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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第56回 田植え労働の地域的差異2019年6月13日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 「苗代」、前回ちょっとだけ触れたが、今の若い人たちにとってこれはもう死語となっているかもしれない。でも聞いた覚えはあるだろう。そうである、苗代とは水稲の苗を育てる苗床のことで今の育苗施設の前身であり、農家は個々に水の便の良い田んぼを苗代に決めていた。

20190606 コラム 昔の農村・今の世の中 見出し画像 

 私の生まれた地域では、この苗代での苗引きは女、田植えは男がするものだった。だから、田植え休みの時は女の子は苗引き、男の子は田植えの手伝いだった。
 生家の場合で言うと、母と近隣の手伝いや雇いの女性数人が苗代に入り、腰を曲げて苗代から苗を抜き、片手で持てるくらいの本数にまとめ、それを背中にさしてあるわら束から抜き出した1本のわらで束ねるのである。そしてそれを自分の後ろにおく。
 その数が一定の量になると男がそれを集めてもっこに入れ、天秤棒でかついで田植えをしている田んぼのところに持っていき、田んぼの中にいる植え手のところに畦から投げ入れる。その「苗打ち」が前回述べたように男の子の仕事にもなった。
 もちろん、苗引きの人数が多すぎる場合、苗引きが終った場合などは女も田植えをするし、逆に男が苗引きを手伝ったりすることもあるが、一定の分業が成立していた。

 なぜこうした男女の分業ができたのか。私はこう考えていた。
 田植えはかなりきつい労働だからだと。泥田の中を何百mも歩きながら植えなければならない重労働なのである。これに対して苗引きは一日腰を曲げていなければならないという点ではきついが、歩かなくていい分だけ楽である。また、田植えの直前にやる代掻き、枠転がし、苗代からの苗運びも力仕事、これも男仕事となる。
 もう一つの理由として考えられるのは、女性には田んぼの作業に加えて家事があることだ。しかも田植え時期には家族だけでなく雇人や手伝いの人たちの昼食、夕食の準備もしなければならない。そうなると、田植えの前の作業の苗引きをやり、早く家に引き上げて食事の準備ができるようにした方がいい(私の生家の場合、祖母が家事・育児を分担しているのだが、やはり嫁の立場、それに田植えの時は夕食の人数も多いので早く帰る必要がある)。ということもあって女は苗引き、男は田植えとしたのではなかろうか。
 田植え休みの女の子も当初は子守りや昼食の運搬等の仕事だが、高学年になると苗引きの手伝い、食事の準備などの家事の仕事が与えられ、男の子と同じく大変だった。

 ところがその逆の地域があった。それを知ったのは大学に入ってからのことだったが、紺の絣に赤い襷(たすき)をかけ、手甲(てつこう)、脚絆(きやはん)をつけ、手拭を姉さんかぶりにし、一列に並んで女性が植えている写真を見たときには驚いたものだった。そして男が苗引きをする。
 なぜあんな大変な田植えを女にさせたのだろうか。指先の器用さが必要だから女性にさせたという説もあるようだが、それほど器用でなくとも慣れさえすれば田植えは上手にできるので、これには納得できない。宗教的な意味合いからだという説もあるようだが、よくわからない。

 田植えのしかたの地域的な差としてもう一つ、枠植えと縄張り植えの差があった。
 代掻きが終って田んぼの土も落ち着き、水が透明になってきたころに田植えとなるが、その前にまず「枠転がし」(型つけ、枠回しというところもあった)がある。田植えの前に木製の「枠」(型枠、田植え定規などともいう)という道具で苗の植え付け場所がわかるように印をつけるのである。この枠とは、長さ2~3m、直径50~60cmの六角形の円筒状に組まれた細い木の枠の途中に一定間隔に直角に数ヶ所の枠をつけたもののこと(うまく説明できないのでパソコンで検索してその写真を見ていただきたい)で、これを回転させながら田の表面に縦横のすじを付け、そのすじの十字に交差したところに苗を挿すようにするのである。この枠転がしは曲がったり、間隔を開けすぎたりしないようにしなければならないので、かなり重要な仕事であり、また技術を要する。それでこの作業は経営に責任をもつ経営主もしくは技術の中核的担い手となっている後継者が担当した。

 こうした私たちの地域の田植えを見た大学時代の同級生の一人が、自分の生まれた群馬では枠植えではなく縄を張って田植えをするのだと言う(後でわかったのだが、東北をはじめ全国各地にこうした縄張り植えをするところがあった)。
 等間隔に印をつけた縄を田んぼの縦と横に張る。その前に植え手が一列に並び、印のついたところに苗をさす。植え終わった頃に植え手は後ろにちょっとだけ下がり、列の両端の人がその縄を一定の間隔をもって後ろに移動させ、みんなはまたその縄に沿って目印のところに植える。この縄張り役が下手だと田植えはうまく進まない。また、植えるのが一人でも遅れると縄の移動も遅れ、仕事がはかどらないので、植え手は必死になって遅れないようにしなければならない。だから、縄張り植えの方が速い、でも自分の能力に合わせて植えられる枠植えよりも大変、子どもには縄張り植えの方が辛かったと彼は言う。

 他にもいろいろ地域的な差異があるのだが、いずれにせよ田植えと稲刈りは腰を曲げた厳しい労働だった。除草作業もそうだった。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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