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生産資材:時の人話題の組織

【時の人 話題の組織】農機の開発で「儲かる農業」を実現したい 井関農機(株)・木村典之代表取締役社長2013年3月21日

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・農業の機械化が日本経済の成長を支えた
・地域や作物の特性に合わせた機械を開発
・水稲疎植栽培で低コスト営農を実現
・裏作など農地の有効活用で自給率を向上
・JAと力を合わせ農家組合員に貢献したい

 井関農機株式会社は、1926年(大正15年)に四国・愛媛県松山市に誕生した。戦前は「ヰセキ式籾すり機」や「自動選別機」を製造・販売し、戦後も松山や熊本に工場を新設し戦後日本農業の振興に貢献。さらに1967年には田植機、コンバイン、バインダの生産を始め、トラクタと合わせて日本農業の基幹品目である稲作の機械化一貫体制を確立した。農作業の省力化による日本農業への貢献に加え、高度成長時代の日本経済の発展に労働力を供給可能にしたことにより、工業化を支えてきた。また最近は、農業機械の開発というハードの面だけではなく「水稲疎植栽培等」のソフトの面にも力をいれるなど、農業全般を視野に入れた展開もされている。そうしたことを含めて木村典之社長に忌憚なくお話いただいた。

農家を過酷な労働から
解放するのが創業の理念


◆農業の機械化が日本経済の成長を支えた

井関農機(株)・木村典之代表取締役社長――農業機械は、化学肥料や化学農薬とともに戦後の日本農業発展に貢献されてきました。とくに、1960年代以降は農業の機械化を促進することで兼業化を可能にし、創出できた労働力を工業等に供給できたことで日本の高度経済成長を支えてきた原動力だといえますね。
 「現在の開発途上国もそうですが、労働力シフトをしながら農村部の食料生産体制を維持するためには、機械化なしには不可能です。そういった意味で労働人口を製造業などへシフトさせることに、農業機械は貢献したと思います。
 「米の10アールあたり直接労働時間は、昭和35年(1960年)は174時間/年でしたが、30年後の平成2年(1990年)には44時間/年と約4分の1になっています。農業機械は労働時間の短縮に大いに貢献しました。また、平成2年では農業機械は普及限界に近づいていましたが、その後の大規模化や農業技術の開発・普及や農業機械のさらなる進歩によって20年後の平成22年にはわずか25時間/年となっています」

◆地域や作物の特性に合わせた機械を開発

――省力化・効率化をはかるために田植機という日本独自の農機開発をはじめ、さまざまな研究・開発を進めてこられ、多くの特許など知的財産を取得されているのも御社の大きな特徴ですね。
 「創業者の理念は“農家を過酷な労働から解放したい”というものでした。その理念をひたすら受け継いで今日の井関があるわけです。農業機械というのは基本的にベンチャービジネスです。手作業とか畜力を利用していた農作業を機械化していくので、その一つひとつの過程がまさにベンチャーでした。その精神とDNAは諸先輩から連綿と受け継いでいます」
――そうした人材を育成してきたノウハウはなんですか。
 「一つは技術系社員の教育システム。そして彼らの考え方や発想を受け入れやすい組織風土。加えて技術開発に対する報奨制度の3つです。この3つのバランスがとれ、うまく機能した結果ではないかと思います」
――日本は南北に長く地域によって気候や農地条件が異なりますが、それにもきちんと対応されていますね。
 「それは私たちがベンチャー精神を忘れていないからです。つまり、こういう機械化システムがありますから、このシステムに合わせてくださいというアプローチだけでは機械化の速度は極端に遅くなります。同じ作物でも気候条件とかが異なれば畝の立て方や栽培方法が異なります。その地域で作物を作るための栽培方法に必然性があるわけで、できるだけ取り込んでいかなければと思います」

◆水稲疎植栽培で低コスト営農を実現

ヰセキ田植機は37株疎植栽培に対応――最近は「水稲疎植栽培」に力を入れていますね。
 「疎植栽培というのは低コスト農業を実現するための栽培方法の一つで、基本は"儲かる農業"をして欲しいということです。そのためには、生産物収量をあげるか、コストを抑えるかのどちらかですが、疎植栽培は、水稲栽培にとって、低コスト営農を実現する非常によい手段です」
 「慣行栽培と比べ、疎植栽培は植付株間を広く取りますので移植する苗の量が約半分になります。慣行栽培では水田10アール当たり苗箱が20?24箱必要ですが、疎植栽培だと10箱と約半分で済み苗に関するコストはおよそ半分になります。ヰセキの田植機には疎植栽培機構を標準装備していますから新たな投資は必要ありません」
――収量は…。
 「一般的には慣行栽培と同量、あるいはそれ以上というケースもあります。
――いまどれくらい普及しているのですか。
 「23年産米は当社が「実証圃」として確認しているものは約1万1500ha、24年産米で約1万4500ha、そして25年産米の目標は1万9000haです。」

