【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】幕末の肝っ玉女商人 大浦 慶2018年8月26日
◆海の彼方との交易を夢見る
大浦慶は長崎で油業を営んでいた家に生まれた。商売柄、近くにあるオランダ商館への出入りが多く、また商館からもお慶の店によく館員が訪れた。お慶は生地の関係から、海の彼方にある国々との交流を夢見ていた。商人の娘なので、
「外国と交易ができる様になったら、外国の人々は日本のどんな商品を求めるだろうか」
などということをいつも考えていた。そういう情報をもたらしてくれるのは、折々訪ねて来るオランダ商館員であった。中でもテキストルという商館員とお慶は親しかった。
お慶自身、「その時は、私が荷主となって交易品の扱いをやって見せる」と意気込んでいたからである。これはオランダ人のテキストルから教えられて、
「外国では、男と女の区別などなく女性でも能力があれば、対等に商売ができる」ということを聞き込んでいたからである。お慶も独立心の強い女性だった。だから、父親に叱られながらも一端の商人気取りで商売のいろいろなことに関心を持っていた。とにかく彼女が一番重視したのが情報である。ところがテキストルの話では、
「日本がアメリカのペリーと結んだ条約の内容は、単に清国(その頃の中国の国名)と貿易を行なうための、中継基地として食料や燃料の補給をすることに主眼が置かれている」ということだ。アメリカは日本と交易を行うのではなく、清国と行うために遠い太平洋航路の途中、燃料や食料の不足をきたしたり、あるいは船中に病人が出た時の介護をしてもらうために、日本の港を開かせたというのである。交易条約ではない。単に、
「中継基地条約」なのだ。お慶はがっかりした。しかしこの不完全な条約に不満を持ったのは、日本の商人だけではなかった。アメリカから初代の領事として下田に星条旗を掲げたハリスも不満を持っていた。
「交易を行なわないような開国条約は意味がない」ということで、積極的に幕府に働きかけついに安政五(一八五八)年六月に「日米通商条約」を締結した。お慶はその前から、
「日本が交易を行なうようになった時、輸出する商品は何が一番いいだろうか」ということを、テキストルと話し合っていた。テキストルは情報通で、
「もしも交易ができるようになった時に外国で日本に求めるのは、お茶が一番いいと思う」と告げていた。
◆開港前から大胆な実験
これを聞いたお慶は、すぐ自分の好きな肥前佐賀の嬉野の茶商人たちに働きかけて、大量の見本品を買い込んでいた。そして、この茶を上・中・下の三種類に分類し、布の小さな袋に詰めて、自分の住所と名前をしっかりと書き込み、テキストルに頼んだ。
「これをイギリス・アメリカ・アラビアなどに送ってくれませんか」テキストルはびっくりした。
「こんなに大量の茶袋を送ってどうするつもりだ?」と訊いた。お慶は笑った。
「試飲してみて気に入ったら、きっと注文してくれるでしょう」「そんなことを言っても、まだ日本はどこの国とも交易条約を結んでいないよ。無駄骨に終わるよ」しかしお慶は笑って首を横に振った。
「アメリカの努力で、きっと今年中にでも交易条約が結ばれますよ」「呑気だなあ、お慶さんは」テキストルは笑った。しかしテキストルはさすがにオランダ商館員だけに、お慶のいう言葉の中に一つの真実を発見した。それは、
「近いうちに、日本も外国と交易条約を結ぶだろう」ということだ。二人の夢が当たって、「日米通商条約」を皮切りに、その年のうちに日本はオランダ・イギリス・フランス・ロシアなどとも同じ条約を結んだ。これによって、長崎・横浜・箱館の三港が開かれたのである。ある日突然一人のイギリス人がお慶を訪ねて来た。
「イギリスから来たオールトです」と名乗った。オールトは茶目っ気があって、洋服のポケットから布の袋を出してブラブラ掲げて見せた。お慶は目を見張った。かつて自分が送った嬉野の茶を入れた袋だったからである。オールトは袋に書かれた慶の住所と名を示しながら、
「これはあなたでしょう?」と訊いた。お慶は驚きながらも、はいそうですと頷いた。オールトはほっとした表情で、
「よかった。この中に入っていたお茶は大変に美味しい。十万斤注文します。至急整えてください。わたしがイギリスに帰る時に一緒の船に積んで行きたい」と言った。お慶は仰天した。
「十万斤もですか」と訊いた。オールトは頷く。それからのお慶は大わらわになった。近くの茶屋や、もちろん嬉野の製造者だけでは間に合わない。散っている嬉野茶を集めるのに、お慶は使用人と共に走り回った。やがて十万斤の茶が集まった。この時の一回の商売で、お慶は大金持ちになった。テキストルが目を見張った。そして、
「お慶さん、やはりあなたの先見力は凄い。わたしがいくら冗談めかしても、あなたは必ず返事が来ると云って、外国にばら撒いた茶袋の反応を待ち続けた。その肝っ玉の大きさには呆れました」
と感嘆した。
(挿絵)大和坂 和可
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