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なぜソバは救荒作物?【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第110回2020年8月6日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

昔の農村今の世の中サムネイル・本文

1970(昭和45)年、米の過剰問題の解決のためにと政府が一割減反を全国の農家に強要した年のことである。この減反に対応すべく青森県津軽のある地域の農家がソバを転作作物として栽培した。ソバは大冷害の年でもとれるつくりやすい作物だと聞いていたからである。

ところが、収穫時期だというのにまだ花が咲いている。実もついてはいるが、未熟のものもある。熟した実のなかには下に落ちているものすらある。同じ日に植えたにもかかわらず、同じ一本のソバであるにもかかわらずである。結局ろくな収量はとれなかった。

そのソバ転作を初めて指導した普及員の方はこう嘆く、「転作ソバはヤマブキだった」と。

「(七重八重)花は咲けども(山吹の)実の一つだに なきぞ悲しき」だったのである。

このソバにくらべると、稲というのはすごい作物である。同じ日に同じ土地に植えた同じ品種の稲は、どの稲も一斉に花が咲き、実を付け、ほとんどすべての実がほぼ同時に熟し、脱粒も少ない。したがって人間はその熟した時期をねらって刈り取ればむだなく収穫することができる。人間もたいしたものである。そもそも野生の稲はそうした性格をもっているのであるが、ここまで斉一化したのは人間が稲を改良してきたからである。

それにひきかえ、ソバはマイナー作物である。ソバの研究などは十分になされてこなかった。それが収量の低さの問題を引き起こしているのではなかろうか。

いや、研究の立ち後れだけがその原因ではないかもしれない。そもそもソバは稲などと違って開花や結実が一斉になされる作物ではないので、未熟や過熟の実があってどうしても収量が低くなってしまうのではなかろうか。

とはいうものの、本当にそれをソバの作物としての短所と言っていいのかどうかわからない。人間にとっては短所かもしれないが、実はソバにとってはそれが長所かもしれない。

稲のように、開花・結実が斉一であると、たまたまその時期に異常低温が来たりすると収穫皆無となってしまう。これに対して、ソバは少しずつ開花するので、たまたま異常低温にぶつかったときの花は結実しないかもしれないが、その前後に開花したものは結実する。つまり収穫皆無とはならない。ここにソバの生きる知恵があるのではなかろうか。そしてこれがソバが冷害に強い作物、救荒作物とされてきた一因となっているのではなかろうか。

それなら稲はだめな作物なのか。そうではない。米はおいしい。鳥や虫のかっこうの食べ物である。もしもソバのように少しずつ開花し、これまた少しずつ稔っていたら、実は全部食べられてしまい、子孫は残せなくなってしまう。一斉に開花すれば大量に結実するので、いくら鳥や虫が大食いでもすべて食い尽くせない。それで稲の子孫は残る。ここに稲の知恵があるのではなかろうか。

なお、以上述べた「ソバは気象変動に、稲は鳥虫害に強い」などというのは私が勝手に考えたこと、科学的な根拠はない。

要するにここで言いたいのは、作物の性格の相違、一長一短を利用し、それを組み合わせて人間は農業をいとなみ、食料などを確保して生きてきたということである。違った性格をもつ多様な作目・部門を導入した経営、いわゆる複合経営を農家がいとなんできたのもそうした知恵の一つだったといえよう。

ところが1960年代以降、農家は一作目・一部門に専作化するようになってきた。水稲単作化などはその典型例だった(これは麦、豆などのアメリカからの輸入、価格の低迷からもたらされたものなのだが)。さらには、一品種のみに集中するようにさえなってきた。宮城県の場合には一時期作付面積の9割がササニシキという状態すら現れた。山形、福島、秋田・岩手県南でもササニシキに集中するようになった。このことが、80年からの4年続きの冷害を増幅させる一因となった。そしてその後のササニシキ凋落の一因ともなったのである(このことについては説明を省略するが、いつか述べてみたいと思っている)。

今思い出したことがある、今から30年くらい前、青森県東北部にある六ヶ所村に行ったときのことである、ある農家の方がこんな話を私にしてくれた。

8月初めのある日の朝早く、田んぼの水の見回りに行った、もうすぐ開花だなと思いながら静かな田んぼのあぜ道に立っていたら、突然、「ボッ」というか「ボン」というか、何かがはじけたような鈍くも軽い大きな音が田んぼ中から響いてきた。一瞬のことだった、後はまたもとの静寂に戻った。何だろうと思ってまわりを見回したが何にも変わりはない、奇妙に思いながらも歩き始めた。ふと稲を見て気がついた、さっきまで閉じていた綠色の籾が開いて中からおしべがのぞいている、もちろんみんな同じように開いている。そこでハッと気がついた、もしかしてさっきの音は稲の花が一斉に開いたときの音だったのではないか。家に帰ってからみんなにその話をしても誰も信じてくれない、でも私は今でもそう思っている、とその人は言う。

私はその話を信じる、そう彼に言った。一つ一つでは聞こえないようなかすかな音でも何十万、何百万の米の粒が一斉開花すれば(そもそもイネはそういう作物なのだ)、そしてその音が集まればそういう音にきっとなるだろう、私も一度は聞いてみたいものだ、まあ無理だろうけどと。

そのとき、さきほど述べたソバとイネの開花、受粉のしかたの違いを改めて思い出したものだった。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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