【浅野純次・読書の楽しみ】第86回2023年5月22日
◎田中淳夫『山林王』(新泉社、2750円)
土倉(どくら)庄三郎といってもどれほどの人が知っているでしょうか。実は明治の世に知らぬ人とてない三井と並ぶ大山林王でした。吉野川の源流、川上村の山林地主だったうえに、たくさんの事業に関わっています。
親の代から広大な山林を保有しただけでなく、林道を切り開き、川下りのための水路も整備します。森の木々はそれ自体では産業的価値は少なく、集散地へ運び出して初めて富を生み出します。そのことを庄三郎はよく認識していました。
しかも森林から得た巨額の富を気前よく社会の役に立てます。全国的に造林を推し進め、治山治水に貢献しました。一方で自由民権運動に惜しみなく資金を投じ、同志社や今の日本女子大の基礎をつくるのにも尽力します。教育、特に女子教育こそ国造りに重要だと考えてのことです。
湯水のごとくといっては何ですがカネを社会のために散じた結果、土倉家は子供たちの時代に傾き始めます。その帰すうもしっかりと書き込まれていて寂寥感さえ覚えました。
明治の世はこんなスケールの大きな人物を輩出した時代だったことは記憶されてしかるべきでしょう。森林が軽視されるようになった時代だけに、なおさらそんな思いが強く残る、貴重な労作です。
◎戸谷洋志『SNSの哲学』(創元社、1540円)
Instagram,Twitter,LINE, You Tube, Tik Tok.... 電車の中、歩きながら、スマホに夢中な人たちばかりです。SNSに哲学なんてあるのかと思ってしまいますが、哲学者の手にかかるといろいろな見方ができるのだとか。「依存」「承認」「不安」「高揚」「疎外」などが一体となって立ち現れるSNSは麻薬のようなものなのかもしれません。
本書ではヘーゲル(相互承認)、ハイデガー(時間性)、ウィトゲンシュタイン(言語ゲーム)、ベルクソン(予見不可能性)、アーレント(公的領域と活動)という5人の哲学者が登場してSNSのキーポイントを説明していきます。
難しいところもありますが、易しく解説しようという工夫が伝わってきます。SNSが世界を一変させているのを前にして、この大波を哲学的にも理解することは避けて通れない道なのでしょう。
「いいね!」マークと承認欲求とか「#Me Too」運動の意義と可能性とか、この際、学んでみてはどうでしょうか。
◎伊東潤 『浪華燃ゆ』(講談社、1980円)
大塩の乱で知られる大塩平八郎は大坂奉行所の与力でした。同心を指揮する、今でいえば刑事部長のような役職です。すご腕の平八郎は悪徳豪商など次々にお縄にかけ、その名は江戸にまで知られるほどでした。
そのまま出世していけばよかったのですが、平八郎は勉強好きでそれも陽明学にほれ込みます。そして世の乱れを憂うる中で塾を開き若者を教育して世直しへ向かわせようとしたところで悲劇の芽が生まれました。
そこで起きたのが天保の大飢饉です。困窮する農民を救うべく建議しても取り合おうともしない上役たちに、ついにしびれを切らして武器を手に立ち上がる平八郎の行動は過激にすぎる気もしますが、思い詰めた心情はわからぬでもありません。さて成り行きは?
手だれの時代劇作家ならではの展開が楽しめます。昨今あまりはやらない正義感について考えてみるのも意義あることのように思えてきました。
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