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第5回 干ばつと洪水2018年5月31日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 いくら神様仏様に祈っても雨は降らない。天を仰いでため息をつくしかない。下を見ると水路に水はなく、田んぼは干上がり、ひび割れまでしている。青々としていた稲は黄色く枯れあがろうとしている。このままなら収穫皆無、家族も干上がってしまう。
 と思って上流の田んぼを見るとたまたまそこは緑色である。そこまでは水路に水がきているからだ。その水が欲しい。ついつい夜中その田んぼのところに行って水口を閉め、水路の水が自分の田んぼにくるようにする。水分配の約束事を破って他人にいくべき水を盗むのである。

 こうした水分配の約束破りを集落ぐるみでやるところも出てくる。たとえば水路をせき止めて隣りの集落に水をやらず、自分の集落の田んぼにだけ水を流そうとする。
 翌朝それに気が付いた上流の農家・集落は約束を破った農家の家にあるいは集落にどなりこむ。そしてもとにもどそうとする。そうはさせじとそれを妨害する。こうして「水喧嘩」が始まる。
 この水泥棒の気持ちはよくわかる。稲がかわいそうだし、自分たちだって飢えてしまうからだ。しかしそれは盗まれる方だって同じである。ともに死にものぐるいなのだ。当然隣の集落は、農家は怒る。鍬鎌をもってみんなが集まって水をまもろうとする。それにまた鍬鎌でもって対抗する。こうして集落間、農家間のけんかとなり、血まで流すことになる。こんなことは全国各地に見られた。
 宮沢賢治はうたう、「ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ」と。しかし現実はそれどころではなかった。「ヒデリノトキハ 血ヲナガシ」たのである。

 それで問題が解決するわけはない。結局程度の差はあれ干ばつでともに減収、食っていけず、なかには土地を手放さなければならない農家も出てくる。こんな話は全国各地にあった。
 水不足と逆の水過剰の問題もあった。もっともひどい水過剰は洪水である。洪水は収穫皆無にさせたり、田んぼそれ自体を喪失させたりする等、いわゆる水害を引き起こす。
 宮城県北の旧T村などはその典型例で、北上川と迫川の合流点にあるためにしょっちゅう洪水に遭う常習水害地帯だった。そのために単収はきわめて低く、生活が成り立たなくて土地を売らざるを得なくなり、ほとんど全員が小作人となった。そしてその土地は宮城県唯一の千町歩地主を始めとする地主のものとなっていた。当然こうした地主に小作料を納めなければならない。高額高率小作料と水害の往復びんたなのだから、むら人はまさに極貧にあえいでいた。だから周辺の人はT村を「ほえど(=乞食)のむら」と呼んだという(そうした状況から脱却すべく村人たちは昭和初頭に激しい小作料引き下げ闘争を展開するのだが)。

 T村は極端としても他の農村もやはり水には苦労した。いうまでもなくこうした事態は治山治水を公共的に行って解決するしかない。しかし、富国強兵=軍備増強・軍需産業育成に力を注ぐ政府の施策はきわめて不十分なものでしかなかった。また小作料の引き下げや高利の抑制などの対策もとらなかった。
 そんなところに冷害などきたら北国の農家などはたまったものではなかった。

 

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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