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特集:震災復興と協同組合

2013.07.31 
【現地ルポ】JA仙台(宮城県) 「農」のコミュニティ再建へ一覧へ

・農業環境は激変
・JAが法人に出資
・雇用も視野に営農
・同心円、回復は?
・復興のシンボル

 "仙台平野"は津波被害で多くの命と住宅が失われるとともに、農地も1800haが浸水した。JAは市や土地改良区などとともに復興連絡会(仙台東部地区農業災害復興連絡会)を構成し、農地の復旧と営農再開に向けた取り組みを行い、25年産では1400haで作付けが行われ残りは400haとなった。
 ただ、かつてのように農と暮らしが一体化していた集落の再現は困難な地域も多く、地域づくりに新たな課題も出てきている。

◆農業環境は激変

被災した農地で田植え体験をする子どもたち(上)や、料理教室の様子(ともにJA仙台提供) 東日本大震災の津波でJA仙台管内の水田面積7200haのうち、約27%にあたる約1900haが被害を受け、このうち仙台東部地域で1800haを占めた。
 この地域では米を中心に大豆と麦、さらにレタスなどの野菜生産も盛んで仙台の重要な食料生産地だった。営農再開に向け、[1]がれきや土砂の撤去と除塩などによる早期の復旧、[2]農地の大規模化、集約化による将来の復興をめざしたほ場整備(国の直轄事業)、の2つに並行的に取り組むことになった。
 農地復旧は津波被害が比較的軽微だった内陸部から進み、震災翌年の24年度には500ha、25年度にはより海側の900haで営農が再開された。現地では残り400haの営農再開をめざした客土作業や道路整備作業が進み、その隣に水稲や転作大豆の緑が広がっている。
 しかし、震災復興推進課の渋谷奉弘課長によると、がれきや小石がまだ埋まっていて耕耘時のトラクターローリーの故障や、あるいは農地復旧作業で耕盤が破壊され、トラクターが田のなかで沈み込んで動かなくなるなどトラブルもあるという。
 さらに入れ替えた土は養分が乏しく、今年は転作大豆だけの作付けとして地力の回復を待つことにした農地もある。津波で防風林がほんんど消滅、海からの冷たい風が直接流れ込む環境になってしまったことを懸念する声もあり、安定した生産を再開するためには土づくりなどの課題が多い。

(写真)
被災した農地で田植え体験をする子どもたち(上)や、料理教室の様子(ともにJA仙台提供)

◆JAが法人に出資

 こうした課題があるなかでも、農機具や農業施設が流失したこともあって、新たに集落営農組織をつくって地域農業の再建と農地の維持をはかろうとする動きも出てきた。
 六郷地区には今年1月に井土生産組合が設立された。地権者は60人ほどで15人が出資している。それまでは転作の受託組織もなく個々の農家で対応していたが、利用権設定によって5年後には水稲55ha、大豆30ha、野菜15haの作付けをめざす。 JAでは6月の総代会でこの井土生産組合への出資を決めた。今後、経営や税務などのマネジメントの支援などを行う。
 同時に井土地区では国のほ場整備事業にも合意し、現在10a区画が1ha区画へと整備されることも決まった。JAでは平成16年に大区画ほ場整備と一括利用権設定などによる生産性向上に加え、農産加工などの取り組みや兼業・自給農家も含めた農業参加を目標にした21世紀水田農業チャレンジプランを策定していた。それぞれの農業者、地域住民の希望や役割に応じて農業に携わる「テナントビル型地域農場制農業」がそのイメージだ。
 それをふまえ構成員以外の農家は稲作を中核となる担い手に任せ、もともと盛んだったレタスやホウレンソウ、小松菜などの栽培に取り組むかたちでの営農再開が想定されている。

◆雇用も視野に営農

 井土地区に隣接する荒浜地区でも、集落営農組合の法人化をめざす「荒浜復興プロジェクト」が今年2月に学識経験者などの参加をもとに立ち上がった。
 同地区には800戸2700人ほどの住民がいて、農家は198戸あった。もともと地域のリーダー的専業農家が集落営農組合を組織して転作などを請け負っていたが、津波の犠牲になったことから組合としての活動は行き詰まってしまった。しかし、震災後のアンケートでは集落営農に参加するかたちでの営農再開を望む声が70%を超えた。これをもとにJAが仲介役となって農地を集落営農組合に集約、28年1月に法人化することを基本に検討が進んでいる。
 荒浜地区では25年度から20人ほどが営農に戻ってきているが、パイプハウスを建ててイチゴ、イチジク、ミニトマト、小菊の試験栽培も始めるなど特産品の開発なども視野に入れ、今後は雇用による後継者対策も検討していく。

◆同心円、回復は?

 しかし、井土地区と荒浜地区では大きな違いがある。井土地区には住むことが可能だが、荒浜地区は集団移転の対象地域だ。移転先は6か所になるという。つまり、営農再開をしても「通い農業」をしなければならないことになる。
 もともと集落ごとに実行組合があり、会合にしてもJAからの配布物にしても実行組合長がとりまとめ役となっていた。しかし、農地と暮らしがばらばらになってしまえば、こうした集落の基礎組織のあり方も見直さざるを得なくなるかもしれないという。
 JAは23年5月に復興担当専任部署として震災復興推進課を設置し、被災の大きかった支店では毎月1回、農と暮らしの相談会を開いてきた。相談はおもに「高齢なので、もう農地はだれかに任せたい」ということ、そして住宅再建の資金の確保などだ。
 農地については復旧と国のほ場整備が動きだし、農地を任せたいとの意向にはJAに白紙委任してもらうかたちで集落営農組織に集約する方向で進んでいるが、住宅の再建は移転先の確保と宅地造成を考えると2年ほど先になるという。渋谷課長は「当面は無事に住めるまでがJAの課題」と話す。同時にその際、農業にどう関わりを持つ暮らしができるのか、地域全体の営農形態とともにコミュニティの姿も課題となる。

◆復興のシンボル

直売所新設が復興を後押し ただ、都市近郊農業ならではの復興への歩みもある。
 23年10月に直売所「たなばたけ高砂店」をオープン。もとあった店舗の5倍に広げ、生産者からの出荷品のほか地元農産物を使った豆腐工房、惣菜工房、野菜を材料にしたスイーツ工房なども開設した。出荷登録者は555人。仮設住宅暮らしを強いられながらも、JAが貸し出す育苗用パイプハウスなどで野菜づくりを営農再開した生産者たちが出荷している。
 固定客が徐々に増えている。市場出荷と違って消費者の声を間近に聞き、価格も生産者自身で決める。今までにはなかった消費者に支えられた農業経営の研さんの場でもある。
 実は震災直後は、もとの直売所が住民への貴重な食料供給の場ともなったという。
 震災から2日後に再開。JAとしては電気が回復後、精米工場をフル稼働させて精米をそろえ、また、被害がさほど大きくなかった山側の生産者は自らトラックで野菜などを運び入れた。量販店などは物流がストップしたために深刻な品不足となったが、「産地と直結しているJAの直売所」という特徴が浮き彫りなった。
 これが「住民にJAを身近に感じてもらえる」ことにもつながった。JA仙台は「たなばたけ」を「食の発信基地」として今後の復興のシンボルと位置づけている。

(写真)
直売所新設が復興を後押し


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