農政:食料危機がやってきた
【食料危機がやってきた】肥料供給難で世界農業に致命的な影響も(1) 資源・食糧問題研究所 柴田明夫代表2022年4月18日
ロシアによるウクライナ侵攻が長引く中、穀物の高騰や肥料原料の供給不安などが重なり、世界の食料生産をめぐる状況が混沌としている。こうした事態を受けて世界各国が具体的な対策に走り出すが、日本の食料安全保障をめぐる動きは鈍い。ウクライナ危機を受けて世界はどう動いているのか、日本はどう備えるべきなのか、資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表に緊急寄稿してもらった。
資源・食糧問題研究所代表
柴田明夫氏
世界経済は、コロナ禍3年目に入り、行動制限緩和に動く国が増える一方、ロシアのウクライナ侵略により、先行き不透明感が高まっている。食料市場においても、コロナ禍によるサプライチェーンの混乱が続くなか、ロシアへの経済制裁強化と相まって小麦、トウモロコシ、大豆、ヒマワリ油などの供給削減、肥料原料の供給不安、原油・天然ガス価格の高騰に伴う農業生産資材の上昇が続いている。混乱が極まる中、エネルギー・食糧安全保障の観点から自国優先に舵を切る中国の動きも要注意だ。
14年ぶりに過去最高値を更新したシカゴ小麦
シカゴ穀物市場は2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻の一報を受け小麦相場が急騰。3月7日には、小麦先物(期近)価格は1ブッシェル(27.2キロ)=13ドルを突破し、2008年2月以降14年ぶりに過去最高値を更新した。大豆、トウモロコシ(25.4キロ)も連れ高となった。その後、小麦は11ドル前後、大豆は16ドル台、トウモロコシは6ドル台後半での値動きとなっており、依然として上振れリスクは大きい。
シカゴ穀物相場
ウクライナでは、毎年4~5月に冬小麦の収穫、5~6月にかけて春小麦やトウモロコシなどの作付が始まる。しかし、4月初めに入りすでに戦争は長期化の様相を呈しており、小麦などの冬作物については20%の農地で収穫ができず、トウモロコシなどの春作物については30%の農地で作付が困難だ。生産者の郊外避難や、ウクライナ軍への従軍で農業従事者が人手不足にあり、トラクターなど農業機械の燃料不足(軍用車向けへの転用)、さらに農地や貯蔵庫などサプライチェーンが破壊されているためだ。
ウクライナ危機の影響は、すでに中東・北アフリカ諸国での食料価格の高騰を招いている。食料のほとんどを輸入に依存するイエメンでは、親イラン武装組織フーシ派による紛争が長期化する中、小麦輸入の3割以上を占めるウクライナからの輸入が停滞している。小麦自給率が4割で、輸入小麦の約8割をロシア・ウクライナ産に依存するエジプトでも、ロシア侵攻後、経済制裁や供給減少に対する不安が高まり、パンの価格が50%上昇している。さらに、レバノンでは、国内に出回る小麦の9割以上が両国産であり、3月22日時点で「国内備蓄は残り4~6週間分」という危機的状態にある。
価格高騰は穀物に限らない。国連食糧農業機関(FAO)が毎月発表する世界の食料価格指数(肉、酪農品、穀物、野菜・油糧、砂糖、2014~16年平均=100)は、2020年6月以降上昇傾向を強め、2022年2月には141.4ポイントで、1990年1月の統計公表以来初の140超えとなった。さらに上昇は止まらず、4月8日に発表した3月の同指数は、前月比12.6%増の159.3で、前月の過去最高を大幅に更新した。
上昇が目立ったのが穀物で、同170.1と過去最高を塗り替えた。小麦は、ロシアの侵攻を受けたウクライナで、輸出が混乱したほか、米国産小麦の作柄に対する不安も反映して大きく値上がりし、トウモロコシは、ブラジル、アルゼンチンの不作に加え、ウクライナの輸出減少観測。植物油も過去最高を更新した。南米の大豆生産見通し悪化。ウクライナとロシアが主産地のヒマワリ油の供給不安による。原油価格の高騰でバイオ燃料への代替需要が拡大していることも植物油全体の価格を押し上げている。食肉は、西ヨーロッパ産豚肉の供給源やブラジルの出荷減少に加え、主要輸出国での鳥インフルエンザ、ウクライナ危機による鶏肉の輸出減が響いた、など背景は様々だ。
