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稲藁今昔2017年1月26日

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【秋田義信(元・青森県農協学園長)】

 稲を鎌で刈っている風景を見ることができなくなった。コンバイン時代になってから、稲刈りのとき、藁は細かく刻まれてコンバインの背後に噴出される。
 昭和三十年頃までは農村だとゴム長靴よりも藁沓(わらぐつ)やツマゴが多かった。地下足袋よりも草履(わらじ)が農夫たちの履物だった。ゲートルの代わりにハバキというものもあった。
 青森県の稲作地帯では夏の副業として「藁工品」の仕事が盛んだった。莚(むしろ)・叺(かます)などを作り、北海道へ移出したもので、北海道に於ける石炭や魚粕などの容器として需要が多かったのである。
 篤農家は道路に落ちている二、三本の藁でも拾って自家の堆肥盛(たいひもり)に―だった。
 稲藁には保温効果もある。農家が納豆を作るとき稲藁をかぶせる。稲藁を大切にする人は人間味も温かいようだ。農協協会会長の佐藤喜作氏が秋田県仁賀保農協の組合長時代、農協の二階に藁細工をいっぱい陳列していた。「水戸納豆」の容器も稲藁だった。今もか。

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