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死の島で熟読する一冊の本  川口 雪蓬【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年11月20日

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死の島で熟読する一冊の本  川口 雪蓬

主君の本を
酒に替えた罰

川口雪蓬(かわぐち・せっぽう)は、幕末時、薩摩藩のすぐれた学者だったが悪癖があった。酒癖が悪かった。人に迷惑をかけるのではなく、身近にある物を何でも売りとばして酒に替えてしまうのだ。
これが昂じてある時、藩主から貸与された書物を売ってしまった。発覚し罪に問われて流罪になった。藩の流罪では一番重い沖永良部島(おきのえらぶじま)流しだ。この島に流されることは死を意味した。
しかし深く反省していた雪蓬は、(やむを得ない)と覚悟していた。島へ渡ると、しばらく経って土持(つちもち)という島役人が、
「島の子供たちに学問を学ばせて下さいませんか」と頼みにきた。土持は誠実な人物で、流罪人に対しても、
「罪を憎んで人を憎まず」ということを信条とし、実践していた。だから雪蓬の学殖を惜しんだのだ。それに島へ来てからの雪蓬は完全に酒を絶っていた。
「たまにはどうですか? 大目に三枡」
と、心の柔かい土持がすすめても、
「いや、やめておく。他人には薬かも知れぬがオレには悪魔の飲み物だ。おぬしたちに迷惑をかける」と応じて、飲まなかった。土持がすすめた島の子供たちの勉学の指導にいそしんだ。一冊の本にとりつかれていた。
「島へは書物一冊の携行をゆるす」と、鹿児島を出る時に認められた本だ。本の題名は、「嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)」。著者は細井平洲(ほそい・へいしゅう)。尾張(愛知県)知多半島出身の学者である。この本は出羽(山形県)米沢藩の上杉治憲(うえすぎ・はるのり。号は鷹山〈ようざん〉)の藩政改革のテキストとして書かれた。
治憲の改革は"愛民"の視座に立ち、
「民を豊かにすることが藩を豊かにする」という信条を実践した。時の老中首座(総理)の松平定信(白河藩主。号楽翁)がひどく感動し、
「全藩主の範である」と告げて表彰した。徳川幕府はじまって以来のことであり、その後の廃藩置県(明治)まで例がない。大げさにいえば「徳川幕政史上唯一の表彰」といってもいい。それほどすぐれたテキストだった。

他人にも読ませたい
改革の書

雪蓬には読書に対してある態度があった。
「文中の一・二行から全体を解釈する」というものだ。「嚶鳴館遺草(以下『遺草』と略記)」に対してもこの態度を貫いた。『遺草』の「序」の部分に感動し、
「この部分が全文の根底になっている」と決めたことだ。その代りその部分については何度も読み返し、今では自分の血肉化している。その血肉は雪蓬の表現になっていて、雪蓬はそれを諳んじている。ここに書くのは雪蓬流の表現だ。
・財政難は藩にとって非常事態である
・この解決には通常の対応では済まない。非常の対応が要(い)る。非常の時には非常の対応が必要なのだ。それには非常の能力者が要る
・非常の能力者の先頭に立つのは藩主である
・藩主が範を示さなければならない
藩主用のテキストなのだから、これは当り前のことなのだが、著者の平洲が求める例がきびしい。日常生活のあらゆる面に対し"非常な措置"を求める。その中には"非情の措置(相手を苦しめ悲しませる)"もある。
(非常とは非情のことだ)雪蓬はそう理解している。
(それが行なえない藩主は藩主ではないのだ)雪蓬はさらにそう思う。
その非情を行なうトップはどういう心構えに立つべきか、それがこのテキストの「序」の目玉だろう。雪蓬はそう読んでいる。平洲はどのように書いているか。
「勇気以外ない」として、
「勇なるかな、勇なるかな」と、テキストを読む治憲を励まし、煽り立てている。この勝手な省略がひどく雪蓬の気質に合う。だからこの「序」の部分は『遺草』゛全体のキー・ワードなのだ。
鍵にしてぼう大な全文を読むと、平洲の治憲に托す情熱がひしひしと伝わってくる。そして雪蓬が、
(序を読めば『遺草』のすべてが解る)と考えたことが理解できるのだ。
突飛な例だが太宰治の作品について、ある大作家がつぎのような感想を洩らしている。
「太宰の作品にはそれぞれキラリと光る一行がある。かれはその一行を書くために何頁も費やしているのだ」。私には納得できる。
雪蓬は自分の読書法を島役人の土持にも押しつけた。
「この本は薩摩藩の改革に役立つ。もちろん沖永良部島の改革にも役立つ。ただし全文読む必要はない。序だけ読めばいい。読め」。
土持は律儀な役人だったから、自分を磨くためなら島流しの罪人からも謙虚に学んだ。酒癖の悪かった雪蓬からも。
「自分以外すべて師だ」と考えていた。
だから前に書いたように、流罪人に対しても、
「罪は憎んでも人は憎まない」
という方針を貫いた。そのため、
「あの島に流されたら、二度と生きては戻れない」といわれた沖永良部へ流された罪人も、想定外の扱いを受けた。
それに土持には尊敬する薩摩藩士が一人いた。西郷吉之助という人物だ。会ったことはないが藩の青少年の偶像になっている。
いまは国父(藩主の父)の島津久光に憎まれて、大島に流されているが、さらに憎まれて沖永良部島へ移されることになった。
報を受けて土持は舞い上った。

(つづく)

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