肥料原料の供給不足が近代農業に与えるダメージ
戦争長期化で懸念されるのは、小麦など穀物の供給不安だけではない。広大な国土を抱えたロシアは、3大肥料原料であるリン酸、カリ、窒素の生産で非常に重要な役割を果たしている。豊富な天然ガスや石油による低コストのエネルギーを使って、アンモニアなどの窒素肥料原料も合成する。カリ鉱石の生産量の3割強はロシア、ベラルーシが占め、リン鉱石について、ロシアは世界第4位の生産国だ。
リン鉱石
加里鉱石
この世界最大の肥料庫からの供給が、物流の混乱と経済制裁の両面から途絶えることになれば、世界の農業にとって致命的な影響を受けることになる。高度にシステム化された大規模な近代農業では、化学肥料の手当てができなければ、減収は避けられないためだ。農業大国ブラジルでは、2021年には肥料の85%を海外から輸入(全国肥料普及協会)し、その内23%がロシアに由来する(ブラジル経済省)。ボルソナロ大統領は、今後肥料の調達が困難になるとして、アマゾンなどの熱帯雨林に広がる先住民保護区での資源開発を可能にする法整備を進めようとしている。肥料の主要成分であるカリウムを採取することが狙いだ。さらにEU農業は、農薬の大半をロシアからの輸入に頼っているという。インドは、トータルの肥料消費量および単位面積当たりの消費量も多いことから、化学肥料が入手し難くなった場合の影響は甚大だろう。
化学肥料原料のほぼ全量を輸入に依存している日本も心配だ。日本は、トータルとしての化学肥料の消費量は限られるものの、ヘクタール当りの消費量は268キロで、中国の389キロに次いで世界第2位だ。特に、リン酸アンモニウム、塩化カリウムはほぼ全量輸入だ。農林水産省によれば、世界的に資源が偏在しているため、輸入相手国もカナダ、中国、ロシア、ベラルーシなどに偏っている。
主要国の化学肥料消費量
「戦略物資」としての食料 プーチンの思惑は
ロシアのプーチン大統領は4月5日、ビデオ会議を通して、海外への食糧供給について「慎重になる」と発言した。具体的には、「ロシアは農産物の純輸出国になった。いまや世界160カ国をカバーしている」「今年は世界的な食糧不足を背景に、海外への食糧供給をより慎重に行う必要がある」「敵対国への輸出のパラメーターを注意深く監視する必要がある」というような内容だ。果たして、この輸出を「注意深く監視する」が何を意味するのか現段階では定かではないが、ロシアは食料を「戦略物資」とみている節もある。
想えば、東西冷戦が続いていた1980年代まで、米国は大豆、トウモロコシ、小麦の在庫を豊富に持ち、食糧不足に陥った国々に対して必要な食糧を供給する「世界のパン篭」の役割を果たしていた。供給しなければ、そうした国々は「ソ連化(共産化)」していく恐れがあるとの判断からだ。当時の米国農業は単に世界の大きな食糧供給国であるばかりでなく、拡大・縮小する農地の余力をもった信頼できる供給源もあった。しかし、1989年にベルリンの壁崩壊を以て「東西冷戦」が終焉。1991年にソビエト連邦が15の共和国に解体し、市場原理が貫徹する社会が到来すると、米国はすかさず低在庫戦略に切り替えた。もはや地政学リスクは低下し、経済合理性だけを考えればよい時代が到来したはずであった。しかし、ここに来て、世界は再び食糧不足時代を迎えることになったとみれば、今度はロシアがかつての米国のように、食料難に喘ぐ発展途上国などに対して、同盟国に加わることを条件に、「世界のパン篭」の役割を果たそうとしているのだろうか。
19日の(2)に続きます。
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