JAの活動:今、始まるJA新時代 拓こう 協同の力で
【農業協同組合が目指すもの】中家徹JA全中会長が語る【1】「地域を支える自信と誇り 協同組合運動者の気概発揮を」2019年10月14日
発足以来65年の歴史を持つJA全中が、この秋、「一社全中」として再スタートを切った。JAグループの代表機能や指導・調整機能などを発揮してきたこの組織の転換期にあたり、JAグループの代表である中家徹会長のこれまでの農協運動の歩みや、変革期の先頭で奮闘する会長の思いなどを大金義昭氏が聞いた。
◆自転車で梨を運ぶ 手伝いは当たり前
大金 65年ぶりにJA全中は新たなスタートを切りましたが、そのときの会長はいったいどんな人物だったのだろうかと、後世の人たちも必ず興味や関心を抱くはずです。そんな観点からも、変革期の結節点に立ち先陣を担っておられる会長の素顔をみなさんに伝えられたらと思います。
昭和24(1949)年、和歌山県田辺市の農家にお生まれと聞いています。
中家 母親は学校の教員だったんです。その母親になぜ農家の嫁に来たのかと聞いたら、これがまさに食糧難時代の当時の状況に結びつくのですが、農家の嫁に行けば食いはぐれることがないと母の両親ともども考えたそうです。
子どものころは米のほかに梨も作っていました。収穫の夏は、全部自分の家で箱に詰めていました。そのころ農協は梨の販売を取り扱っていませんでしたから、親父は自転車の荷台に箱を10段ほど積んで地方市場に持ち込んでいました。
あるとき「お前もついて来い」と言われ、子ども用の自転車に3段か4段くらい積んで親父の後についていきました。距離は5キロくらいあったと思いますが、当時は舗装などしていませんからガタガタ道で。市場に着くと、親父が運んできた梨には傷がまったくついていなくてきれいなんですが、私の梨には傷がいっぱいついてしまっていました。道も悪く、うまく運転できなかったからだと思いますが、いまだに忘れません。
私たちの時代、農家の息子は家の手伝いをするのが当たり前だったし、そのことは苦になりませんでしたが、そんな思い出があります。
大金 当時はどういったものを栽培していたのですか。
中家 最終的にみかんと梅、そしてスモモを栽培するようになりましたが、私が小学校2、3年のころ、祖父と父が山を開墾し、そこに梅を植えました。それが男3人兄弟の私たちの学費の原資になりました。ユンボなどない時代に、手作業で園地を拓いていったということです。
◆バレーボールに没頭 長男の使命感と葛藤
大金 高校時代はいかがでしたか。
中家 スポーツが大好きでしたから、中学から始めたバレーボールに没頭していました。3年生のときにはキャプテンも務めました。
大金 そんな高校生が、中央協同組合学園に入学することになるのですね。
中家 正直に言えば、私は体育の教師になりたかった。それで日本体育大学出身だった体育の先生が推薦状を出してくれ、実は日体大に合格していました。ただ、農家の長男というのは跡を継がなければならないという使命感もあり、周囲もそう見ていましたから、私はすごく葛藤し、親に本音も言えず、タイミングを逃しました。
大金 長男に寄せる期待は、当時の親の願いとして当然でしたものね。
中家 将来は農業を継いでもらうにしても、若いうちは外の世界に行かせたいと親も思っていたようでした。そこで親しくしていた、私の中学時代の校長先生にどんなところがあるか相談していたようで、「それなら協同組合短期大学というのがある。そこに行っておけば地元に帰ってきても農業に関わりがあるから」と勧められていたんです。
大金 なるほど。そんな経緯があったんですか。
中家 ところが協同組合短期大学はなくなり、中央協同組合学園というのが開校の準備中だと。そこで父親が同級生で農協の役員をやっていた友人に相談した結果、私が高校卒業後の1年半、地元の農協で勉強させてもらうことになりました。職員じゃないのですが月1万2000円をもらい、金融・共済・総務などいろいろな部門で働きながら実習させてもらい、翌年秋に中央協同組合学園の1期生として入学したという次第です。
大金 昭和44(1969)年ですね。
中家 いまだに忘れませんが、その年の7月に京都府の農協会館で試験を受けました。そこに来ていたのが、当時の担当部長の甲斐武至さんでした。試験の日は、アポロ11号が月面着陸をした日だったと思います。
◆協同を語る熱血講師 叩き込まれた3年間
大金 学園は楽しかったんじゃないですか。個性ある人たちが全国から集まってきたでしょうから。
中家 確かにそうでした。全寮制で同じ釜の飯を食うという絆はすごいですね。
大金 全国のJAを訪ね歩いてきて、学園卒業生のつながりの強さを私もしばしば実感してきました。しかも、協同組合の筋金入りの人たちが多い。JAグループの大きな底力になっていますね。
中家 やはり当時の全中会長だった宮脇朝男さんの執念はすごかった。言い方は悪いのですが、ある意味では協同組合短期大学をつぶしているわけですからね。系統組織の意向を背負い、文部省に一切関与されずに協同組合人をつくるんだという信念のもとに学園をつくっていますから。
大金 文部省の役人からは「戦後大学を創った人は多いが、つぶした人は宮脇一人だ」と言われていましたから、宮脇さんは「大学がやらない人間教育、職業人教育をやるんだ」と意を決していたそうですからね。講師陣も精鋭ぞろいであったと聞いていますが。
中家 経済学は一橋大学、法学は中央大学など各方面から素晴らしい先生を講師として招請していました。あの3年間が私の人生の肥やしになりました。
大金 記憶に残るような恩師はおられますか。
中家 いちばん影響を受けたのはもちろん宮脇朝男さんもそうですが、宮島三男先生ですね。彼は熱血中の熱血漢でした。
卒業後、甲斐さんから全中に来いという話をいただいたのですが、協同組合運動は現場が基本だから単協に戻る、と私は答えました。しかし、甲斐さんが私の地元の農協組合長に「全中でしばらく預かりたい」という手紙を出し了解を取り付けておられたために1年半、学園に全中嘱託として残ることになったんです。
その期間に、宮島先生から随分気合の入った指導を受けましたね。今も忘れられないんですが、当時、全中は毎年秋に恒例の運動会をやっていて、当然、私も喜んで参加したわけですよ。ところが、その翌日に宮島先生がちょっと研究室に来いという。それで研究室に入ったとたん、大変な剣幕で「貴様は何しに全中に残ったんだ。運動会をするためか。帰れ!」と叱られたことがありました。
大金 「鉄は熱いうちに打て」という思いがあったのでしょうかね。
中家 私が学園を去り、和歌山県の地元に帰るときには涙をポロポロ流して「がんばってくれよ」と励ましてくれました。
大金 学生を自分の分身のように思い、情熱を注ぎ込んでくれた恩師に出逢えた幸せは大きかったですね。もうおひとり、大きな影響を受けたという宮脇さんは、中家会長にとってどんな存在なのですか。
中家 当時は田中角栄さんが「コンピュータ付きブルドーザー」と言われていましたが、宮脇さんにもそうした印象があり、話も実におもしろく、若い私たちには考えられないような大人物として格別の存在感がありました。
8月に香川県のお墓をお参りし、「今、農協はこうなっています。JA全中はこうなります」などと報告をしましたが、「お前、何をやっているんだ」と叱られたような気が本当にしました。当時とは時代が大きく変わってきたとはいえ、「もっとがんばらなければいけない」と強く思いました。
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