【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】折った一本は誰か? 毛利元就2019年10月19日
◆元就の覇権確立法
毛利元就は、安芸(広島県)の一寒村から興った豪族である。しかし、豪族たちのニーズ(需要)を集め、これを実現する闘争を展開したために豪族たちの信望が篤かった。元就はこれを利用して、安芸だけではなく、隣の周防・長門・海を渡って北九州一帯、さらに四国の瀬戸内海側、東へ手を伸ばし山陰地方から山陽地方まで支配圏を拡げた。この過程で、長子を相続人として残し、次男の元春を吉川家(山陰地方の実力者)三男隆景を小早川家(瀬戸内海の水軍の実力者)へ養子に出し、毛利家の勢威を張る力とした。小早川家を継いだ隆景は、武勇に長けていただけではなく、政治力にも優れていた。当時小早川家は分家の力が強く互いに勢力を張り合っていた。が、隆景は巧みにこれを統合し、自分が統合した小早川家の棟梁になった。水軍といっても、当時は海賊行為が多く、その生活ぶりは乱れていた。気性は荒っぽい。隆景を棟梁とする小早川水軍は、一挙に力を増し、毛利本家に対抗し得る勢力になった。本家の元就はこれを憂えた。たまたま長男の隆元が死に、まだ十一歳の輝元がその後を継いだ。元就は、
「孫のためにも小早川一族をそのままにしておくことはできない」と考えた。そこでかれは、元春と隆景を本城へ呼んだ。そして、今も語り継がれる"三本の矢"の教訓を行なった。元就は最初に一本の矢を折り、次に矢を三本集めて懸命に折ろうとした。しかし元就が老齢の身だからではなく、三本集めれば矢もなかなか折れない。元就は説明した。
「矢は一本だとすぐ折れる。しかし三本集めればなかなか折れない。隆元が死んで毛利本家も今は幼い輝元が当主だ。叔父である元春と隆景は、その辺を十分心得て、輝元を立ててほしい」。
要は、毛利家は本家が中心であって、吉川家や小早川家は他家である。しかし、両家ともわしの息子が後を継いだのだから、本家への忠誠心を持ち、幼い輝元を脇から支えてやってほしい、という意味だ。
この時、最初に折られた一本の矢は俺だ、とピンと来たのが隆景だ。その時の父元就の形相が鬼のように凄まじかったからである。隆景は思わず俯いた。そして考えた。
(父は俺を恐れている)
だから、この時の隆景は得意満面であった。隆景は、父が俺を恐れているのは、おそらく俺の能力だろう。だれも手を着けなかった小早川一族を一つにまとめ、巨大なパワーにした。同時に海賊的行為の多かった水軍を、公共的な仕事に変質させ、水軍一人ひとりの家族が陸上にあって、
「あれは海賊の家族だ」と、馬鹿にされるような暮らしぶりを改めさせた。家族は喜び隆景を称えた。とにもかくにも、隆景が小早川家に入ってからは、悪名高い瀬戸内水軍の印象がガラリと変わった。隆景は、
(父はそれを羨んでいるのだ)と思った。
◆隆景の変身
父の城を出た時、兄の元春が、
「隆景、ちょっとお前に話がある」と言った。
「何でしょう」
「おまえは敏感に悟っただろうが、父が最初に折った一本の矢はお前だぞ」
「わかっております」
隆景は笑って応じた。そんなことは百も承知だという得意な色があった。元春はそんな隆景に、
「兄は亡くなり、父も幼い輝元の後見で心細いのだ。われわれ兄弟が心を揃えて、甥を支えよう。いいな?」
これは痛かった。得意な気持ちを高ぶらせていた隆景もこの兄には弱い。考えた。そして、隆景もこの瞬間に心を改めた。兄元春の言うように、
(幼い甥を支えよう)という気になったのである。そのことは、
・小早川という別な家に入っても、根は毛利本家に繋がっている
・小早川家の繁栄が、毛利本家の繁栄に繋がるようにしなければならない
・毛利本家は、今中国地方や北九州、四国の瀬戸内海側、山陰山陽の諸族などから共通の敵として憎まれている
・そんな時に、小早川家の統一で得意になっている俺は、毛利本家から見れば敵の一人になる
(浅はかだった)隆景はそう思った。若気の至りで一時は得意になったが、しかし隆景もバカではない。それに父の元就を偉大な武将だと尊敬している。その父が露骨に口に出さず、三本の矢に例えて息子たちの結束を希った。最初に一本の矢を折る時の父の形相の凄まじさを思い出して、隆景は改めて冷や汗をかいた。それはそこまで父を苦しめたことへの反省だった。
以後の隆景はガラリと変わる。毛利本家のために汗水を流す。そしてそのことを自分からは決して手柄顔をしなくなった。後に隆景は、
「慎重だが、決断力に富む名将のひとりだ」と言われるようになる。決断力の早い黒田如水でさえ、
「おぬしには敵わない」と感嘆するまでの武将に自分を変えたのである。
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