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【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】(107)世の中の「暗渠(あんきょ)」2018年11月16日

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【三石誠司 宮城大学教授】

 物事には複数の面があり、農業の世界も同様である。例えば、農地に水をいかに供給するかという「灌漑」は世界中で話題になるが、過剰な水をいかに「排水」するかという点などは意外に知られていないし、メディアも余り報道しない。

 農作物を生育するということは、人間の身体と同様、常に何かを取り入れ、一定のものを排出する流れを継続させることだ。そして、そこには身体の血液循環に必要な動脈と静脈のような仕組みが必ず存在する。
 雨が降った後、水浸しの畑の水の大半は、地下に吸収されるものを除き、地表をどこか低い方へ流れ、いつのまにか見えなくなる。これは専門的には「地表排水」と言うようだ。だが、少し考えてみればわかるように、こうして自然に流れるだけでは、とても過剰分は排水出来ない。特に、昨今のように住宅地が密集し、一面アスファルトで覆われた場合、過剰水を何らかの方法で集め、「排水」してやらなければならない。
 一般に、給排水を目的とした水路を溝渠(こうきょ、英語ではditch)と呼ぶが、その種類は、地上で普通に目にすることが出来る用水路などの「明渠」(「開渠」とも呼ばれる)、地中に埋設された河川や水路である「暗渠」、道路の脇にある「側溝」などに分類される。

 

※  ※  ※

 

 ここで注目したいのは、目に見えないが重要な排水機能を担う「暗渠」である。高度経済成長期以降、都市化の進行に伴い河川の多くが生活排水で汚染され、その後は地下に潜ることとなった。筆者の育った東京都下でも昔は確かに川の名称と橋があったところが、今では川の痕跡もない単なる交差点に変わっている。今や行き交う人のほとんどは、恐らくそこにかつては川と橋が存在したことなど認識していない。近隣の住宅やオフィスビルから出る生活排水は地下に埋設された排水路を通りしかるべき場所に集められる。通常、このシステムを我々が最後まで目にすることはないが、無くなれば大混乱必須、まさに「見えざるインフラ(invisible infrastructure)」である。

 

※  ※  ※

 

 農村部も基本は同じである。だが、「排水」という点で考えた場合、一面に水を湛えた水田の地下にも排水路(排水管)、つまり「暗渠」があることは余り知られていない。
先日、酒をこよなく愛する農業土木の専門家のある同僚とバス車中で興味深い話をした後、有益な資料を頂戴した。それを読むと、日本の水田では一見矛盾あるいは対立しているように見えることを絶妙のバランスで実施していることがわかる。
 例えば、「代掻き」をして田んぼの土を細かくし、水漏れを防ぎ透水性が悪い水田を作ることと、降雨後は可能な限り早く乾燥させ地耐力を上げて機械化により収穫の効率性を上げることは、ベクトルで言えば完全に正反対だが、これが行われている。
 一般に、地下水位が高いと畑作物の根の張りは浅くなり、十分に発達しないため生育が悪くなる。「暗渠」が西欧で発達した理由は、こうした事情を考慮して畑地の排水を促進し、地下水位を下げるためだそうだ。これは理に適う。

 

※  ※  ※

 

 ところが、我が国では「水田の暗渠排水は地下水位を低下させることが目的ではなく、降雨後に地表面に残された水、残水を速やかに排除し、土壌面蒸発により早期に地表面を乾燥させ地耐力を上げることが目的であった」(長谷川周一『土と農地』96頁)という。稲作の「機械化」や収穫における「生産性向上」は品種改良や農業機械の技術進歩だけでなく、その背後で効率的な暗渠排水が行われていたからこそ達成できたということを改めて強く認識した次第である。こういう実践的な技術の世界は非常に面白い。
 西欧の知恵と技術をそのまま活用するのではなく、わが国の実情に合致した形で改良・発展させ、世界で唯一とも言える「水田の『暗渠』」という仕組みを確立したのである。さらに、筆者のような文系人間にとって最も興味深い点は、「水田の暗渠排水は、机に座って情報を集めた研究室からの発想ではなく、炎天下の水田を這いずりまわって行った地道な調査研究により前進した」(同98頁)と指摘されている点である。これは昨今のあらゆる学問分野と行政領域に深く突き刺さる言葉であろう

 

※  ※  ※

 

 さて、人は見た目が重要なのかもしれないし、仕事においては目に見える活動や成果が重要なことは言うまでもない。だが、誰もがそのようなことばかり行っていれば、遠からず物事はうまくいかなくなる。見える部分と見えない部分のバランスの重要性は農業に限らない。世の中のすべての活動には「暗渠」に相当するものがあるはずだ。それを西欧式の「暗渠」としてそのまま真似るか、苦労してでも日本式の「暗渠」に作り上げるか、あるいは知識として知っているだけか、さらに全く知らないかにより、人や組織の行く末は大きく異なるのではないだろうか。

 

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