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JAの活動:女性協70周年記念 花ひらく暮らしと地域

【花ひらく暮らしと地域―JA女性 四分の三世紀(5)】豊かさを求めて<中>声かけ合って強くなる2021年9月1日

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「国破れて山河あり」と言われた飢餓の夏から、コロナ禍を乗り越えて新しい時代に挑む今夏まで76年。その足どりを、「農といのちと暮らしと協同」の視点から、文芸アナリストの大金義昭氏がたどる。

■暮らしの改善に挑む

全国農協婦人団体連絡協議会(全婦連)が『希望の鐘――農協婦人部活動事例集』を発刊したのは、昭和31(1956)年12月だった。草創期の活動記録からは、「日本の婦人運動の中でもおくれているといわれ、無自覚だと見られていた農村婦人」の苦労や努力の跡がしのばれる。

その「はしがき」は、「これからもまだまだ苦闘はつづくとおもわれますが、農協運動における婦人部活動が、農民の貧乏からの解放運動であるばかりでなく、この家族グルミの運動によって、婦人の地位の向上と過重労働からの解放が一歩一歩近づきつつあることを信じ、全国の皆さんと手をとり合って進んでまいりたい」と続けている。

「事例集」は北海道・秋田・栃木・長野・静岡・愛知・富山・石川・福井・滋賀・兵庫・鳥取などの25件から成り、「涙ぐましい」取り組みが胸に迫る。テーマもバラエティーに富み、健康農村建設・水道敷設・嫁姑・野菜市・共同浴場設置・「田植さんへのお土産」全廃・家計簿記帳・食生活改善・「クミアイ水仙」(避妊具)斡旋・農休日確保・わら屋根やはねつるべの追放・託児所開設・家の光読書会・組織強化など、実に多彩だ。

いずれも、暮らしに密着した女性の切実な願いから生まれている。いくつか挙げれば、標題の「希望の鐘」は無住の寺の鐘を突き、家の光読書会の集合合図にした愛知県幸田町坂崎の事例に拠(よ)る。「会合三十分前と五分前に」鐘を突く先例に学び、農作業や家事に縛られて外出が自由にならない女性が鐘の音を合図に「時間励行」を実現。以来、集落ではさまざまな会合に、寺の鐘が利用される。時間の無駄を省くために調べた女性の生活時間は、「農作業十一時間、家事労働五時間、睡眠五~六時間」だった。

長野県南箕輪村では、山岳地の急坂を往復して飲料水を確保する女性の重労働を解消しようと、水道敷設に取り組んだ。関係者を動かし、「農協婦人貯金」を活用して悲願を成就。「いよいよ完成し、あの『流しもと』に水が出た時、夢ではないかとよろこび、出た出た! と家中大さわぎでした。そしてこの尊い水は、一番初めに何に使ってよいか、ほんとにまごまごしてしまい、顔をあらったりしました」と記している。

もうひとつ。滋賀県甲賀郡農協婦人部連絡協議会が取り組んだ「公徳箱」による「クミアイ水仙」(避妊具)斡旋活動が目を引く。「公徳」(社会生活の中で守るべき道徳)というような言葉が死語になっている今日、母体保護の受胎調節に挑む女性の真剣な取り組みが迫って来た。「公徳箱」とは、避妊具と代金の出し入れが本人以外に分からないよう工夫したせっけんの空き箱を利用したもの。この箱を「必ず嫁の手から隣の嫁の手に」渡し、人工妊娠中絶を減らして健全な家族計画を図った。

■目を見張る変身ぶり

『愛知県農協婦人部三十年のあゆみ』(昭和57〈1982〉年8月・愛知県農協婦人組織協議会)にも、草創期の「思い出」を綴った手記が収められている。

食料の不足は、極度に陥り、山を開墾し、野草を食べてみんなと暮らしあっているうちに、農協婦人部は生まれました。何かを求めようとする婦人の集まりは、非常にすばらしくて、部落で生活改善の輪をひろげ、婦人部活動は活発になりました。

行くときには、雪が降っていなかったのに、山の雪は積るのが早くて、帰るころにはもう帰れないほど積り、しかたなく部員の家に泊めていただいて、夜いろいろ話しあったこと。(以下略)

またその当時は、郡で大会をひらきましたが、(中略)集まるのにトラックに乗って行くので、駐在所のおまわりさんに許可書をもらって行くのです。いま考えてみますと、トラックにゆられて行く道の話しあいも楽しいものでした。(足助町。鈴木富美子)

私が支部長だったころは、全戸配置や共同購入が非常に盛んでした。農協から配置された山のような品物を、リヤカーや乳母車、耕うん機と、それぞれが積みこんで班長さんの家を回ったものでした。昔、班長さんは、「歩きさん」と呼ばれて、一軒一軒を歩いて回ってくれました。婦人部のパイプもよくかよっていて、何事をするにも部落ほとんどの母ちゃんが、集まってくれました。料理講習、健康会議、そして運動会も手弁当で出席してくださいました。

明けても、暮れても婦人部婦人部であったように思えます。(豊川市。小池道子)

私は、農家の嫁にだって誰にも遠慮なく集まれるところ、学習の場があってもよいものと思い、組織ができるのを何よりも期待して学習の場を求め、友を求めました。

しかし、農協婦人部で料理講習をしましょうといったとき、有識者といわれていた姑さんに「農協の婦人部は、農業のことだけ勉強すればよい。何も婦人会の真似せんでもええがな」といわれました。なんと農家の嫁をさげすみ、婦人部をさげすんだ言葉であろうと思いました。(中略)

こうしたそしりを受け、批判を浴びながらも、農協の指導応援をいただき、「よくぞ、ここまで婦人部の人たちは、時代とともに意識を確かめあって成長してきたものよ」と見直す現在です。(東知多。清水よね)

女性のこんな成長に目を見張り、同じく『三十年の歩み』(昭和58〈1983〉年3月・北海道農協婦人部連絡協議会)の中で、竹本源也北海道農協中央会常務理事は次のような賛辞を送っている。

一つには「組織人としての農村婦人」の出現。二つには「自ら学習する農村婦人」。三つには「物言わぬ農村婦人」の見事な変身ぶり。四つには「たくましい行動力」であり、「理屈は多いが、兎角(とかく)行動が伴わぬ」と評価される男性顔負けの態。そして五つには「都市部婦人層」にも「今や些(いささ)かも見劣りせぬ」「むしろどっしりと落ち着いた風格」と列記している。

竹本は樺太(サハリン)大泊で網元の家に生まれ、海軍兵学校を卒業。敗戦で帰郷できずに北海道大学に入り、農協界に飛び込んだ傑物だった。今は亡き先達から、私は田端義夫が歌った『梅と兵隊』を教わった。

炎天に、鬼怒の川風が心地よい。

(文芸アナリスト・大金義昭)

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