コラム 詳細

コラム:小説 決断の時―歴史に学ぶ―

【童門冬二(歴史作家)】

2018.11.18 
【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】泣いて慕う門人を突き放す 大原幽学一覧へ

◆千葉県は学者の里

 江戸時代の歴史的特性を見てみると、今の埼玉県では「江戸幕府の政策立案者大名の拠点」であり、千葉県は「学者の生息地」だったような気がする。特に千葉県の学者の関係については、新井白石・荻生徂徠・伊能忠敬などが輩出している。大原幽学もその一人だ。ただ、幽学はいわば〝漂泊の学者〟と言ってよく、全国を旅しては地域地域で自分の考えを講義した。特に彼は農政に関心を持ち、農民相手に考えを告げて歩いた。
 かれの農事問題の考え方は少し変わっている。まず「情を施す」「情を交流する」ということからはじめ、その後に農村にかかわるテーマを設定して、入札(いれふだ)させる。これは、そのテーマに対する答案と言うか自分の考えを書かせて次に入札された各自の案を討論させるのだ。そして合意を得るという方法を採っていた。最初の「情を施す」というのは、いわゆる男女関係のそれではない。
「酒を酌み交わして、互いに真の人間的本性を現す」ことが目的だった。これは、かれの持論で、
「本性を示せば、互いに信頼できる」という経験論であった。信頼できれば、切実な農村問題についても本音で話し合えるということだ。そしてそのためには、
「つい欲望に負けがちな芸事や、過度の遊びをやめる」ということであった。
 かれが入国した房総地方は、当時農業が盛んだったので、農村の若者たちが農事に熱心ではなかった。幽学が主として講義をして歩いたのは九十九里の北部地方である。長部(ながべ)村の名主で遠藤伊兵衛という人物が熱心で、ぜひ長部村に来て先生の説を農民たちに講義していただきたい、と願った。伊兵衛の息子本藏(のちの良左衛門)も同じだった。幽学は承知して、自分の考えを話した。それは、
「まず情を施すことからはじめよう」ということである。かれも参加して、大いに酒を飲み本心を語った。ところが、村における農民の反応は、情を施すことの方に主眼を置いて、肝心のテーマに対する入札や討論を怠った。幽学は考え込んだ。そして、
(自分が情を施すなどということを言って、酒を飲むことを教えたのが良くなかったのだ)
 と反省した。しかし、こういう風潮はなかなか元へは戻らない。九十九里には飯岡という盛り場があった。有力な漁場で、水揚げが多いために花街ができた。近いところにある長部村の若者たちも、鍬を持って土を耕すよりもせっせと飯岡通いをする方が楽しかった。幽学が反省したように、かれの「情を施す」という方法論の入口のところで農民たち特に若者は立ち止まってしまったのである。幽学は苦悩した。そして、
「この有様には、断を下さなければならない」と考えた。断を下すというのは、
「自分がこの場から去る」ということであった。ある夜、意を決した幽学は決断し、突然村を去って江戸へ戻ってしまった。

 

◆情を施すことの真の意味

いて慕う門人を突き放す 大原幽学 (挿絵)大和坂 和可 この方法は、少し前の時代にやはり農村の再興者であった二宮金次郎が実行している。金次郎は、小田原藩主大久保氏に頼まれて、分家である下野(栃木県)の桜町というところで荒廃した農村の復興に努力した。しかし、小田原藩から派遣されている監督役人の邪魔や、これに与する一部の農民の退廃ぶりが災いして、復興策は必ずしもスムーズには進まなかった。そこである日金次郎は突然村を出て、成田不動山へ籠ってしまった。出てこない。そこではじめて農民たちは、金次郎の復興仕法が正しいことを感じ、代表が成田山に行って金次郎に、
「ぜひ、戻ってほしい」と嘆願した。金次郎は金次郎で、
(自分の仕法に誤りがあったのではないか)と反省していたが、代表たちの誠意に感じてふたたび村へ戻る。幽学の離村もこれに似たような事情だったろう。かれの「情を施す」ということを、悪戯に酒を飲んで遊興に耽ってもいいという都合のいい解釈をした農村の若手たちの堕落ぶりに、愛想をつかしたのである。かれが「情を施す」というのは、
「村を復興する前に、村民同士が互いに信頼できる本音を吐こう。その上で、復興策を実現すれば村はたちまち蘇る」という考えがあったからである。
 名主の遠藤親子をはじめ、幽学の教えに共感している人々が慌てた。かれらは、
「このまま、大原先生を離村させるわけにはいかない。われわれが江戸に行って再度来村をお願いしよう」と合意し、遠藤父子をはじめ何人かの代表が江戸へ向かった。
 しかし江戸の幽学は渋った。今の状況ではとても自分の教えを村民が消化することはできないし、村の復興も難しかろう、自分の手に余ると言って辞退した。そこを何とかと遠藤父子をはじめ村民代表が熱意を込めて哀願した。その誠意が本物であることを知った幽学はようやく心をほぐし、再び訪村を承知した。しかしこの時幽学は村民から「誓詞」を取っている。それは、
「情を施すことを誤解し、遊興には絶対に流れない。真剣に、村の復興に協力する」というものであった。これによって、幽学が発想した、日本最初の「協同組合」と言われる「先祖株組合」が結成される。先祖株組合というのは、農民が各自所有地の一部を供出して、それを村の共同管理とし、そこで出来た生産品の利益は共有し、村の困窮農民やあるいは災害時の対策費などに充てる目的を持っていた。
 しかし幽学のこういう農民への善導も、幕府の誤解を受けやがてかれは江戸に召喚される。無罪であることは立証できたが、かれはこのことで酷く傷つき、「遠藤家に迷惑を掛けてはならない」と考えて、ある夜自決する。

(挿絵)大和坂 和可

 

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

童門冬二(歴史作家)のコラム【小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

一覧はこちら

このページの先頭へ

このページの先頭へ