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世界地図に日本を載せたい 五代友厚【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年6月5日

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東の渋沢、西の五代

父の教えで雄大な志

明治維新後、日本経済の近代化に努力した渋沢栄一は"東の渋沢"と呼ばれた。東京を中心に活躍したからだ。対置して大阪を中心に関西経済界をまとめた人物がいる。五代友厚(ごだい・ともあつ)だ。幼名を才助といって薩摩藩士だ。

父は秀堯(ひでたか)といって名の高い儒学者で琉球(沖縄)国の交易奉行を勤めていた。人格がすぐれ藩内で尊敬されていた。職務上、珍しい物品が手に入る。

子煩悩で、

「これは才助の役に立つ」と思う品は必ず家に持って帰ってきた。ある時、世界地図を持ち帰り、友厚に与えた。

「世界中の国が載っている。よく学ぶように」と告げて渡した。友厚は喜んで自室に戻り、しばらく地図を見ていたが、やがて不満気な表情になった。のぞきにきた父が、

「どうした?」ときいた。友厚がこう応じた。

「父上は、この地図には世界中の国が載っていると仰有(おっしゃい)ましたが、わが薩摩藩はもちろんのこと、日本の国が載っておりません」

父は驚かなかった。うなずいた。

「その通りだ。日本は載っていない」

「なぜですか」

「小さすぎるからだ。国も小さいが国力も小さい。世界の国々の目に触れない」

「国力とは何ですか」

「世界の国々が交易の対象とする目玉商品をはじめ、日本の国民自身がゆたかにくらせる品物を、どれだけ生産できるか、その自前の力をいう」

そう説明して父は「友厚」と向き直った。

「はい」

「日本国と薩摩藩が世界地図に載るように努力しなさい。それがお前の目標だ」

「わかりました。そのように励みます」

友厚はこうして父から当面の目的を与えられた。以来、外国知識の吸収に精を出した。

上海に行く

たまたま幕府が隣国清(当時の中国の国名)の国際港上海へ、親交と見学のために船を派遣する企てをした。有力大名にも声をかけた。

「有能な青年に同乗を許す」と、藩庁は五代友厚を選んで派遣することにした。この時秘命を与えた。

「外国船を一隻購入するように」と大金も預けた。船の中で友厚はひとりの長州藩士と仲よくなった。高杉晋作だ。上海で二人は買い物をした。友厚が訊いた。

「高杉さんは何を買いますか?」

「ピストルだ。二丁買う。一丁は土佐の坂本龍馬君へのみやげだ。五代君は何を買う?」

「軍船です」

「何だと」

晋作は目を剥(む)いた

「ホラもいい加減にしろ」

「ホラじゃありません。藩命です」

「ちく生め」

自費でピストル二丁しか買えない自分と、藩命で外国船一隻を買う友厚との差をくらべて、晋作はガックリしたのだ。帰国後、友厚はこの船の船長になる。が、薩英戦争でイギリスの船に囲まれ船ぐるみ捕虜になる。

これが彼の宿志(かねてから抱いていた志)である。

「世界地図に名を載せること」の実現に大いに役立つ。横浜でイギリス人とくらすうちに、ヨーロッパ文化に広く触れることができたからだ。解放されたかれは長崎勤務を命じられ、後藤象二郎・坂本龍馬・岩崎弥太郎(以上土佐)、高杉晋作・井上薫(以上長州)、陸奥宗光(紀州)、由利公正(福井)等の英才と交流する。

藩意識を捨て関西に財界を

その交流は「藩」というタテワリをブチ破り、自由に意見交換するヨコワリのものであった。これが彼の目的から薩摩藩を削った。

「日本は小さい。そのなかで藩同士が競い合うなど小さい、小さい」

そう覚って以後は、

「日本国を世界地図に載せることだ」

と目的を絞った。

維新後、友厚は大蔵省に入る。渋沢栄一の活躍〈税制改正・省庁の整備等〉を目にする。競争意識が湧く。

大阪府の副知事を命じられた。ところが間もなく、

「副知事は毎夜花街で遊興している」

という風評が流れ始めた。根のない噂なのか、あるいは多少は"火のあった"噂なのかわからないが、噂を流したのは、かれが身を置く政府官僚だ。トントン拍子に出世階段を駆け上がる友厚をねたんで、足を引っぱったのだ。友厚はそういう役人根性が嫌になった。

辞表を出した。惜しむ次官の大隈重信が、

「せっかく集まった日本の神々の一人が去るようなものだ。辞めんでくれ」ととめたが友厚は振り切った。

以後、大阪財界の構築発展に精を出す。その拠点としての大阪商工会議所、関西実業人の養成に付属講習所(現大阪市立大学)の創立等を皮切りに、渋沢栄一を意識しつつ関西財界の構築に力を注ぐ。志はあくまでも、

「世界地図に日本を載せること」であった。

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