農の日常とやすらぎ【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第319回2024年12月5日

1944(昭19)年、私の小学3年の冬休み、ある朝のことである。田んぼにおいてある稲わらを牛そり(牛馬などの後ろにそりを取り付け、人や荷物を運搬する交通の手段)につけて家に運ぶので手伝えと父から言われ、ついて行った。
高く積んである稲わらの束を降ろし、それを田んぼの雪の中を歩いて運んで積むのに思ったより時間がかかり、いつもの朝飯の時間に間に合わなくなってしまった。そしたらおにぎりが田んぼに届けられた。誰が持ってきてくれたのだったか記憶にない。あまり遅いので祖母がつくって持たせたのである。もうそろそろ帰ろうとしている時だったが、醤油を付けて焼いたアツアツのおにぎりを立ったまま(雪で座れないので)食べた。身体が腹の底から温まった。醤油の浸みたご飯のおこげが本当にうまかった。
それから醤油の焼きおにぎりが好きになった。今も大好きである。
もちろんこんなことはめったにない。食事は家でするものである。
ただし田植えと稲刈りだけは別だ。その期間だけは、田んぼで昼飯を食べる。家に帰ってご飯を食べる往復の時間も惜しい忙しさだからだ。
昼近くになると、家にいる私たち子どもはおかずやお茶をもって田んぼに行くように祖母から命じられる。
「弁当持ってきたよ」、近付いてきた子どもたちから声をかけられると母が一足早く田んぼからあがり、昼ご飯の準備にとりかかる。道路にむしろを敷き、その上にご飯やおかずをひろげる。よその人が通り抜けられる程度の隙間を空けて、道路を占拠する。今のように車が通らないし、リヤカーや荷車も昼休みの時には動かないので何の問題もない。準備がととのったころにみんなが田んぼからあがってくる。家族、手伝い、雇いの人も含めると十人以上にもなる。みんなでわいわいおしゃべりしながらご飯を食べる。空いたおなかを満たし、明るい日差しのもとで、田植えのときは苗と水の匂い、稲刈りの時には刈った稲の匂いをかぎながら、のんびり休む。昼寝もする。ひとときのゆとりでしかないが、働くものにとってのこの瞬間は何ともいえない充実感だ。子どもにとっては非日常の昼食なので、これまたうれしくてしようがない。食べ終わったら水路でドジョウ捕りだ。
長時間の重労働なのでおやつの時間もある。10時、3時近くになると誰からともなくいう、
「たばこに(休憩に)すっか(するか)」
汚れた手を水路の水で洗い、あぜ道に座って、一升瓶に入れて家から持ってきた水を飲みながら、自家製の菓子や漬け物などを食べる。
一日中腰を曲げて働く田植えや稲刈りの夕方、暗くなって手元が見えなくなる頃、お互いに声をかけあう。
「ばんげ(晩餉=夕ご飯)だ、あがらっしゃいは(上がってくださいな)」
それをきっかけにみんなが田んぼから上がり、小川で手足や農具を洗い、農具を背負って、残った夕陽の明かりや月明かりをたよりに家路につく。
あんまり遅いと子どもたちが提灯を提げて途中まで迎えに来る。父や母は子どもと歩調を合わせながら、今日一日のことなどいろいろおしゃべりをしながら帰る。ほっとするひとときだった。
山形の夏は暑い。最高気温の日本記録はいまだに破られていない(注)。こんな暑さのなかで日中田畑で働いていたら倒れてしまう。だから真夏には昼日中は働かない。
そのかわりに朝は早い。朝明るくなったら、もう外で働いている。朝飯をはさんで昼前まで働く。昼食が終わった後昼寝をする。後片付けなどあってちょっと遅くなるが、嫁も昼寝だ。熱気が少しおさまった三時過ぎからまた田畑に出る。それから夜暗くなるまで働く。
子どもたちは農作業が終わるのをおなかをすかして待っている。いらいらして兄弟けんかまで始め、台所仕事で忙しい祖母から怒られる。暗くなってようやくみんなが帰ってくる。
祖母が年老いてから家内に私の幼い頃死んだ母のことをよく話をしたという。そのなかに、母は野良から帰ってくると必ず祖母に挨拶したという話があった。
「ばんちゃん、ありがどさまでした(おばあさん、ありがとうございました)」
どんなに疲れていてもこう言って長い時間子どもたちの面倒をみてもらったことに感謝の気持ちを伝えた、おまえたちの母親はやさしかったと。しかし私にはその記憶はない。家内からそれを聞いたときふと思い出したことがあった。母が死んだときの祖母の嘆きようである。それは子どもの私が慰めにまわらなければならないほどだった。祖母はかなりきつい性格をしていた。この祖母が嫁の死にあれほど悲しんだとは今考えてみると不思議である。働き者で人の気持ちを思いやる母のことがよほど気に入っていたのかもしれない。
春から秋にかけての忙しいときは、母は朝飯前の仕事に出ているので、台所にいない。声をかけることなどできない。食事時が母との会話になる。
それ以外のときにどうしても聞いてもらいたいことがある。聞きたいこともある。家の近くの畑で草取りなどをしているときはその脇で、鍬で耕しているときはその後を追っかけていっしょに移動しながら、母と話をする。母は仕事をしながら耳を傾けてくれ、答えてもくれる。
「地震って何で起きるの」
「地球の真ん中が燃えていて、そこに大きな大きな石が上から落ちるからだよ」
「ふーん」
当時はプレート理論などと言うものはなく、母も説明に困ったろうが、ともかくそれで納得して、また別のことを聞く。
冬は、こたつで繕い物や毛糸編みをしている母の横に寝ころんで、いろいろと話しかける。農閑期にはこんなゆったりした時間もあった。
4、5歳の頃(1940年)だったろうか。
早春の朝、ぽっかりと目が覚める。私を挟んで両脇に寝ていた祖父母はすでに起きていてもういない。雀の鳴き声がうるさく聞こえ、包丁で大根でも刻んでいるのだろうか、台所からトントントントンという音がする。部屋の戸はすでに開け放たれ、腹這いになると、客間と居間を通して台所が見える。東から朝日が射し込み、台所の白い障子窓がまぶしい。それを前に受けて何かを刻んでいる母の背が黒く見える。私は声をかける。
「お母ちゃん、起きたよ」
「ああ、起きたか」
母は後ろ向きのまま答える。その声にほっとして、もう一度布団の温もりをたしかめ、えいやっと起き上がる。
こんなさわやかな朝の目覚め、これがなくなってからもう何年になるだろうか。
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