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JAの活動:第43回農協人文化賞

【第43回農協人文化賞】一般文化部門 農中総研客員研究員 明田作氏 「農協の本質」に応え2023年2月6日

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株式会社農林中金総合研究所客員研究員 明田作氏株式会社農林中金総合研究所客員研究員
明田作氏

コレクティヴィズム(集団主義)を連想させる「農協運動」という言葉に多少の違和感を抱えながらもJA全中に拾ってもらったのは、第1次オイルショックの昭和48(1973)年です。入会後は総務部総務課に配属となり、すぐに3カ月間のJA研修が待っており、和歌山の粉河町農協(現在JA紀の里)が私の研修先でした。自分の育った郷里の福島県会津地方とは違い、雪が積もらないというだけで農村の豊かさを感じたものでした。

研修先では、窓口業務も含めてすべての部署の業務を体験させてもらい、理事会もすべて傍聴させていただいたことが、私のJAに関する原体験となりました。当時は、コンピューター会計が導入される前で、後で役に立つものと思い、当時使用されていた会計伝票類はすべてもらって帰り、全中を退職するまで大切に持ち歩いていました。

総務の次の異動先は、私の希望に反し、農政部(農政第一部)となりました。当該部署は、主に国の予算、法律、税制対策全般を担当する部署でした。当時は、相続税納税猶予制度が創設され、宅地並み課税制度については反対運動の結果その実施が一時凍結されたばかりのときで、この二つを中心に、当時導入が検討された一般消費税への対処とともに毎年の税制改正対策と農業・農協関連の法案対策がメインの仕事となりました。

農政部を離れて退職するまでは、経営監査部門の業務に従事することとなりましたが、異動後間もなく、農業税制研究会という団体が解散することとなり、「農業関係・税の相談」と「法人税申告書の書き方」の図書編纂を引き継ぐことになりました。せっかくなので「法人税申告書の書き方」は、全面改訂することとし、寝る間も惜しみ手引書づくりのために悪戦苦闘したのを覚えています。

税務の仕事は地味ですが、当時市販の法人税通達集に自分が立案した照会と国税庁からの回答が二つ掲載されていたのは、ある意味で誇りでもあり仕事の励みでもありました。そのうちの一つは、後で触れる旧鹿児島市農協の整理に伴う法人税の取り扱いに関するもので、この最終結論が出るまでに1年近くを要するものでした。

農政部を離れて最初の異動先であった経営課の業務は、県中などからの質問や相談に応ずる仕事が大きな比重を占めていました。当時、外部からの質問・問い合わせ等に誤って回答した結果不幸な事態が生じてしまったこともあって、内容によっては質問の内容と回答する内容を整理して上司のチェックを受けることになっていました。あるとき、自分なりにいろいろ調べて考えたうえで回答を整理し、上司のチェックに回したことがあります。私はそれで一件落着の気持ちでいたところ、翌日出勤するや上司から「明田君、昨日の案件、寝ないで考えたのだが、〇〇ではないか」といわれ、ビックリすると同時に自分の仕事への取り組みの甘さを痛感させられました。

その上司が若くして病に倒れられ、後ろ盾がなくなってしまってからは、否応なく自己の判断と責任で対応することが迫られることとなりました。それらは県中の担当者等が困った挙句、最終的なアドバイスをもらうためのものが少なくなく、いわばラストリゾートとしての役割を期待されてのもので、気苦労も多いかわりに充実した日々を過ごさせてもらったと感じています。

経営監査部門での業務は、日常的なルーティン業務ばかりではなく、昭和60年代以降は、経営破綻JAへの対応が大きな課題となってきました。最初に遭遇した重大な案件は、旧鹿児島市農協の経営破綻への対処でした。これはわが国における預・貯金保険制度上、何もしなければ初の保険事故となる事案で、その対応策というのは保険事故を回避するためのテストケースとなりました。この鹿児島市農協問題を発端に、奈良県の某農協、香川県の某農協、長崎県の某農協、広島県の某農協など全国的な支援を要すると思われた破綻処理案件に直接的に従事することとなりました。

その後、破綻処理を未然に防ぐための仕組みづくりにも関与し、それが軌道にのった後の仕事は、平成17(2005)年4月1日から全面施行となった個人情報保護法への対応でした。法律施行への準備から施行後の管理体制等の構築に向けたマニュアルの作成等、結構な力仕事となったのを記憶しています。

JA研究賞表彰式(2011 年12 月15 日)JA研究賞表彰式(2011年12月15日)

全中は定年前で退職し、農林中央金庫の嘱託として採用していただくことになりました。時間的な余裕もでき、農協法の勉強や実務に携わる人たちのためにとの思いで40代半ばから懐に抱いてきた農業協同組合法の解説書をまとめることにしました。幸いにも、平成22(2010)年に初版を刊行、「JA研究賞」も頂戴し、現在の第3版に至るまで活用していただけていることはうれしい限りです。

現在、私のライフワークの一環として、主として海外の協同組合法や関連諸制度の勉強を続けていますが、いずれ何らかの形でまた皆さんの役に立てればと願っています。

色紙_11_明田作様.jpg【略歴】
あけだ・つくる 1949年福島県生まれ。1973年東京教育大学卒業後JA全中入会。農林中央金庫嘱託を経て、現在、農林中金総合研究所・客員研究員(1992年から2005年まで農業協同組合監査士試験委員、2003年から2007年まで日本協同組合学会副会長を務める)。著書に、『農業協同組合法(第3版)』(経済法令研究会・2021年)、『JA役員の職務執行の手引き―知っておきたい権限と責任―』(経済法令研究会・2017年)、『大転換期の総合JA』(家の光協会・共著、2011年)等がある。

【推薦の言葉】
協同組合の知恵袋
明田氏は昭和48年に全国農業協同組合中央会に入会し、ほぼ経営指導部門で活躍した。
JAの現場では日々、簿記・会計・法務・税務で問題が発生する。JAは県中央会に聞くが、回答が見出せない難題は全中への問い合わせとなる。往時、これを全面的に受け対応していたのが同氏である。
全中を退職後、平成19年から農林中央金庫に在籍し、26年から現職にある。前職在任中と同様、現場が困っていること、皆が知りたいことに応えてきた。また農協改革や農協法改正をめぐって焦点となった課題につき、適時にことごとく論考を発表している。困難に直面し、同氏から力を得た人は多い。
協同組合の研究者のなかでの評価は高い。「大転換期の総合JA(2011年)」は当時のJA研究の到達点だが、執筆者として他の大学教授と名を連ねている。独禁法、協同組合税制、協同組合法全般いずれの研究会・検討会にも明田氏の参加は欠かせない。

【谷口信和選考委員長の講評】
明田氏が執筆された『農業協同組合法』は私の書斎の机の座右ではありませんが、左横にある書棚に『農林水産六法』、加藤一郎『農業法』、関谷俊作『農林水産法』などと一緒に並んでいます。農協に関して分からないことがあったらいつも参照しています。農協陣営において農協法を始めとする法律についての生き字引と言われる明田氏への農協人文化賞の授賞は本賞の守備範囲の大きな拡大を意味するものとして大歓迎です。

第43回農協人文化賞

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