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【書評】農と歌のリズムに生命力 詞歌集『野男のうた』自選二〇〇首 時田則雄著2023年1月30日

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書評「野男のうた」詞歌集『野男のうた』自選二〇〇首
著者:時田則雄
発行:角川書店
定価:3000円+税

◆すがすがしい歌

著者は1946年生まれ。十勝での営農55年、作歌60年の記念出版である。時田(以下、敬称略)は現代を代表する歌人の一人。本紙では「農協時論」等でなじみが深く、また『文化連情報』や『月刊NOSAI』の連載もあった。時田の独自性に焦点をあわせて本書を紹介する。

トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧にぬれつつ野をもどりきぬ

「トレーラーに千個」はおおらかで、カボチャと妻の取り合わせはほほえましく、「霧にぬれつつ野をもどり」には抒情がある。時田は言う、短歌は「感動されるものでなければならない」、そして「感動される歌には匂い、温度、心地良い音がある」。

◆野男の農文一体

時田は、「野男(おとこ)」を自称し、「農文一体」を主義とする。それは農作業と作歌の動的一体性、時田の「生活のリズム」だ(時田『北の家族』1999年、家の光協会)。

伊藤佐千夫、石川不二子など農にたずさわった歌人の多くも農は農、歌は歌だった。むしろ「農文一体」は新聞短歌欄等の生活詠に感じられる。

それに対し現代歌人の歌は多分に内向的で、同業者同士にしか分からない難しさがあり、同業者でも解釈が分かれる。それでよしと思っている節もあるが、昂じれば歌は衰弱する。「野男」の「農文一体」は生命力にあふれ、分かりやすい点で独自だ。

◆志の歌

その独自性にはさらに奥がある。短歌は上の五七五の叙景等を下の七七の抒情に収斂させる。俳句は五七五の余韻(抒情)が勝負である。つまり日本の短詩は全て抒情詩である。それに対して漢詩は「志」をうたう(大岡信『日本の詩歌』岩波文庫)。

菅原道真にも江戸漢詩にも農や貧、政を直視するものが多い(甲斐高『江戸漢詩選』同)。その遺伝子を次のような歌群は引き継ぐ(最初の歌は『凍土漂泊』1986年)。

ピラニアが豚を喰うさまみてゐたりわれらときにはピラニアに似る

共喰ひの果てに去りたる奴のためぬかずおくべし切株ひとつ

80年代後半は離農率が今日と並んで最も高かった。十勝の離農はより早く70年代から昂じる。離農跡地を荒らさないためには誰かが買わねばならない。いや誰もが「ピラニア」のように狙っている。60数ヘクタールに拡大した時田も買った側にたつ。立ちつつ、「切株一つ」を「ぬかずおくべし」と詠う。なぜなら背後に農政の問題があるからだ。

農基法以後のニッポン列島は山河窶(やつ)れて腐臭漂ふ

「山河」を「やつれて」と観るのは著者らしいが、他選なら落とされた歌かもしれない。にもかかわらず時田は「自選二〇〇首」に採った。そこに時田の、そして十勝の農業者の、「志」がある。

◆口ずさむ歌

以上、やや固いことを書いたが、時田は「つまらねえ歌論は不要。野男は野に出て土地を耕せばよい」と笑い飛ばす。確かに時田の本領は自然・農・ひとの交流にある。「私の歌の種子は十勝の土のなかにある」。そして「十勝の土」の基層にはアイヌの森が幻視される。

ポロシリ岳の厳かさ、祖父母から孫まで5代を詠った歌、農機のメカニックな美しさ、むら人たちのたくましさとユーモア、それらの歌を直接味わってほしい。そしてできるなら口ずさんでみてほしい。

巻末には三澤吏佐子・大金義昭の同志的解説、略年譜が付され、作品を読む貴重な手掛かりになっている(引用は主として時田『陽を翔るトラクター 農文一体』2016年)。

(横浜国立大学名誉教授・田代洋一)

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