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農政:創ろう食と農 地域とくらしを

求められている協同組合精神の社会化 哲学者・内山節2014年10月29日

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・自分の利益を守る行動で自らの独自性を喪失
・大本営指導型の経済社会構築へ
・社会が疲弊する格差社会固定化
・人々の生きる世界を再生し守る

 人間たちが暮らす世界のつくり方と、国が考える国家のかたちはつねに食い違うものである。たとえば自分たちの生きる世界の課題としては、消費税がさらに高くなることを喜ぶ人はいない。ところが国の維持という立場に立つと、国家財政が破綻しないようにするのは最重要課題のひとつだということになる。ここで問題になるのは、このふたつの違いを分けて考えるだけではすまないことである。なぜならもしも国家財政が破綻するというようなことがおきれば、人々の暮らす世界もメチャクチャにされてしまうからである。

江戸時代より質が悪い現代

toku1410290101.jpg 私たちはいまこのような世界を生きている。この点では江戸時代よりも質が悪い、江戸時代なら、幕府の国のつくりかたとは別のところで、人々は自分たちの村をつくっていくことができた。もちろん飢饉などが発生する危険性はいまよりも高かったが、農民たちは知恵を使って自分たちの村を守り、年貢をめぐって武士とのかけひきを繰り返していた。地域というかたちでつくられる自分たちの生きる世界と国の方向は、食い違いをもちながら展開することができた。
 明治以降の国がめざしたものは、この食い違いの解消だった。もっとはっきり言えば、国がすべてを一元的に管理できる体制の構築だったといってよい。もっともそれは簡単には実現できず、ひとつの完成形をつくりだしたのは昭和の戦争の時代においてである。国民総動員体制が構築されていくなかで、国による国民管理が完成していったのである。だがその結果は、日本の人間にとっても、惨憺たる敗戦でしかなかった。

 

◆自分の利益を守る行動で自らの独自性を喪失

 このような経験をへて戦後の日本は、国家と「人々の暮らす世界」の間に再びある種の不統一が発生してくる。農民は農政に必ずしも従うわけではなく自分たちの農の世界で生きていったし、企業もまたそれぞれの企業一家を形成するようになった。さまざまな領域で国の方針に抵抗する人々が生まれ、国の政治はたえず批判の対象にもなっていった。労働組合が結成され、農協などの協同組合が展開し、さまざまな市民の活動が生まれていったことも、国のかたちと「人々の生きる世界」との食い違いを定着させることになった。
 ところがこの戦後のかたちには別の面も付随していたのである。たとえば企業は企業一家として独自の「社会」を築きながら、他方では国との結びつきを強めて自分たちの利益を守ろうとしてきた。それは労働組合や協同組合にもいえたことで、それが国家機能の強化を促進することにもなった。自分たちの利益を守るための行動が、自分たちの独自性を喪失させるという性格をつくりだしてしまったのである。

 

◆自分の利益を守る行動で自らの独自性を喪失

 このような歴史をへて今日の日本の政治は、国のコントロール機能を強化する方向で動いている。さまざまな人々がそれぞれの生きる世界を創出していく社会ではなく、国の下に一元管理された「強い日本」がめざされはじめた。一方では機密保護法や集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更がおこなわれ、また他方では国がめざす経済社会に向けて強引な政策が実施されていく。みんなの力を積み上げて豊かな社会をつくろうというのではなく、いわば大本営指導型の経済社会の構築が推進されているのである。それが円安によって追い詰められていく人々を考慮しない円安政策だったり、農村の破綻を無視したTPPへの邁進、格差社会のいっそうの固定化や女性の労働力化の推進だったりする。もちろん女性が活躍できる社会をつくることはいいことだ。だがいまの政権がめざしているものは、女性が社会のなかで活躍する方法にはさまざまなかたちがあることを無視して、人口減少と高齢化によって不足する労働力の穴埋めとして女性を利用しようとすることでしかない。

 

◆大本営指導型の経済社会構築へ

 このような政策からみえてくるものは、国家がすべてを管理する時代への移行である。あるいはその意味での戦前への回帰だといってもよい。だからこれから具体策が出てくる「地域の創生」も国の路線に従った地域の改編策になるのだろう。それは農業の徹底した産業化、企業化であったり、国にとって不要な集落の閉鎖やコンパクトシティの建設であったりするのだろう。この路線に従って農村における農協の役割も「改革」の対象に据えられる。
 だがこの政策は、国家としても失敗に終わるだろう。なぜなら今日の世界ではそもそもこのようなかたちで「強い国家」を創る基盤が存在しないからである。円安に誘導しても輸出が増えないことに示されているように、経済構造自身が変わってしまっている。工場が海外に移転し、電気製品でさえ海外工場から輸入されている現状では、円安は輸入物資の価格上昇を招くばかりになってしまっている。農業の産業化や企業化をすすめれば、さまざまな農業のかたちを成立させ、農とともに展開してきた農村を崩壊させていくことになる。格差社会のいっそうの固定化なども、私たちの社会を疲弊させていくことになるだろう。
 とするといま大事なことは何なのだろうか。それは人間たちの生きる世界、生きる地域をどうつくるかである。国家に振り回され、管理される社会ではなく、みんなが生きていける社会をいかに再創造するかである。その意味で「一人がみんなのために、みんなが一人のために」という協同組合の精神を社会化することが求められているといってもよい。

 

◆社会が疲弊する格差社会固定化

 はじめに述べたように、明治以降の日本の近代史は国による社会の一元管理をめざす動きとともに展開していた。それは「権力」という面からみれば、権力の一元化をめざす動き、権力の明確化をめざす動きでもあった。それは昭和の国民総動員体制のなかでひとつの完成をみせていったが、いま日本の政治は再びこの方向を目指しているようにみえる。しかも昭和初期の動きが誤った世界認識の下でおこなわれたように、今日の動きもまた誤った現状認識の下で推進されている。これまでの日本の経済のあり方が格差を拡大し、地域を疲弊させ、農業の後継者もいなくなる時代をつくりだしたのに、より強引な方法でこれまでと同じような経済を発展させようとすれば、経済構造が変わっている以上その実現も不可能なばかりでなく、よりいっそう格差が拡大し、地域も農業も疲弊してしまうだろう。その結果は社会不安の高まりであり、社会を維持していくコストの増大でしかない。それは私たちの社会を破滅させる。

 

◆人々の生きる世界を再生し守る

 戦後の日本の安定は、権力が分散することによって実現されてきた。政治の支配権は首相、政権、与党、官僚、地方の首長などに分散され、どこかに一元化されることはなかった。経済でも企業、財界、政治、さまざまな人々の営みなどの存在が経済権力を分散させてきたし、協同組合や労働組合もまたそれぞれの役割を担ってきた。ところが現在の日本は、この体制を覆そうとしている。すでに通用しなくなっている古い経済理論や国家にすべての権力を一元化していこうとする政治理論を底に置いて、「強い国家」をつくろうとしているのである。とするなら今日の私たちの課題は、この動きに対抗できる人々の生きる世界を再生させ、それを守っていくことのなかにある。


(特集目次は下記リンクより)
【特集 食と農、地域とくらしを守るために】農協が地域を創生する

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