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【坂本進一郎・ムラの角から】第31回 米価闘争とは何だったのか2020年4月9日

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【坂本進一郎】

雨乞い儀式か財界農政との対決か

 ―「米審前青空交渉での印象記」―この「印象記」は26年前に書かれたものである。今頃なぜこんな文章か。闘争の中で米価がどう扱われてきたのか、私も闘争の渦中の人間として総括してみたかったからである。そこでこの印象記を下地に考えてみたい。

 それに青空交渉のあった3年前の1991年は、ベルギーのブリュッセルで日本はじめ全世界から集まった労働者・農民の10万人デモがあったばかりであった。しかし、このデモが終わった途端、農民は虚脱したのか、この運動以後農民運動は凋落していった。
 つまり今から見ると91年は運動のピークだったのである。94年の青空交渉にもその凋落開始の影が感じられた。今や農民の鎧兜であった食管制度もなくなり、農民保護の砦である戸別所得補償制度もなくなって久しい。本当のところ財界農政を地で行く自民党には愛想がつきている。
 では始めよう。

◆農業の行く手には硬い塊(かたまり)のようなものが横たわっている

 私はこの7月6日(1994年)行われた米価要求大会に参加した。初めての経験である。この時期はいつも大麦刈り取りと大豆播種が重なって、家を一刻も留守にすることができず出席したことはない。しかし今年は復田を行い全面積に稲を植えたので、体の自由が利く。そこで米審の時期に合わせて行われる米価実現要求大会に出席してみたのである。
 初めてなので少し客観的に考えて見ようと木陰の中に身を潜めた。身を潜めたのはこの日は30度を超す猛暑で体の置き場がなかったからでもある。こうして九段南農水省分室前会場のシュプレヒコールやアジ演説の騒々しさと距離を置いてみた。会場は騒然としていた。
 「ガット・ウルグアイラウンドが決まって、万全の対策を期すといっていたのに、いまだに先のほうが見えてきません!」
 各県から来た要請団は、それぞれ輪を作り、その前で代表者と思しき人たちが演説している。かと思うと、主催者の一人が街宣車の屋根に上がって、
 「ただいま米審委員が続々入場してきます。通路に集まって要請書を渡しましょう」「○○委員がんばれ」
 委員が到着するたびに人垣が、左り、右へと波打つ。木陰からセレモニーの様子を見ながら、セレモニーが真剣であればあるほど米価の「不透明」さが浮き彫りになってくる。セレモニーと米価の懸隔の差に「お祭り」どころか、農民が日照りの空に向かって「雨乞い」を「懇願」しているような感じさえさせる。

◆日本農民は二級国民でいいのか

 なぜ農民を懇願に追い込んだのか。それには大きな背景がある。何といっても、それは、「低米価」「低賃金」を経済運営の根幹にしているからである。ここに日本経済の本質があると思う。それならなぜ「低米価」「低賃金」なのか。大企業や輸出産業を栄えさせるためである。そのからくりはこうだ。低賃金によって大企業は国際競争力をつけたい。そのためには毎日食する食料品を下げれば労働者の賃金は安くて済む。
 つまり低賃金が成り立つように米価を下げさせる。その結果、本来なら米価算定には利子、利潤をも見なければならないのに、米価の中身は労賃のみとなる。昭和35年から生産費所得方式に変わったが、これも守られたことはない。さらに、財界にとって安い農産物を輸入できればしめたものである。そこで農産物の自由化を推進する。ここは図式化すると、農産物自由化→低米価→低賃金、となる。
 かつて食管法があったとき「食管赤字」はけしからんとマスコミから攻撃を受けたことがあった。マスコミ攻撃を目の当たりに見たものとして、こう言いたい。
 「食管制度は所得再分配の役割を担っていた。ところが,今や軍事費の予算が5兆円。これに対して農水予算は2兆円。ここに農政の跛行性が示されている。これではマスコミも単視眼すぎるし、財界本位の米価実現を手助けしている」
 だがここに援軍が現れた。今日の青空交渉の質問者は3人。その一人は婦人の消費者(新日本婦人会員)だ。彼女はこう発言した。
 「米不足を経験して感じたことは、米価は18年前からの据え置きで、これでは農家は食べていけない。考えられない安さだ」
 農民は二級国民にされたのだ。この婦人の発言は農民の生存権と農業復権を求める声だ。私も青空交渉の一人に選ばれた。何を訴えるべきか。最後の青空交渉と聞いていたので、このめぐりあわせは、私にとって奇縁だ。シエーレ(鋏状価格差)の是正を訴えた。シエーレのことは学校で習っていたが、現実に体験するのは大潟村にきて初めてだ。
 一番痛切に感じていることはコンバインの価格と米価の開きである。大雑把に言うと、10年前に500万円で買ったコンバインがいまや1000万円もする。この10年に500万円上がったことになる。しかし米価は食糧法が施行されたりして、下がりつずけている。このギャップを埋めてほしいというのが私の願いである。だが交渉を受けて立った大河原農水大臣は、シエーレと聞いてけげんな表情をした。大河原大臣の表情を見て私は腰砕けになった。
 戦後民主主義を支えたのは自作農主義であった。今の日本は民主主義が虫食いにあって民主主義の崩壊下にあるような気がする。


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坂本進一郎【ムラの角から】

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