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特集:今、始まるJA新時代 拓こう 協同の力で

2019.10.21 
【歴史が証言する農協の戦い】命と暮らしを守る佐久総合病院 若月俊一がめざしたこと(1)一覧へ

農村の新時代拓いた健康を守る協同運動
姉歯曉駒沢大学教授

 総合事業を展開するJAグループは、地域住民の命を守る厚生連事業でも大きな貢献をしている。その歩みの先頭に立ち、今や世界の地域医療をもリードしているのが、JA長野県厚生連・佐久総合病院である。同病院と日本の農村医療の歴史は、故若月俊一医師の闘いの歴史でもある。駒沢大学経済学部の姉歯曉教授が現地を訪ね、若月医師がめざしたこと、そして私たちが引き継がなければならないことは何かを提起する。

「農民とともに」が病院の基本理念。写真は農村保健研修センター、日本農村医学研究所の合同じゃがいも収穫

「農民とともに」が病院の基本理念。
写真は農村保健研修センター、日本農村医学研究所の合同じゃがいも収穫


 9月中旬、長野県の佐久総合病院を訪れた。2014年にドクターヘリも備えた急性期患者の受け入れ、災害時の拠点病院としての機能、高度ながん治療や診断機能を有する佐久医療センターが開院し、この間取り組んできた「再構築」を終えたところである。近代的な建物の横では、昭和19年から長きにわたって農村医療、地域医療のリーダーとしての歴史を刻み続けた佐久総合病院の本院が昔ながらに多くの来訪者を迎えている。

 玄関には「JA長野厚生連理念」「佐久病院理念」「患者さんの権利と責任」と続き、これらの倫理原則を実現するために患者も医師も協力し合うべきことが宣言され、さらに2015年にセカンドオピニオンを受ける権利など、時代とともにさらに患者の権利が書き加えられて壁上部を占めている。
 それにしても、これほどたくさんの手作りのパネルが掲げられている病院は見たことがない。単に病気に関することだけではない。障害を持った子どもたちを支援するNPO情報からフリースクールの情報まで、工夫を凝らして患者と家族に情報を伝えようとしてくれているのが伝わってくる。行き交うスタッフが皆挨拶をしてくれる、それもまた初めての経験だった。
 『楢山節考』の著者深沢七郎氏が「だいたい若月さんの病院は中に入りやすいんです。玄関を入ったところに肺がんを早く発見する方法とか、いろんなのがマジックで書いて貼ってあるんですね。最初行ってびっくりして眺めてたの」と若月医師との対談で話しているように、病院の職員全員が私を暖かく迎え入れてくれるような安心感に満たされる空間だった。
 深沢氏の言葉「自分の体をセンチメンタルな気持ちで診て下さる先生がいて、その先生を信用していりゃ、死んだってもうわたしはいいです」(南木佳士『信州に上医ありー若月俊一と佐久病院』(岩波新書)、1994年、150頁)が腑に落ちる。
 また、ここでは5月末から11月までの間、JA佐久浅間女性会がとれたて野菜を販売する「まごころ市」が開かれており、活況を呈している。案内してくれた広報の新海茉優さんは「安くて新鮮で美味しいんです。急がないと売り切れてしまいます」とのことだったが、確かに、午後、ここを訪れた時にはすでに棚には何も残っていなかった。

院内の壁新聞院内の壁新聞

◇出向く医療を実践 命の大切さ伝える

 若月俊一医師がここに赴任したのは、佐久病院開設の翌年、1945年3月のことであった。
 当時、南佐久郡のこの地域で、農民たちが医療を受けるとすれば、遠く長野の赤十字病院まで、そして小諸に私立病院ができてからはそこまでたどり着かねばならなかった。往診など到底考えられない贅沢であり、ましてや手術を受けるなど、ありえない話だった。
 手遅れになってから運び込まれる患者を前に、若月医師が予防と早期発見のために出張診療活動を始めたのは敗戦の年の12月のことだった。資材を持って汽車と牛馬の力を借り、轍が進まないところでは歩いて村々を回った。啓蒙のために若月医師自らが脚本を書き、医師や看護師たちが結成した演劇部がこれを演じた。今も、佐久総合病院ではコーラス部や舞踊班など多くの専門部が置かれ、病院祭などの文化活動を通じて情報を発信するとともに、住民と医療の間の壁をなくす努力が続けられている。
 夏川周介医師は「若月先生が無医村状態にあった農村地域にこちらから出かけていって診療を行う活動を始めて以降、現在にいたるまで地域の保険予防医療を続けてきたことが佐久病院の特徴」だという。
 若月医師が精力的に取り組んだことは、農民と医師たちとの間にある壁を取り払い、病巣だけではなく病の背後にある社会と暮らしを観察し、病の本当の原因を取り除く努力を続けることであった。無医村状態の農村に自ら医療を出前し、放置されていた「こう手」を手術でなおし、死を待つだけの病とされてきた脊椎カリエスの手術を成功させ、長野県内だけでなく、農協の厚生病院として初めて放射線治療用機器を導入した。近代的な伝染病棟や精神病棟を創設し、戦後の圧倒的な食料不足のもとで、闇米でもなんでも手当たり次第に買い入れて患者に栄養のある給食を提供したのも国立病院と大学病院を除けば全国でこの佐久病院が最初であった。給食の導入はただ単に栄養状態の改善だけを目指していたのではない。
 「給食がない頃、病院では家から食事を運んでくるのが当たり前で、空腹なままで昼を過ごす患者もいました。看護婦さんの中には見ていられなくて自分の弁当を患者さんにそのまま差し出してしまうこともありました。何よりも辛いのは家からの差し入れで貧富の差がわかってしまうことです。若月先生はこれを良しとしませんでした。病院の中に貧富の格差を持ち込まない、そのためにも給食が必要だったのです」(夏川医師)病室に一斉にベッドを入れた理由も同じだった。余裕のある患者は布団を、そうでない患者は藁を詰めてマットレスがわりにしていたのであった。若月医師はこうして次々と「直接的な病気の治療」だけではなく、こうした治療に付随する分野に残された「貧困の刻印」から患者を解放するための対策を講じていったのである。

