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【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】政府財政制度の改革・続 渋沢 栄一2019年5月24日

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【童門冬二(歴史作家)】

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◆旧幕臣で新政府出仕

 渋沢栄一が新しいお札になる。栄一については、この欄でも一度紹介した(平成二十九年八月十日付)が、前回は旧主徳川慶喜と、失職した旧幕臣を静岡で救済する話を書いた。パリで仕込んだ株式制度を導入した「商法会議所」を作って、救済策を展開した。これに成功したので新政府の大蔵省が眼を着けた。渋沢を政府に招いた。渋沢は儒学を学んでいたので、
「『忠臣は二君に仕えず』というので、旧主に仕えているので政府に勤めるのはお断りいたします」と言った。しかし主人である慶喜が、
「おまえがそんなことをいうと、わしがまた朝廷に謀反を企んでいると思われる」というので、渋々出仕した。当時の大蔵卿は、開明的な宇和島(愛媛県)藩主だった伊達宗城(むねなり)で、大輔(次官)は佐賀藩出身の大隈重信、そして少輔(局長)は、長州藩出身の伊藤博文だった。
 当時の大蔵省は、政府の財政は勿論のこと、農林省・通産省・郵政省・法務省の一部・地方行政など多彩な仕事をしていた。栄一は魅力を感じたが、一応は断った。すると次官の大隈が、
「今の政府は、国づくりに八百万(やおよろず)の神々が寄り集まって相談中というところだ。君もその一人だ。どうか、静岡の旧主に仕える気持ちもわかるが、新しい国家のためにも尽くしてもらいたい」
 と熱心に説得した。栄一は折れた。しかし、この時の大蔵省内では、
「旧幕臣の渋沢を採用するとは何事か!」
 というような、この人事に反対する者が多かった。そうなると、渋沢も負けん気を起こす。(よし、やってやろう)という気になる。
 栄一が最初命ぜられたのは「全国の測量」で、実際には「度量衡の改正」だった。かれのポストは租税頭(そぜいのかみ)だったので、税制改革が主である。栄一は従来の年貢(米)が物納だったので、これを金納に改正した。
 その他、駅伝の改正・貨幣制度・禄制の改革・鉄道の敷設等次々と"よろずや"的に、あれもこれもと手を着けた。
 鮮やかな栄一の仕事ぶりに、最初反対した役人の中でも、
「渋沢さんにはシャッポを脱いだ」
 と、謝りに来る者もいた。そういう連中と栄一はすぐ仲良くなり、以後はわだかまりなく手を組んだ。しかし最後まで反対の態度を改めない役人もいた。薩摩藩出身の得能良介(とくのう・りょうすけ)だ。かれは栄一の部下になる。それが得能には我慢できない。得能は栄一より十七歳年長のためもあり、また当時幅を利かせていた薩摩藩の出身だということもある。
 栄一は、伊藤博文がアメリカから持ち込んだ洋式簿記を大蔵省に採り入れていた。記入法が面倒だ。しかし伝票を使って正確に経理が処理される。得能がある日怒鳴り込んで来た。
「こんなややこしい簿記よりも、従来の帳簿付けの方がよほど役に立つ。わたしは反対です!」
 と凄い剣幕で言い捲る。そして、
「渋沢さんは、ハイカラな事ばかり他国から持ち込む外国かぶれだ。日本人の恥だ」
 と罵った。栄一は文句を言わずに、懇々と和らかく説明した。が、得能は聞かない。いきなり栄一を突き飛ばした。栄一は怒った。しかし、
「今論議しているのは政府の仕事のことだ。暴力はよせ」
 と言った。さすがに得能も黙り、去って行った。


◆昨日の敵は今日の友

 この得能がやがて大蔵省の紙幣頭(しへいのかみ)という職に就いた。栄一はすでに辞職し、自身で「国立第一銀行」を創設していた。今でいえば頭取だ。第一銀行は、兌換紙幣を発行しているので、金相場によって経済を運営している政府のやり方が妨げになる。
 そこで、栄一は大蔵省に出掛けて行って、交渉をした。ところが、相手の紙幣頭が得能だったのでびっくりした。しかし得能も人物で、昔のことは一切口にしなかった。渋沢の話を静かに聞いて、最後は、
「なるほど、よくわかりました。渋沢さんのおっしゃるように、銀行紙幣を金貨に換えることはやめて、政府の紙幣と兌換するように改めましょう」
 と、全面的に栄一のいうことを承認してくれた。大蔵省時代は、大喧嘩をしても得能もその後の栄一の活躍ぶりを知って、栄一の言っていることが決して政府の害にならないことを知ったのである。だから、
(あの時は、おれの方が軽率だった)
 と反省していた。この一件から、栄一は得能と誰よりも親しい仲になった。
 直接、栄一が銀行経営と政府発行の紙幣との関わりを持った事件なので、お札に決まったのを機会に紹介しておきたい一事である。

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

童門冬二(歴史作家)のコラム【小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

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