【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第74回 耕起における畜力利用の進展と限界2019年10月24日
貧困からの解放と同様に、苦役的過重労働からの解放もなかなか進まなかった。農業の機械化など考えられもしなかった。
そもそも高等植物を対象とし、気象と土地を利用して人間に必要な農産物を生産する農業における機械化はきわめて難しく、科学技術の発展していない段階では道具と同時に人間の身体それ自身も「道具」として高等植物に働きかけるしかなかった。

とりわけわが国の場合、四季の明確な湿潤地帯で作物の生育する時期がそれに大きく左右され、稲作は水田、それ以外の作物は畑で栽培する農業であるために、なおのことそうせざるを得なかった。
さらに、封建制度や明治以降の地主制などによる農業生産者の収奪による貧困、無智への押し込めはそこからの脱却を困難にした。
それでも、明治維新で封建的な収奪・束縛から解放され、生産意欲が向上した農民の中から新たな農業技術(明治農法と総称された)が創造され、それが全国各地に普及し、農業生産力を大きく発展させた。
過重労働からの解放という面からいうと、鋤(すき)の改良による牛馬耕の普及があり、水田の場合はそれに加えて太一車(人力除草機)の開発と普及、乾田化・区画整理があり、大きく前進した。
そういうと、牛馬耕は昔からあったのではないかと言われるかもしれない。その通りなのだが、かつての犂(すき、牛馬に引かせて土を掘り起こす農具)は浅くしか耕せず、とくに水田の場合は湿田のために畜力が入りにくかった。それで、水田の場合は耕起・砕土・代掻き・除草を、畑の場合は耕起・砕土・整地・畝立て・中耕除草を鍬(くわ)と手でやるしかなかった。つまり人力と手の延長である道具でしかできなかったのである。
もちろん、水田に適するように開発、改良された備中鍬(三本鍬とも呼んだ)で耕起代掻きがなされるようになり、雁爪で初期の除草がなされるようになり、多種多様な土地条件や作業に応じた多種多様な鋤や鍬が地域の鍛冶屋と農家の協力でつくりだされる等々、過重労働からの脱却の努力はなされてきたのだが、容易ではなかった。
それを大きく前進させたのが、明治期の九州の農家による抱持立て犂=無床犂の開発、それを改良した短床犂の開発だった。
これはこれまでの農作業の基幹をなす耕起作業における過重労働を大きく軽減し、同時に土壌の深耕を可能にしてその肥料保持能力、透水性、物理性、根の張り具合をよくする等、反収上昇をも可能にするものだった。
しかし人馬の足がずぶずぶ沈むような湿田では牛馬耕などできるわけはない。そこで牛馬耕と同時に推進されたのが暗渠排水等による湿田の乾田化だった。また区画が零細不整形では牛馬耕はやりにくい。そこでなされたのが区画整理だった。かくして牛馬耕は全国に普及した。こうした土地改良は労働の軽減にはもちろん反収の上昇にも大きく寄与した。
ただし、水田の中耕除草については畜力は利用されなかった。水を張って密植している水田での畜力利用は困難だったからである。なお、太一車は、素手や熊手による除草からすると腰を曲げなくともすむという面で楽にしたが、泥の中を歩くのは本当に大変だったし、一番除草しかできないことにも限界があった。
また畑の整地や畝立て、中耕除草は北海道の畑作地帯を除いて畜力は利用されなかった。零細分散不整形の畑では畜力利用が困難だったし、小規模の畑から一粒でも一個でも多く生産するために人力で周到綿密な労働を施すしかなかったからである。
過重労働からの脱却というところまではいかなかったのである。
もう一つの問題は、牛馬の使役は耕起に限られるのできわめて短い期間だったことである。そのために一年間餌を与えて飼育するのは損である。
しかし、餌は山野の草や稲わら等の副産物等を与えればいいので、飼料代などはあまりかからない。
加えて牛馬は糞尿というきわめて良質の肥料を生産してくれる。そして農作物の生産量を増やしてくれる。また、雌の牛馬であれば、子牛・子馬を生産してくれる。これを売って収入を得ることもできる。その上、役用として使えなくなれば、食肉用として販売することもできる。
このように牛馬は耕作用の役畜、糞畜、肉畜としての役割を果たすものだった。
さらにもう一つ、牛馬は生産資材や生産物を運搬する役畜として農民の労働を軽減する役割も果たした。
そういうこともあって牛馬飼育が全国的に普及したのだが、私の生家のある山形内陸でも、大正期には牛による耕起・運搬がなされるようになっていた(なぜ馬でなく牛だったのかについては後日述べることにする)。
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