【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第59回 かつての米作りを思い起こす意義2019年7月4日
これまで何回かかつての米作りのことを書かせてもらってきたが、書きながらこんなことが頭に浮かんで来た。この数十年の間に死語となってしまった稲作用語がいかに多いことかと。
農家の人たちにとってはもちろんのこと、日本人にとって常識だった言葉が、常識どころか死語になっているのである。前にも書いたが、たとえば「苗代」がそうだ。今の日本人の半数はこの苗代を見たことも聞いたこともないのではなかろうか、そもそも苗代という名前すら知らない人もいるかもしれない。田植え機・育苗施設が普及した1980年代以降苗代はまったく見られなくなったし、食料生産・日本農業のことを自らの問題、日本の政治の重要課題として考える人は少なくなっており、話題にもしなくなっているからである。
もちろん、苗代が見られなくなって話題にならなくなったことは喜ぶべきことである。きつかった育苗・田植え作業の省力化・効率化が進み、それが定着したことを示すものであり、農業生産者にとってはもちろんのこと社会にとっても進歩として喜んでいいことだからだ。
また、水稲の生長過程を播種・育苗過程(幼少期)と成育・収穫過程(成長期)に分離して安定多収を図るという先祖の知恵が形を変えて今も引き継がれていることもうれしい。
とはいっても、弥生時代から始まる苗代という画期的といえる稲作技術が、20世紀末の私たちの時代に、死語となって消えてしまう、何かもったいないような、先祖に申し訳ないような気もする。
稲刈りの時の棒掛け・稲架掛けについても同様のことがいえる。それを見たことも聞いたこともない人が過半数になっているのではなかろうか。そうさせた自脱コンバインや乾燥施設の普及が労働生産性を大きく高めたことは評価できるのだが、太陽エネルギーの活用や棒掛け・稲架掛けした田んぼの見事な景観の喪失という面からすると何か寂しいし、死語となりつつあるのもやはり悲しい。
苗代、棒掛け・稲架掛けばかりでなく、かつて常識であって今は死語となりつつある言葉が多々あり、また同じ言葉を使っていてもその中身がかなり違ってきている場合もある。これは稲作ばかりではないのだが。
しかもそれで日本農業が、稲作が、村々が発展しているのならいいのだが、田んぼはあちこちで荒れ、畑は林野に帰り、村から人の姿が消えつつある。
もう思い出にふけるしかないのだろうか。こう考えると素直に喜べない。
同時に心配にもなる。当然みんなが知っているだろうことを前提にして、ましてや本紙の読者はわかっておられることとして、これまでいろいろと昔のこと(私・年寄りにとってはつい最近のことなのだが)を書いてきたが、それでよかったのだろうかと。
だからといって、もう昔には戻れないし、戻るべきでもない。そうなれば、私たちの先祖が心血を注いでつくりあげてきた、そしていま消え去ろうとしている稲作技術を始めとする農業技術、先祖の知恵とその限界をさまざまな側面から書き残しておく必要があるのではなかろうか。それは農業史や技術史などの分野の研究者がきっとやってくれるだろうが、この歴史的転換期に立ち会うことのできた私たち世代もさまざまな立場からかつての農業のことを、体験したこと、実感したことを書き残し、それを積み上げていくことも必要なのではなかろうか。体験者の私たちが消え去る前にだ。急がなければならない。
もちろん限界もある。私たちの子どものころの話でもあるので記憶が正確かどうかわからないし、地域も限られている。私の場合など東北の一地域のことでしかない。またすべての農作業に携わったわけでもない。
しかもその程度の話がはたして役に立つのか疑問にもなる。ましてや厳しい状況におかれている農業・農村の再建に、農業協同組合運動の発展にどれだけ役に立つだろうか、のんびり昔話をしていていいのか、とまた逡巡してしまう。
でも、農協成立前後の農業の中心をなしていた米作りが、農家の家族がどういう状況におかれていたのか、戦後の農協運動の原点がどういうところにあったのか、そしてその後の農協活動がいかに米作りをはじめとする農業生産と生活の向上に寄与したのかを改めて見てみることも今後の方向を考える上での何かの役に立つかもしれない。
そんな淡い期待をこめて、もう少しの間、私の体験した戦前から戦後にかけての米づくりの話を書かせていただきたい。
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