王道に背く父を追放 武田 信玄2016年6月13日
◆名将信玄の泣き所
武田信玄といえば、戦国時代の名将で、愛民の政治を行い家臣からも信望を集めた。いってみればパーフェクト(完全)な人格を持った武将だと伝えられている。しかしこの名声に対し、異議を申し立てる同時代の武将もいる。たとえば宿敵上杉謙信などはその代表だ。謙信が信玄を譏る第一の理由は、
「信玄は親不孝者である」
ということだ。それは信玄が天文十(一五四一)年六月十四日に、父信虎が駿河へ出発した後、すぐ部下を動員して甲州(山梨県)と駿河(静岡県)の国境に柵を作り、信虎が二度と甲州へ戻れないようにしたためである。この締め出しによって、信虎は甲州へ戻れずついに今川家の食客となって、その後長い年月を過ごす。当然、武田家の当主の座は晴信に移り、信虎はそのまま廃されてしまった。晴信(信玄)による、
「父追放のクーデター」
である。謙信たちが信玄を゛親不孝者゛というのは、この事件によってだ。
では、信玄はなぜ父を追放したのだろうか。大きな理由としてあげられているのは、
「父信虎との親子関係のもつれ」
と、
「政治的理念の差」
である。父と子の人間関係のもつれというのは、一言でいえば信虎が長男の信玄を全く可愛がらなかったことだ。信虎は二男の信繁を寵愛し、信玄との間に父の情の厚薄を示した。美味い菓子や珍しいおもちゃなどを手に入れると、すぐ信繁を呼んで与えたという。少年時代の信玄がそういう扱いをどう感じていたかはわからない。おそらく後に名将といわれる彼にしても、幼い心を傷つけられたに違いない。この時、信繁の行いが常人とは違っていた。信繁は美味い菓子や珍しい玩具を父から与えられると、すぐその日のうちに兄を訪ねた。そして、
「父から貰いましたが、兄上に差し上げます」
といって差し出す。ちょっと豊臣秀吉の弟秀長の行動に似ている。つまり、
「自分は兄の弟ではなく、兄は主人なのだ」
という家族関係の設定だ。だから兄の信玄が父親を追放した時も、信繁は父には従っていない。そのまま残って兄に尽くす。特に信繁が書いた「甲州法度之次第百条」は、いってみれば武田家に仕える家臣の心得というべきものだが、その根底にあるのは、
「我家(信繁家)は信玄公の弟の家柄と考えてはならない。信玄公はあくまでも我家の主人である。われわれは家臣である。このことを忘れるな」
ということだ。
この父子の不和のために、
「信玄の父親追放は、積年の自分に対する恨みを晴らしたのだ」
という説もある。そうではなかろう。むしろ最初に掲げた理由の二つ目と深い関わりがある。つまり、
「甲州の民に対する政治のあり方」
が、大きな理由だと思う。
◆愛民を忘れた父
上杉謙信は信玄のことを、
「信州(長野県)への侵略者だ」
と断定する。しかし信玄が父親を追放する頃、信玄はすでに信州への攻略をはじめていた。しかしこの行動は必ずしも信玄の征服欲に基づくものではなく、わたしは逆に、
「信州側の住民たちの要望」
があったのではないかと見ている。信玄は父が在職時代から民に対する愛情の籠った行政を行なっていた。後に有名になる「信玄堤の築造」に類するような、主として農民に対する施策を次々と展開していた。こういうことは、重税にあえぐ隣国にも伝えられてゆく。その頃の信州は、守護(長官)はいたが、治政が行き届かず、多くの豪族が割拠してそれぞれ力を競い合っていた。一番迷惑するのは住民だ。打ち続く戦乱に住民たちは悲鳴を上げた。そして戦費としての年貢が次々と高率になる。特に年貢を負担する農民たちは、
「もうこの国に居たくない。もし居るのなら、お隣の武田信玄公に治めてもらった方が余程いい」
と言い合うようになった。確信はないが、そういう信州側農民のニーズ(需要)が、結局は信玄に、
「信濃国も自分が治めよう」
と思わせる動機になったのではなかろうか。現在の長野県を見ても、信玄の足跡がかなり県の中央部辺りまで浸透しているような気がする。謙信の影響が残っているのは、北部ぐらいだろう。したがって、謙信が、
(信玄は信濃国への侵略者だ)
といきなり決めつけるのにはちょっと疑問がある。
信玄は幼児から岐秀という禅僧について学問を学んだ。仏教・儒教・古代中国の歴史・兵法など全般に亘って叩き込まれた。儒教に孟子の教えがある。かれは、
「王には徳がなければならない。徳というのは人民に対し仁と愛の心を持ち、富国・富民の政治を行うことである」
と告げた。そして、
「王が徳を失ったときは潔くその座から去らなければならない。そして、徳のある者に後を継がせるべきだ。しかし、徳を失ったのにも関わらず悪王がその座にしがみつく場合は、実力を持ってこれを追放することができる」
と述べた。信玄の父親追放は、孟子のこの教えに従ったものではなかろうか。後年の信虎は、国内の治政よりも、外に出て他国を攻略することが多かった。そのため戦費がどんどん上がる。負担は農民だ。信州の農民があげた悲鳴と同じような声を甲斐国内でもあげていた。子供の時から、
「王道政治をめざせ」
と教えられた信玄は、これは見るに忍びない。考えに考え抜いた結果、
「父親にこの国の政治を任せていると、信州と同じことになってしまう。父はすでに徳を失っている」
と判断した。信玄も情の厚い人間だ。たとえ徳を失ったとはいえ、父を追放するなどということは容易に実行できることではない。が、信玄は、
「民のためには、涙を振るってそういう挙に出ざるを得ない」
と意を決した。大変な決断である。この決断によって、甲州国内の民は救われた。民政を何よりも大切にする信玄によって、富国・富民の実績が次々と上がって行った。信玄は、
「公のためには、私情を捨てる」
という悲しい決断を行なったのである。
(挿絵)大和坂 和可
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