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金次郎と絵本・修身の教科書【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第117回2020年9月24日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

つい先日、森島賢先生(農協協会会長代行)から電話をいただいた。もしかして仙台にでも来られるという話なのか、それなら大歓迎、どこで飲もうかなどと一瞬喜んだのだが、話はまるっきり違い、今私の書かせていただいているこのコラムの二宮金次郎、このことでなつかしくなって電話したのだという。実は、先生の若かりし東京大学時代の恩師である神谷慶治先生は二宮尊徳の大ファンで大日本報徳社(尊徳の報徳思想の実践を目ざして組織された結社)の社長まで勤め、研究室では毎日のように金次郎の話を聞かされたものだった、こう言うのである。

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驚いた、まったく知らなかった。そんなことも知らずにこれまで金次郎のことを書いてきたのはお恥ずかしい次第、さらに森島先生が北海道大学に一時おられたころ同僚だった太田原高昭君(故人になってしまったが)が尊徳の報徳運動を日本の協同組合運動の原点として評価する論文を書いているとのこと、話には聞いていたが読んではおらずまったくの不勉強、だからお電話をいただいたとき恐縮してしまった。同時に、こんなことも知らずに金次郎を語るなどまったくおこがましく、今さらとは思うが、恥じ入っている次第である。
それでも金次郎・尊徳は子どものころからの付き合い、ともに農業教育にたずさわる身(これまたおこがましいが)、思い出くらいは語ってもいいだろう、そんなことでもう少し語らせていただきたい。

森島先生と話しながらふと疑問になった、そもそも私はどうやって二宮金次郎・尊徳を知るようになったのかと。
私の生まれたのは娘身売りと欠食児童で知られた昭和9年の東北大凶作の翌々年。
そのすぐ後のころに生家のすぐ目の前の小学校の校庭に金次郎の銅像ができたので、それでまず金次郎を知ったはずである。その銅像が何を意味しているのか、きっとだれか大人か近所の年上の友だちに聞いていたのではなかろうか。

それから記憶に残っているのは二宮金次郎を書いた「講談社の絵本」だ。表紙の上4分の1が真っ赤に塗られていてそのなかに白抜きで小さく「講談社の絵本」、さらにその下に大きな字で「二宮金次郎」と横書き(今と違って右から左に読む横書きだったが)され、その下に柴を背負って本を読んでいる例の金次郎の姿が色鮮やかに描かれていた。これだけ強く印象に残っているにもかかわらず、中にどんなことが書いてあったかまったく覚えていない。これが不思議である。80年も前、しかも幼児期の話なのだから当たり前なのかしれないが。
それはそれとして、「桃太郎」から「ヒットラー」までさまざま刊行され、戦後も続けられたこの「講談社の絵本」シリーズ、当時の子どもたちには忘れられないのではなかろうか。

小学校で習う「修身」の教科書でも金次郎を習っていろいろ覚えたのかもしれない、そう思ったのだがおかしなことに記憶がない。そもそもどんな教科書だったのかも思い出さない。私の10歳違いの叔父の使い古した修身の教科書の表紙は覚えているのに、どうしてなのだろうか。
そうだ、私の入学する一年前(昭和16年度)から教科書(国定教科書、全国一律だった)が変わっている。これまでの「小学校」が「国民学校」に変わったのにともなってである。そして1年生の国語の教科書は「ヨミカタ」、算数の教科書は「カズノホン」に変わっており、前よりも「やさしく」なっている。となると修身の教科書も変わっているはずだ。ところが思い出さない。こうなったら「ネット様」にお願いして検索させてもらうより他ない。
あった、修身の教科書は低学年の場合「ヨイコドモ」という名前になったのだった、そうだった、思い出した。
もう一つ思い出した。小学一年の1、2学期は修身の授業はなく、3学期から始まったのだった。それが決まりだったようである。だから通知箋の評価(優良可)は1学期と2学期は空欄になっていた。
こうして1年の3学期から修身の授業が始まったはずなのだが、その授業の内容はまったく覚えていない。二宮金次郎・尊徳のことを習ったかどうかもまったく記憶にない。それでは他に何か習ったことを覚えているかというとこれまた覚えていない。それでもその何頁かがネットの「画像」で紹介されていたのを見たら、記憶に残っているものもあり、なつかしかったが。

この「ヨイコドモ」の後に3~4年用の「初等科修身一」が教科書として渡されているはずなのだが、その記憶はあまりない。その教科書で金次郎のことを習ったかどうか、そもそも教科書に金次郎のことが載っていたのかどうかも覚えていない。
何しろ、その教科書を使ったのは4年(敗戦の年)まで(それ以降は廃止)、しかも3年になってからは防空演習、勤労動員、疎開騒ぎ、空襲、敗戦、戦後の校舎の米軍による接収(これは私たちの小学校だけの特殊性だったが)、二部授業、教科書の墨塗り等々の印象だけ強く、記憶から抜け落ちているだけなのかもしれないが。ともかく戦争、戦争で明け暮れた日々、「神国日本」「軍国日本」「天皇陛下の御為に命を捧げよ」を中心に教えられたのでそれ以外の修身の授業が印象に残らなかったのかもしれない。あるいは新しい修身がそうしたことにのみ力点をおき、二宮金次郎のことなど銅像におまかせ、前の教科書時代と違ってあまりまともに教えなかったのではないかとも思われる。尋常小学校時代の音楽の教科書にあった「二宮金次郎」という歌を私たちは習わなかったこともそれを示しているのかもしれない。

このように私は「修身」教育でまともに金次郎のことを教わった記憶はない。単に忘れただけなのかもしれないのだが。もしかすると、敗戦の翌年1946年に週刊誌「少年タイムス」に連載された二宮尊徳の伝記小説を読み、感激したことで、修身の授業やそれ以前に読んだ本などで覚えたことなど忘れててしまったのかもしれない。いや、年齢のせいによる記憶喪失という単純な話なのかもしれないのだが。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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