出張医療の様子出張医療の様子

◇「人間を診る」から「貧困との闘い」へ

 医者は病気だけを見るのではなく人間をみるべきであるという父若月俊一氏の言の通り、若月健一氏がケースワーカーとして佐久病院で働き始めたときにまず手をつけたのはこの貧困の問題であった。
 若月健一氏は言う。
 「佐久病院にとって重要なもう一つの闘いは農家の貧困問題です。農家の病は貧困問題と結びついており、貧しい農家の方は手遅れになることが多かったので。まだ病気が軽いうちに医者に来てもらいたかったし、安い医療費でなんとかならないかと考えました。だから、私がケースワーカーになって最初に手をつけたのは貧困問題でした。
 まず、最初に、生活保護法の活用を農家に勧めて回りました。農家の人たちの中では村や国のご厄介になりたくないという意識が強かった上に、行政の側でもそんなところに金を使うのは無駄だという意識がありました。私は村の人たちに、生活保護は村の予算を使う必要がない。国保からの支払いも無いし村も助かるんだから村も一緒になって協力しろと説得してまわりました。やがて村からの協力を得て、村の人たちへ生活保護への正しい認識が広がっていきました。また、そのことで病院も医療費の未収が無くなりました。
 それまでは、病院の先輩達が農村へ出向いて集金して回っていました。ところが貧しいものだから集金できない。見かねた職員が集金どころか着て行ったオーバーコートを脱いでそのまま置いてくることさえ度々だったのです。そのころ、病院の入院患者の25%は生活保護を受けていました。皆、本来もっと早く生活保護を受けなければならなかったはずの人たちでした。そのうち、長野県の厚生課では、職員に"佐久へ勉強に行け"と指示して、彼らを佐久の福祉事務所へ派遣するようになりました。毎日病院へやって来る病院職員と激論を交わしました。そうやって県の生活保護に対する考え方が劇的に変わって行ったのです」

◇村ぐるみの健診活動 魅力ある地域社会へ

 八千穂村が最初の全村健康管理の舞台になった背景には、それまで盆暮れの現金収入が入った時にまとめて後納していた国保が窓口半額徴収を義務化することになるという大問題が関係している。当時の井出村長は、このままでは普段現金を持たない農民たちが医療から遠ざかっていくとの危機感を持っていた。ここに若月医師が予防医療という解決策を提案したのである。かねてより八千穂村に出向いて診療を行ってきた若月医師と村民の間には信頼関係が出来上がっていた。猛反対の医師会は、地元の開業医である出浦公正医師が説得してくれた。こうしてこの八千穂村の全村健康管理への取り組みが始まったのであった。
 夏川医師は言う。「当時、八千穂村には医療費が払えない農民が多く村の財政事情も大変な状況にありました。病院の方でもお金が入らない状態では経営をやっていくことはできません。なんとか良い方法はないかと村長さんから相談を受けて、それならば費用の少ない健診を組み合わせてということになって健康を守るための社会運動とでも言うべき活動が始まったのです。村がいうのならと村の人たちもだんだん積極的になって、そのうち村ぐるみの活動に発展し、それが個々の住民の健康を守っていこうという意識につながっていきました」
 これこそが、若月医師の目指す、村民自らが自分たちの健康を守るために自主的に取り組むという姿だったに違いない。今、八千穂村は合併して佐久穂町となっている。この佐久穂町の「佐久穂町コミュニティ創生戦略」ではこう書かれている。
 「当町には幸い、各集落における活動や健康管理事業等で培われた、多様な「コミュニティ」が今も息づいています。これこそが町の強みです。」佐々木勝町長は「町長コラム」で改めてこの一文を紹介し、「自治体は地域の人口を維持していくために存在するのではありません。その地域に適切な行政サービスを提供するために存在します。(中略)これからの時代の中で、何が「適切な行政サービス」なのか、コミュニティの力、皆様のお知恵をお借りしながら、しっかりと考えていきます。」と語っている(町長コラム 『広報さくほNo.156』)。
 工場を誘致し、娯楽施設に頼って地域再生を図ろうとして失敗した多くの自治体が今度は内発的な再生を図ろうとした時、大概目にするものは頼るべきコミュニティがすでに崩壊した姿である。一方で、佐久穂町では八千穂村の全村健康管理を通じて住民が守り、育んできたコミュニティが確かに存在している。

以下、【歴史が証言する農協の戦い】命と暮らしを守る佐久総合病院 若月俊一がめざしたこと(2)に続く

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