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シリーズ:今村奈良臣のいまJAに望むこと

【今村奈良臣・東京大学名誉教授】

2019.07.27 
【今村奈良臣のいまJAに望むこと】第92回 中山間地域、とりわけ棚田地帯を生かす和牛の放牧をいかに推進し実践すべきか(第7回)一覧へ

1. 年間を通じて母牛・子牛を放牧する

 大分県の国東(くにさき)半島のほぼ中央部に国宝・富貴寺がある。この富貴寺をはじめとする仏教文化の由来や、世界農業遺産に指定された国東半島地域の溜池群や棚田の農業の歴史と現状については後に紹介することにして、まず和牛の放牧の先進事例の実態から紹介しよう。
 富貴寺の門前町を通り過ぎて、裏山への急坂を登り切ると、放牧された黒牛がゆうゆうと草を食べている光景に出会う。
 永松英治さんの放牧場で、今から14年前、5haの原野に3頭から始めた黒牛の放牧は、いまでは80頭に、放牧地は40 haに広がっていた。
 「電柵と給水所を用意しておけば、放っておいても子牛が次々と生まれてきたので、どんどん牛を増やしていった」と永松さんは言う。
 永松さんを年間を通じて、母牛と子牛を放牧することで徹底した省力化を図り、かつ高い収益性を実現している。
 牧場にはもちろん牛舎など無く、牛の首を固定する金属枠のついたスタンチョンが並んだトタン屋根の簡易牛舎のような給餌所がある。これは個体管理をきちんとするために作ったもので、毎日ここで僅かなフスマを与え、牛の健康状態や発情の状況を確認しているという。
 下から登ってきた車のクラクションが鳴ると牛たちは一斉に給餌所に順序良く集まり、それぞれの定位置に着くという。私も見ていたがそれは見事なものである。
 雌牛の発情を確認すると種を付け、12か月で出産。牧場内で自然分べんしているという。産まれた子牛は親牛とともに放牧し、10か月の放牧のうえで出荷され、全国各地の肥育農家へと売られていく。

 

2. 年間の飼料代は牛舎飼いの6分の1以下だ

 放牧された牛は、言うまでもないことだが、野草やササあるいは永松さんの播いた牧草などを主食としているため、餌をつくる農地や機械は一切必要ないと言う。
 牧草や野草が少なくなる、あるいは無くなる冬季には、稲発酵粗飼料(WCS)などの給餌をしているという。米の生産調整政策でできたWCSを稲作農家への支援のためにもと活用しているという。
 それでも年間の購入飼料代は親牛1頭当りにして3万円以下と牛舎飼育の場合に比べてみて6分の1以下になるだろうと言う。
 もちろん、糞尿処理の経費や堆肥作りの費用あるいは労力は一切必要なく、牧場の至るところに落ちている糞は自然に乾燥して土に返り、草地の肥料となっていることはいうまでもない。
 さらに太陽を浴びながら放牧草地でのんびり暮らす牛たちは病気らしい病気はほとんどしないし、また、放牧しているため運動をよくしているので難産はきわめてまれであると永松さんは言っていた。
 「日光に当たりながらのんびり草を食べながら運動しているのでストレスが少ないのが健康のもとだ」と永松さんは言っていた。

 

3. 世界産業遺産―「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」

 国東半島宇佐地域は、九州の北東部、瀬戸内海の南端に突き出した丸い半島を中心とした4市1町1村で構成され、地形は半島中央部にある両子(ふたご)山系の峰々から放射状に延びた尾根と深い谷からなり、平野部は狭小で、短く急勾配の河川が多数あり、また、日本有数の降水量の少ない地域(国東市1462mm、日本平均1718mm)であり、雨水が浸透しやすい火山性の土壌であるため、古くから水の確保のために無数ともいえる溜池が作られ、溜池をつなぐ水路や棚田が形成されてきた地域である。また、この地域ではクヌギが良く育ち、原木シイタケの一大産地で古くから著名である。しかし、この溜池がつなぐ棚田を生かすのは現代では容易でなくなってきており、和牛の放牧による新しい地域農業の形成がいま検討・推進中である。
 また、この国東半島は、かつての高度経済成長期にミカンの開発・新植が盛んに行われてきたが、昨今のミカンブームの衰退とともに台地では広汎な荒廃園化が進行してきており、ミカン荒廃園跡地の活用・再開発には、和牛の放牧しかないのでは、と私は考え、いま、大分県の農政部局に提言しているところである。
 そういうなかで、上に紹介した永松英治さんの実践がいま大きなインパクトを与えつつある。「和牛の放牧が国東の世界農業遺産を再生させる」という姿を私は熱望している。

 

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