移行したときのように、一気にやる必要がある。今がそのチャンスだ」と、煽っている。
BIを出汁に社会保障の削減を目論む、コロナ禍に乗じるショックドクトリン(惨事便乗)型政策提案の臭いが鼻をつく。
ベーシックインカム(現金)の限界とベーシックサービス(現物)の充実
「BIの推進者の多くは、経済の成長志向を抜け出せていない。『経済をより成長させ、より多くのお金を配る。それが幸せだ』。こうした考え方が背景にあるのではないか」と、BI推進論者に懐疑的な井手英策氏(いで・えいさく、慶応大経済学部教授、財政社会学)は、毎日新聞(9月23日付)で、「成長できない社会になっているのならば、その中でどう安心して暮らせる社会をつくるかを考えるべきだ。その際、社会の連帯や公正さを取り戻す方向に進まなければいけない。BIからはそうした国家観や社会観は見えてこない」と、急所を突く。
そして、現金給付ではなく「すべての人が税を負担しながら、生活に欠かせない基本的なサービスを保障しあう『ベーシックサービス(BS)』」、すなわち現物給付の充実を提言する。「医療や介護、教育、子育て、障害者福祉に関する分野をBSとし、みんなで負担することで、できるだけ多くの人たちを受益者にし、安心して暮らせる社会」づくりである。
同紙において、生活保護制度の限界から、以前よりBIを提唱してきた井上智洋氏(いのうえ・ともひろ、駒沢大経済学部准教授、マクロ経済学)も、「失業や一人親家庭は『お金がない』問題としてBIで解決できるが、老齢や病気、障害などの『ハンディキャップ』はそうではなく、支援を維持・拡充する必要がある。生活保護受給者には重い病気を患っている人も多く、そうした人への医療費支援も残すべきだ。BIは、既存の社会保障を全廃するための『手切れ金』であってはならない」と、警告を発している。
現物としての耕作放棄地
藤原辰史氏(ふじはら・たつし、京都大准教授、農業思想史)は、毎日新聞(8月27日付)において、井手氏のBS充実論を評価し、「食」という「現物」から給付のあり方を論じている。
「コロナ禍で学んだことは、外国からの輸入と外国人労働者に支えられた日本の生存基盤の脆弱性であった。災禍でも耐えられるほどの食を安定的に供給できる社会の構築は金では買えない以上、食に関連する諸制度の充実を抜きにしたBIの議論は絵に描いた餅となろう」とする。
さらに、「現物といえば、日本列島には膨大な面積の耕作放棄地がある。雇用の場所であり、食料生産の場所である耕作放棄地は、BIの議論に加わってもおかしくない。(中略)食や医療や介護を市場から切り離して住民に提供することをBIの前提とすれば、BIはより効果的になるだろう」と記し、耕作放棄地を食料生産と雇用の場として再生させる意義を示唆している。
BIとBSの観点から充実した農業政策を求める
日本農業新聞(10月2日付)は、菅内閣発足を受けて行った、同紙農政モニターの意識調査結果を伝えている(1135人のモニターを対象に、9月中・下旬に郵送で実施。747人からの回答を得る。回答者率65.8%)。注目したのは次の4点。
(1)菅内閣を支持するか;支持する(62.3%)、支持しない(36.4%)。
(2)菅内閣を支持する理由;「食料・農業重視の姿勢が見られる」は4.7%で、「その他」を除けば最下位。
(3)菅内閣を支持しない理由;「食料・農業重視の姿勢が見られない」が29.4%で第1位。
(4)自民党政権の農業政策の評価(大別);評価する(44.3%)、評価しない(46.3%)。
以上より、ご祝儀相場で高い内閣支持率は別にして、食料・農業に対する評価は冷静で、決した高いものではない。
日本農業新聞(9月28日付)の論説は、新・立憲民主党に、船出に際し「戸別所得補償制度を柱とした農業振興から農村の維持・活性までを網羅する総合的な政策の体系を提示することが求められる。また戸別所得補償の具体的な制度設計も必要である。現行の個別政策の批判にとどまっては、農村の有権者の心を動かすことはできない。そのためには現場の声をつぶさに拾い、前政権の功罪を検証し、菅政権との対抗軸となる政策を具体的に示すべきだ」と、極めて適切なアドバイスを送っている。
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合が9月25日に野党に提出した『要望書』においても、「農林水産業については、単純な市場原理に任せるのではなく、社会共通資本を守るという観点から、農家戸別補償の復活、林業に対する環境税による支援、水産資源の公的管理と保護を進め、地域における雇用を守り、食を中核とした新たな産業の育成を図る。また、カロリーベースの食料自給率について50%をめどに引き上げる」ことが、記されている。
政権交代のためだけではなく、農業を持続可能な産業としていくためにも、BI、BSの観点を十二分に踏まえた、農業政策の提案が野党には求められている。
自民党の「WithコロナAfterコロナ 新たな国家ビジョンを考える議員連盟」(会長=下村博文政調会長)も7月にBI導入の課題について議論を始めたようだ。
悪しき前例を踏襲しない、総合的俯瞰的な観点から、農業政策に関する建設的な議論が展開されることを期待する。
「地方の眼力」なめんなよ
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