(写真)
ヰセキ田植機は37株疎植栽培に対応

◆地域地域の農業を理解することが大事

――農業機械そのものの開発だけではなく、栽培技術を含めた開発に力をいれていかれるわけですか。
 「農作業をする機械が農業機械です。そして農作業にはいろいろなノウハウがありますから、そのノウハウと機械利用は一体に機能しなければなりません。そのためには、栽培方法と機械の利用方法をあわせて提案し、普及啓蒙する体制も必要です。先ほど述べました疎植栽培では、現場で指導できるインストラクターが全国に1000人以上いて普及啓蒙しています」
――農業そのものに踏み込み、地域地域の農業を理解して研究開発していく…
 「そういうことです。疎植栽培だけではなく、例えば野菜栽培では畝をつくり、畝に苗を移植していきます。そのときに肥料は従来では全面施用しましたが、畝と畝の間は雑草しか生えません。ここに肥料を施用するのは無駄だといえます。畝の栽培する部分だけに施用すると肥料は3割くらい削減できます。そのような機械やノウハウをご提供しています。そのほかにもさまざまなものがあります」

◆裏作など農地の有効活用で自給率を向上

収穫作業の省力化を実現――いま日本の食料自給率を引き上げることが重要な課題となっていますが、御社では自給率向上をはかる農水省の「フードアクション ニッポン」に積極的に参加されさまざな取組みをされていますが、今後の食料問題や日本農業のあり方についてはどのようにお考えですか」
 「企業としての直接的な取組みとしては、社員食堂や独身寮で地産地消をするとか、製品展示施設を活用して子どもたちへの食育に協力することにも積極的に取り組んでいます。しかし私どもは農業機械メーカーですから、国内の農業ができるだけ低コストで儲かる形で永続性をもつことができるように、農業機械を通じてご協力していくことを基本と考えています。したがってできるだけ低コストで効率よくお使いいただける機械を開発し販売することが、私どもの使命と考えています」
 「食料供給問題については、民族として生き残っていくために、また、将来のリスクに備える意味でも、国産体制は堅持していくべきと考えています。日本の国土が大きくなることはありませんが、食料自給率をあげていくための努力をしていかなければなりません」
 「そのためには、放棄地の有効利用や、裏作を活用した2年3作とかによって土地利用の回転率を上げることも方法のひとつとです。また、自然環境保護とか景観整備、国土保全、水源涵養の機能維持の観点からも農業の国産体制を守っていかねばならないと思います。」
 「このために必要な小規模経営でも経営が成り立つ廉価で、使いやすく、また高齢者も易しい機械を私どもは開発していかなければいけないと思います」
 「大規模化を目指す農家向けには価格以上の効果が期待できる高能率な機械を提供していきます。つまり小規模から大規模まであらゆるカテゴリーに対応し、農家の皆様に適切な機械投資をしていただくことだと考えています」

(写真)
収穫作業の省力化を実現

◆JAと力を合わせ農家組合員に貢献したい

――2015年は御社創立90周年ですが、海外戦略を含めて今後の施策についてお聞かせください。
 「創立90周年は一つの節目ですが、当社の基本的な戦略は、国内農業を大事にしながら国際化戦略をどう進めるかと考えています。アジアの農業はかつての日本のように、工業化に向かって農村からの労働人口のシフトが進みますが、そのためには農業の機械化が必要なのです。これをにらんだ戦略を整えてまいります」
――最後に、JA役職員や生産者へのメッセージをお願いします。
 「日本農業の発展が私たちの事業の発展にもなります。JA様は日本農業に携わる農家のみなさまの組織ですから、農家・組合員の発展のために共に力を合わせていきたいと考えています。農業機械に対するご要望があればぜひ声をかけていただければと思います」


○略歴
【きむら のりゆき】昭和29年愛媛県生まれ。昭和52年早稲田大学商学部卒業、同年井関農機(株)入社。平成5年同社営業本部系統推進部課長、同11年関西支店長、同年京滋ヰセキ販売(株)社長、同14年井関農機(株)農機事業部長、同年(株)ヰセキ北海道社長、同19年井関農機(株)執行役員、同22年同社常務執行役員、同24年同社専務執行役員、社長補佐、同年6月同社代表取締役社長兼社長執行役員に就任し現在に至る。

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